丹沢山は、日本百名山の看板を掲げる幸運の山。「日帰りのできる奥深さ」から生じる魅力は、決してその名に恥じません。
冬の塔ノ岳山頂の展望はピカイチ。泥んこだらけになる登山道にもかかわらず、多くの人々を山頂に惹きつけます。
神奈中バス: 渋沢駅 ⇔ 大倉(終点)
地理院地図: 丹沢山
丹沢山の天気: 丹沢山 , 秦野市 , 大倉
レポ: 丹沢山 , 丹沢山とシロヤシオ
1月31日、前日に降った雪を期待して、丹沢山に行ってきました。残念ながら新しく降った雪はほとんど消えていましたが、山の上では素晴しい冬空の稜線漫歩を楽しめました。帰路、塔ノ岳で見かけた小さな女の子とお父さんの二人連れに感動。そして下山時の大倉尾根は、予想通りの泥んこ歩行でした。
伊勢原のあたり、小田急線の車窓からピンク色の富士山を見て、何かうれしい予感。きょうの丹沢では、どんな発見があるでしょうか。電車が秦野に近づくと、渋沢丘陵の山裾に白い靄がたなびいていました。これって、どんな意味があるのかな?ふと気がつくと、沿線に雪が全く見られません。わが家の周りでは、路側帯や車のフロントガラスなどに、かなりの雪が残っていたのに。昨晩の秦野市は温かい雨でも降ったのでしょうか?
7時2分発の大倉行きバスは1台のみ運行。50人ほどが乗っていたかと思います。乗客のほぼ全員が登山姿でした。バスの車窓から見る民家の屋根や庭にも、積雪が全く見られません。そして終点大倉で下車。全然寒くありません。周辺の山の木々は緑。その葉に赤茶色の花粉がたっぷりとまぶされています。でも、白い色はどこにもなし。ただ山上の高みにだけ、山肌に着いた白い雪が見えていました。
登山者カードをサラサラっと書いて登山ポストに投函。準備運動は後ですることにして、さっそく歩き始めました。すぐにロウバイの花が出迎えてくれます。冬の花ですが、朗らかな早春を先取りしたような雰囲気。立ち止まって、透明感のある黄色い花を見つめると、春の歌を歌いたくなりました。(人がいるので歌いませんが。)道が山道に変わるところに立つ乗馬人形が「丹沢クリステル」と呼ばれるようになったのは最近のことです。今回初めて撮影しました。
大倉尾根は、かなりじめじめしていました。やはり、昨晩は雨だったのでしょう。塔ノ岳の積雪は大丈夫でしょうか?霧氷は望むべくもありません。さて、長い大倉尾根は、できるだけ軽くクリアしたいものです。丹沢三峰を経て宮ヶ瀬まで歩いたときのように、省エネモードに徹して登って行きました。前を行くパーティーが、私に「お先にどうぞ」と言ってくれても、迂闊に追い抜いてはいけません。抜くと無意識のうちに速足になるからです。
大倉尾根には、いろいろな人がやって来ます。この日も、ハアハアと息を切って登る人がかなりいました。ゴミや花粉を吸い込んだり、口の中が乾いたりしないでしょうか。私は鼻で楽に呼吸ができるようなペースを守って登ります。傾斜の緩急には、歩幅の長短(ピッチ)で対応します。大倉尾根を五つの区間に分け、たとえ疲れを感じていなくても、5分間の休憩を4回、必ず取ります。また、私は山でめったに走りませんが、最後に1時間程度は走れるような体力を残すようにもしています。
今回初めて、両膝にサポーターをつけて登りました。膝の緩衝と、保温のためです。でも、膝がキビキビと動かないので、登りでは微妙に足が重くなるようです。膝サポーターは、下りで本領を発揮するものかもしれません。ただ山中で取外すのも面倒なので、筋力トレーニングだと思ってそのまま重い足で登って行きました。もちろん、無理は決してしません。
駒止茶屋あたりから、積雪が見られるようになりました。塔ノ岳ではきれいな雪を踏めそうです。ただこの日は、どこに行っても、積雪が雨に叩かれた跡が見られました。塔ノ岳を目指す場合、駒止茶屋あたりで、位置エネルギーの半分以上を稼いだことになります。堀山の家を過ぎ、萱場平まで行くと、しっかりした雪の道が続くようになりました。振り返ると、黄金色に輝く相模湾。見上げれば、どっぷり深い空の青。荒れに荒れた大倉尾根ですが、美しいものは自ずと目に飛び込んできます。
