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診療所尾根・廃道偵察

風巻ノ頭より望む焼山

風巻ノ頭より望む焼山

診療所尾根とは、道志川水系、寺入沢本流の左岸尾根のことです。

鳥屋分岐から奥野隧道に至る旧登山道は、各所で崩壊が起きているため、「通行止め」もしくは「廃道」の扱いになっています。

この記事で言う風巻ノ頭は、東海自然歩道の通る風巻ノ頭(1077m)とは別の峰です。

バス停 神奈中バス: 橋本駅 → 三ケ木(乗り換え)
バス停 神奈中バス: 三ケ木 → 青野原診療所前 登山口
バス停 神奈中バス: 橋本駅 ← 鳥居原ふれあいの館 登山口

地図 地理院地図: 風巻ノ頭 ,

天気 風巻ノ頭の天気: 相模原市緑区 , 青野原

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コース & タイム 鉄道駅 橋本駅 バス停 9:12 == 9:45 三ケ木 バス停 10:00 == 10:15 青野原診療所前 10:17 --- 10:23 変形四叉路 10:23 --- 10:37 鉄塔372号 10:37 --- 11:18 536m峰 11:19 --- 11:52 640m峰 11:54 --- 12:03 露岩 12:03 --- 12:27 風巻ノ頭 12:43 --- 13:02 アカマツの鞍部(旧登山道偵察)13:14 --- 13:36 760m峰 13:36 --- 13:41 平戸4.4km倒壊道標とベンチ 13:50 --- 14:15 風巻ノ頭分岐(アカマツの鞍部)14:15 --- 14:29 土管のあるベンチ 14:29 --- 15:16トラロープつき階段 15:18 --- 15:28 温度計のある屈曲点 15:29 --- 15:42 平戸1.7km分岐 15:42 --- 15:52 平戸・奥野隧道分れ道 16:02 --- 16:36 柏原登山口 16:36 --- 17:08 鳥屋バス停(登山終了)17:15 --- 17:25 鳥居原ふれあいの館 バス停 17:45 == 18:40 橋本駅 鉄道駅
※歩行時間には小休止と写真撮影の時間が含まれています。
風巻ノ頭/カサマクノ頭 かざまきのあたま/かさまくのあたま:標高 745m 単独 2018.12.28 全 6時間51分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢❢

12月28日(金)今季東丹沢ヒル休み山行第3弾。青野原診療所前から風巻ノ頭まで診療所尾根を登り、その後は偵察を兼ね、柏原登山道を辿って下山しました。診療所尾根は、取り付きの下調べが必要ですが、一旦尾根に乗ってしまえば、後は一本道。崩落もなく、眺望を楽しみながら楽しく歩けました。他方、柏原登山道は各所に大小の崩壊があり、「通行禁止」措置には十分な理由があると思いました。東丹沢登山詳細図では「廃道」と記されていますが、納得です。

青野原診療所前から、「診療所尾根」へ

「診療所尾根」というユニークな名は、何に由来するのでしょうか? 昔のことは知りませんが、現在の相模原市立青野原診療所は、その尾根の末端付近、道志川の河岸段丘にあります。普通なら「寺入沢右俣左岸尾根」とか「寺入沢本流左岸尾根」と呼ぶところですが、聞けば「それ、どこ?」となるでしょう。「診療所尾根」と呼ぶ方がインパクトで優ります。という訳で、この記事でも「診療所尾根」と呼ぶことにします。

ところで、Web上で「診療所尾根」の山行記を検索しても、診療所前から登った、あるいは診療所前に下りた、という情報が見当たりません。スタート地点/ゴール地点の記述が詳細でなく、あまり参考にできないのです。ところが、s-okさん(岡澤重男氏)の記事、「新緑が清々しい、焼山北尾根-焼山-黍殻山-ガタクリ峰-宮ケ瀬 2001年5月5日(土)」に具体的な記述を発見。この記事のおかげで、スムーズに診療所尾根に乗ることができました。

診療所尾根への取り付きのチェックポイントは、「青野原診療所前バス停」「青野原郵便局」「100m先の裏路地」「石仏のある変形四叉路」「廃屋風の家」「送電線巡視路」です。鉄塔372号付近では、思いがけず素晴らしい展望がありました。石老山と高塚山、道志河岸段丘の集落、石砂山などを一望できます。鉄塔下から鹿柵扉を通り抜け、診療所尾根の末端を右旋回で巻いて行くと、目の前でヤマドリが、1羽、もう1羽と飛び立ちました。きっと夫婦なのでしょう。

診療所尾根、なかなかいいぞ

診療所尾根の東面に出ると、鉄塔372号と373号を示す黄色の小さな標識がありました。ぽかぽか暖かな日差しがたっぷりとあります。この日は、強い北風が吹いていたのですが、風が完全に遮られ、うれしい春の雰囲気。日だまりの道に、落ち葉をサクサク踏みしめて行くと、左手に木製の祠がありました。拝観してみましょう。祠の中に石碑があり、「山丑宮」あるいは「山五宮」と刻まれています。そして祠の先にも道が続いていました。元の道に戻り、先に進みます。

どこかで診療所尾根に乗らなくてはならないと思ったので、行く手に焼山の見える曲がり角で、右に上がりました。笹をかき分けて上がったところは、小さく盛り上がり、赤帽白杭に335と書かれていました。北に続く道がありますが、475m峰を経て、東開戸に至る道だと思われます。この赤帽白杭335から南に下りて行くと、すぐに元の道と合わさりました。つまり、急いで尾根に上がらなくても良かったのです。

これより、地理院地図に示されている尾根道を南に進みます。右手に石砂山と西沢大橋を望め、さらに少し進むと、権現山や雨降山が望めましたが、いずれも煩雑な枝越しにしか見えません。冬枯れの季節でないと展望は苦しいでしょう。杉・檜の林を登ると、林業作業員が腰を下ろして休憩したような小広場がありました。ここが地図上の536m峰だと思われます。杉・檜の林を抜けるとまた展望があり、右手に湯ノ沢峠、左手に高取山と仏果山の山なみを望めました。

診療所尾根、ますますいいぞ

再び杉・檜の林に入り、標高640m+の小峰に登ると、右から幅広の尾根を合わせました。短い赤杭と黄杭が、2本ずつ打ってあります。そしてここから10分ほど歩き、大きな露岩の下にやって来ました。幸い、通行に支障はありません。しかし、その先5分ほどで、岩稜にぶつかりました。はじめこの岩を直登したのですが、右手に紫色のテープが見えたので、戻ってよく見ると、岩稜の右(西)側に巻道がありました。巻道は少しザレていますが、注意して歩けば大丈夫です。

その岩稜をクリアすると、オリーブ色の鳩が飛んできました。「いらっしゃいませ」と言っているみたいです。そして風巻ノ頭に到着。頂上の松の根本に腰を掛け、お茶とおやつにします。荷物を軽くするため、通常の昼食は持っていません。折しも風が止んだのか、「風巻」らしからぬ穏やかな峰。特等席にただ一人、焼山やら丹沢三峰を眺めれば、小惑星に一人住まいする星の王子様のような気分です。来てよかった!と、つくづく思いました。

きょうの第一の目標は達成しました。ここまでは「大名登山」と言ってもよかったでしょう。リュックを背負い、先に進みます。少し下ると、アカマツの多い鞍部に至り、旧登山道と出合いました。この先は、山と高原地図に「展望よい」「スリップ注意」と記されている区間です。様子を見ながら進んで行くと、道形が薄れ、斜面と同化していました。ズルッと足を滑らせれば、蟻地獄のような深い谷に落ちかねません。一旦引き返し、尾根道を進むことにしました。

旧柏原登山道、ヤバイぞ

アカマツの鞍部から760m峰に取り付きます。急登と倒木で少々骨が折れたものの、展望に優れ、楽しく歩けました。そして、760m峰と桃ノ木沢ノ頭の間の鞍部で、再び旧登山道に合流しました。ベンチの手前に倒壊した道標があり、平戸4.4km、焼山2.3kmと読めます。760m峰越えで少し体力を使ったので、ここのベンチでまたお茶飲み休憩にしました。きょうはここまで。下山は旧登山道を歩き、ここから平戸までの区間を偵察します。大名登山は終わりました。

いよいよ旧登山道を歩きます。まずはお楽しみの「展望よい」区間。なるほど、宮ヶ瀬湖、栂立尾根、丹沢三峰など、すてきな展望がありました。でも続いてすぐに「スリップ注意」の区間。慎重に踏み跡を辿ります。地面が固ければ、靴底の全面を使って、静止摩擦を最大限にします。少しでも足元が崩れる気配があれば、キックを強く入れて、足場を確保しながら進みました。こんな箇所が何度も繰り返し現れるのが、旧登山道の現状です。「廃道」表記に納得しました。

アカマツの鞍部の直ぐ先、風巻ノ頭への尾根道を左に分ける地点には、ピンクのテープが立ち木に結ばれていました。旧登山道は直進ですが、こちらにもピンクのテープがあります。10分ほど先で、笹の繁る明るい道をしばらく歩き、半壊したベンチに至りました。何のためか、茶色の土管が立っています。このベンチの手前で道が左に折れるのですが、山と高原地図ではここに(迷)印があり、うっかり直進して「倉沢側に下らないこと」と記されています。平戸まで3.7km。