花立山荘直下の階段を、私はチャレンジの階段と勝手に名づけています。「山を愛し、山に登り、山を荒らす私」このジレンマを含むテーマを山が投げかけてくるからです。植生保護の階段ですが、泥んこやぬかるみでは、木道や階段などの人工物のありがたみはとても大きいものです。自然を愛するとは、大自然という存在者を愛することでしょうか、自然放置・自然放任を愛することでしょうか。「自然愛護」「環境保全」など、一口では語れない難問を、足下からぶつけられる思いがします。
もちろん、体力面でもチャレンジの階段です。果てしなく続くかと思われるような長い階段ですが、何度も立ち止まっては、振り返って美しい海を眺めるのが私の通過法です。筋肉は、デジカメや携帯などの電池と似ていて、細かく休みを入れることで、累積的に大きな出力を取り出すことができます。花立山荘が立てる、夏の「氷旗」や冬の「しるこ旗」も励みになるでしょう。もし感動も希望もなければ、ただ長くて苦しい階段になるかもしれません。
塔ノ岳山頂では、期待に違わぬ美しい眺望が待っていました。海と山と空とを同時に眺められる表丹沢でも、ここ塔ノ岳は格別な展望台だと思います。あいにく富士山は南面に雲を纏い、頭も奥ゆかしげに隠していましたが、南アルプスと大菩薩連嶺を遠望できました。丹沢主稜の峰々、鍋割山稜などは立体感も豊かに、また鍋割沢の白い雪原もくっきり描かれ、透明な空気と光の賜物です。寒い風が吹いていなかったら、その展望に陶酔したことでしょう。
山頂の先客たちは風を避けて尊仏山荘に入ったのか、山頂東面にわずか数名が腰を下ろしていただけでした。雪上で湯を沸かす音が聞こえます。西面の段々ベンチは、誰も座る者のないまま、真っ白な雪が覆っていました。もし美しい富士山が見えていたら、どうだったでしょうか。私は、体の冷えないうちに丹沢山に向かうことにしました。
塔ノ岳の北面は、雪がほどよく締まっていました。シロヤシオの群生地の向こうに、日高、竜ヶ馬場、丹沢山、不動ノ峰、蛭ヶ岳と、主脈の峰々がとてもきれいです。わが家の窓からもよく見えるこの稜線は、きっと多くの東京・神奈川の住民が目にしているでしょう。月を見れば、その月に立ちたいと思う人がいるように、山を見れば、その山に立ちたい、そこを歩きたいという心が芽生える。そして今私はそこにいる。この幸福感。至福感。実は、意外にも手軽に入手できるものです。
日高の北面の下りは、私の「お気に入り」のビューポイントです。行く手の竜ヶ馬場には、いつも緑色の笹原。そこに続く1本の白い道は、ずっと先でブナの林を抜けて、丹沢山に至ります。私は倒木の雪を払い、腰を下ろしてお茶にしました。熱い紅茶も固いチョコレートも、このときのために持ってきたものです。塔ノ岳まで来られた方々は、せめて日高まで足を延ばすことをお奨めします。
丹沢山に来ると、富士山がきれいに晴れていました。シャッターチャンスです。「日本百名山」の山頂標の横に立って自分撮りをしようとしている人がいたので、撮影してあげました。少し離れたところから望遠で撮影することで、富士山を実際より大きく見せることができます。もちろん、私も同じ位置から同じ画角で撮影してもらいました。そして昼食ですが、山頂広場はほとんど展望がないので、西の小さな峰に行きました。1〜2分で行けて、しかも眺望は抜群です。
蛭ヶ岳、同角山稜、鍋割山稜、塔ノ岳などをひとしきり眺めました。既に正午。空腹でしたが、私は団子より花なのです。そして風の当たらない場所に小さなピクニックシートを敷き、昼食にしました。メインは調理パンと菓子パン。まだ熱々の紅茶でいただきます。美しいものに取り囲まれ、狭いピークですが、最上の特等席でした。これで木々の小枝に霧氷があったらと思いましたが、それは欲張り過ぎ。丹沢山まで来られた方々は、この小ピークまで足を延ばすことをお奨めします。
あまりに気持ちのよい陽だまりで、つい長居をしてしまいました。きょうの日没は17時8分です。腰を上げて、帰途に着きました。ところで、バス利用の場合、丹沢山から最も早く下山する道は、来た道を大倉まで戻ることです。まず、塔ノ岳を目指し、南に向かいました。すると、来た時は普通に歩けた道の雪が、解け始めています。いたし方ありませんが、先が思いやられました。
竜ヶ馬場に、大型カメラを据え付けて、大山を狙っている人がいました。もともと姿のよい大山ですが、午後の光線を受けて、そのすべての尾根や谷がくっきり豊かなボリューム感を現わしています。私は大山西尾根の峰々を目で辿り歩きました。その手前には巨大な生きものの背のような長尾尾根。右に三ノ塔。背景には東京湾と房総半島まで含めた関東平野。江ノ島は見えて当たり前という感じです。私のコンデジでどこまで写るか分かりませんが、すてきな大山の姿を持ち帰ることにしました。
日高への登り道では、何度も北を振り返りました。丹沢山を隠した竜ヶ馬場と、蛭ヶ岳を隠した不動ノ峰。ここから眺めると、どちらも主役のように堂々とした山容です。カメラを向けると、雪のまぶしさがレンズに入って、北の空が見た目以上に濃紺に写ります。右手には、太礼ノ頭を除く丹沢三峰が、大相撲の三役のように控えていました。崩壊地では、コガラの群れと遭遇。ゴヨウツツジの芽をついばんでいるのでしょうか。確認はできませんでした。
塔ノ岳に戻ると、4〜5歳の女の子とお父さんの二人連れが、丹沢山方面に向かうところでした。一瞬自分の目を疑いつつも、見れば女の子の足取りはしっかりしています。これには感動しました。「(私)きょうはどちらまで行かれるのですか?」「(お父さん)みやま山荘に泊まる予定です。」「(私)ぬかるみに気をつけてね!」と言って見送りました。私が娘と始めて山を歩いたのは、7歳(小2)のとき、三ノ塔への日帰りでした。この親子はその後、丹沢主脈か主稜を歩き通されたのでしょうか。情報があれば、知りたいところです。
塔ノ岳山頂には、まだ多くの人がいました。風も治まっています。海の上には雲が広がり、水平線が霞んでいました。でも小田原から湘南の平野部はすっきりと見渡せます。夜景もきれいなことでしょう。午後の太陽が、塔ノ岳から三ノ塔へと連なる表尾根に躍動感を与えていました。
下山を始める前に私は、念のため軽アイゼンを装着しました。ぬかるみで滑らないためです。これはアイゼンの本来の使用目的ではありませんが、ほとんどの人が使っていました。ただし、木道を傷めるし、積雪や凍結がない場所では、山の表土を荒らす恐れもあります。私は花立山荘まで行って、軽アイゼンを外しました。泥んこ道では、アイゼンではなく、ゲーター(スパッツ)の出番です。
大倉尾根の下りでは、左足の靴紐が何度も解けました。結び目にねっとりした泥が浸み込んで、紐の摩擦係数が小さくなってしまったのでしょう。いくらきつく結び直しても、同じでした。ぬかるみは表丹沢のめい物です。いたるところにあって、靴はドロドロ、もうあきらめるしかありません。でも後から来たトレイルランナーは、ぬかるみの中を軽快に走って行きました。それを見て思ったのは、「凄ワザだ!」 私は、泥濘の道をあんなに速く走れません。
大倉尾根や表尾根などで、特にぬかるみの激しいところには、もっと木道を増設してはどうかと思いました。「では、そのコストは誰が負担するのか? もし入山料か通行料を徴収する場合、いくらまでなら支払ってもいいかな? 一人100円? それじゃとても足りないだろう。1000円は払いたくないな。…」あれこれ考えながら、大倉バス停に戻って来ました。時間調整がうまくいって、バスの発車時刻の5分前に到着することができました。
美しい山の記憶が、泥んこ山の記憶で上書き保存されてはいけません。帰宅してから、この日の写真を何度も見返しました。そして、このような山行記をまとめることで、すべての記憶がそれぞれの意味づけを伴って、順序よく整理されて行きます。未来の自分への記憶遺産です。
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