旧柏原登山道、まだまだヤバイぞ

さて、とても歩きやすい道になりました。このまま平戸まで、良い道が続くのでしょうか? 道が真東に転じると、正面の高みに、平坦な尾根が見えてきました。その稜線には、ちょっと散歩道でもありそうな趣があります。柏原ノ頭とエンナミノ頭をつなぐ尾根でしょうか? もしそうなら、その尾根の左端の盛り上がりは、エンナミノ頭のはず。そして土管のあるベンチから10分ほど歩いた頃、茶色の道標がありました。「足元注意、ゴミは持ち帰り」と書かれています。

茶色の道標から4分ほど先、左手の谷越しに診療所尾根を望めました。フラットな稜線の辺りだけに日が当たっていますが、あそこが640m峰でしょうか。ふと、自分の影が長くなってきたので振り返ると、早くも太陽が隠れてしまいそうでした。時刻は14時46分。真っ暗になるまで、あと2時間ほど。この時点では、まだ十分な余裕があると思っていました。次に見た道標は、平戸3.0km。アップダウンのない道だとはいえ、平地換算で6~9km。道草を食う時間はありません。

その後、2ヶ所で小沢を横断しましたが、いずれも道形が崩れていました。さらにトラロープが設置された急下降がありましたが、ここには朽ちた階段がわずかに残っていました。トラロープは比較的新しそうで、数十cmごとに結び目が作ってあるので、大いに助かりました。間伐(?)による丸太がたくさん転がっていますが、切り口が新しいので、林業作業員が活動していることが伺えます。これは安心材料。でも彼らが持っている作業径路図を、私は持っていません。

トラバース道 vs 尾根道:その長短

トラロープから10分ほどで、道が左に屈曲する地点に来ました。幾つもの目印テープに加え、白い小さな温度計が立ち木にぶら下がっています。ちなみに温度計を見ると、1℃でした。ここは、柏原ノ頭の南西尾根を巻く箇所。地理院地図の破線を見ると、この尾根を北東に登れば柏原ノ頭へ、南西に下れば倉沢の二俣で桃ノ木林道に続いています。この屈曲点は柏原登山道の要所で、最近まで平戸2.3km、焼山4.4kmを示す道標が立っていたはずです。

その屈曲点から約6分で、平戸2.0kmの道標と、白い金属製の道標が向かい合って立っていました。後者には、焼山1時間30分とあり、支柱には鳥屋青年団と書いてあります。この旧柏原登山道が、整ったハイキング道だった頃の名残りでしょう。全国各地の山中に残る峠道のように、アップダウンを極力避け、効率よく往来できるように斜面をトラバースする道。でも地質、地形、植生、気象条件などによっては、崩壊しやすいのが弱点。尾根道と対照的です。

道幅が広くなりました。約2mの幅があります。元林道でしょうか? その先、平戸1.7kmを指す倒れた道標で、右に鋭角で下る道を分けながら左折します。すると、半原高取山から華厳山までの山なみに西日が当たっているのが見えました。鶴峠から奈良倉山に登る道と似てるような気もします。その先で谷の横断があり、当然のように道が崩れかけているのですが、ここだけはトラロープが極めてしっかりと固定されていました。林業関係者が設置したのかも知れません。

旧柏原登山道、まだまだヤバイぞ

東海自然歩道の鳥屋分岐にあるのと同じ、白看板の注意書きが立っています。「4.3km先、登山道崩落のため通行できません。」そして、ここで旧登山道が上下二手に分かれます。上の道は平戸への近道、下の道は奥野隧道近くの登山口へ。下の道は幅広なので、歩きやすいだろうと思って行って見ると、相変らず中~軽度の崩落が見られました。戻って、上の道に上がってみると、こちらも似たり寄ったり。少し思案して、より広い下の道を下ることにしました。

午後4時を過ぎると、太陽が西の稜線の彼方に沈み、黄昏の空になりました。急げど慌てずのペースで進んで行きます。もちろん、崩落個所では無茶なことはせず、慎重に通過しました。そもそもこのルートは通行禁止なのです。光量不足で、崩落地を撮影することもやめました。とにかくこの道は、ヘッデンを点けて歩くような道でないことは確かです。4時36分、幸い光のあるうちに、林道奥野線に下り立つことができました。平戸までは、緩い下り坂を約15分の距離です。

午後5時8分、すっかり暗くなった鳥屋バス停にゴールイン。次のバスは5時41分です。待ち時間が長いので、鳥居原園地まで10分ほど歩くことにしました。耳をつんざくエンジン音を立て、爆走族が走って行きます。鳥居原園地でバスを待つ間、夕闇の下りた宮ヶ瀬湖と、濃紺の空に輝く星を眺めながら、まだ温かかった紅茶を飲み干しました。今回は偵察のため、ひたすら旧登山道を辿ったけれども、次回は尾根道だけを歩いてみようかな、とか考えながら。

木の葉ライン

↓ 紙芝居



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