奥多摩の都県境尾根の東端には「成木尾根ハイキングコース」がありました。今も多くの私製の道標があり、また迂回路には赤い矢印の標識が随所に設置されていて、見落としさえなければ、進路に悩むことはないでしょう。
成木尾根は、峰の登頂や展望を楽しむよりも、人々の暮らしとの関わりの跡を訪ね歩く、低山特有の魅力を連ねています。採石場があるので、尾根歩きを貫徹することはできませんが、これも学習教材になるでしょう。
都バス: 東青梅駅 → 高土戸(たかつと) 都バス: 東青梅駅 ← 成木一丁目自治会館前
地理院地図: 成木尾根・トヤハケ
成木尾根の天気: 青梅市 , 青梅駅 , 成木
レポ: ノボリオイゾネ , 三方山・オキジョウゴ
先週、ニホンカモシカとの出遭いを求めて、ノボリオイゾネを歩きましたが、出遭えませんでした。手軽に僥倖を得られるものではなさそうです。そこで、今回はより長い成木尾根を歩いてみることにしました。低山なので、茂みの少ないうちに実行したいものです。果たして、今度こそカモシカと出遭えるでしょうか?また、無事に終点の安楽寺に辿りつくことができるでしょうか?
12月9日、午前7時40分、東青梅駅北口で上成木(かみなりき)行きの都バスに乗りました。乗客は私一人だけ。この路線もやがて運行本数が減って、いつか廃止になるのではないかと心配です。その後だれも乗らず、私を高土戸(たかつと)で降ろしたバスは、空っぽになって上成木へと走り去りました。
成木街道を上成木方向に2分ほど歩くと、右手に「高土戸入林道」の入り口がありました。鎖を跨いで入ります。上の方から犬を連れた熟年男性が下りて来ました。「おはようございます」と声を交わして、以後下山するまで誰とも出会いませんでした。しばらく進むと、2羽のキジが林道を歩いていました。私に気がついて、右と左に走り去りましたが、直後に左のキジが大きな羽ばたき音を立てて右に飛んで行きました。
久方(くがた)峠の取り付きは、今年の5月に大仁田山に行ったときにも通ったのですぐに分かりました。茶の木がたくさんあります。先週、なちゃぎり林道を歩いて、茶の木を意識するようになりました。その後も、成木尾根の各地で茶の木を見ることになります。
久方峠で準備運動を少し念入りに行いました。白いブリキ板に黒ペンキの案内標識が立ち木に取り付けられています。同様の標識はその後もずっと、数多く見られ、大いに助かりました。ただ、この標識の矢印は、必ずしも正確な方向を示しているわけではありません。予めこの山域の概念図を頭に入れておくことが必要だと思います。また、採石場の迂回路では、赤い矢印の標識がこれに代わって道案内してくれます。もちろん地形図が必携なのは言うまでもありません。
「都県境成木尾根ハイキングコース」と書かれた防災ポイント番号を示す標識が、ところどころに立っています。かつては、れっきとしたハイキングコースだったのでしょう。久方峠から東へ尾根道を登って行くと、北面の枝越しに集落を見下ろせました。小沢と久林かと思います。そしてすぐに雲ノ峰に到着しました。展望はありません。明るく落ち着いた雰囲気は好ましいのですが、季節の恵みによるところが大きいでしょう。
雲ノ峰から東方に一旦下がると、これまた茶の木の多い鞍部に至りました。この鞍部から南方に下りる道を右に分けます。ここを直進して少し登り、そこに立つ標識に従って右に折れ、やや急になった尾根道を登り詰めると大峰山でした。今年のゴールデンウィークに来た時は、暗い山頂だという印象を受けましたが、ここも季節の恵みを受けて変貌していました。青い空から地面の落葉に光が降り注ぎ、枝越しながら北面に奥武蔵、南面に青梅の山々を望めました。
大峰山から大仁田山の方向に進み、8分ほど歩くと、成木尾根経由で安楽寺方向を指し示すブリキ標識がありました。行く先を見ると、倒木などでゴチャゴチャした斜面が見えるだけで、もしこの標識がなければ、ここが分岐点だと簡単には気付かなかったと思います。あたりの見通しは良くないので、地形図とコンパスだけでは判断に迷いそうですが、こんな箇所が成木尾根には多くあります。標識の描き方は必ずしも分かり易くはありませんが、標識を付けてくれた方々には感謝です。
ブリキ標識には、成木尾根が中断していることと、迂回路のあることが書き加えられていました。地形図を見ると分かりますが、採石場が稜線上まで迫っているので、尾根歩きを貫くことは難しそうです。では都県境を辿ることができるかといえば、採石場の北に都県境ラインが張り出した部分には、谷越えで標高230mあたりまで下がるなど、疑問なところがあります。まあ、現場に行ってみないと分からないこともあるでしょう。どんな道があるのか、楽しみにして行くことにしました。
504m峰の先、送電鉄塔43号下では、ちょっとした展望がありました。ずんぐり特徴的な雷電山から延びる青梅丘陵ハイキングコースの山稜、その手前には先週歩いたノボリオイゾネが望めました。あのすばらしいパノラマを満喫した428m峰は、ここから見ると三角山に見えます。伐採地はハゲ山になって、一時的に好展望を提供しますが、やがて植林が大きく育って元の緑の山に戻って行きます。ノボリオイゾネを眺めると、明峰、名峰、迷峰、冥峰、いろいろな言葉が連想されました。
鉄塔43号を過ぎると、しばらくなだらかな尾根を歩き、やがて急降下になりました。下りきった鞍部には、わずかながら湧き水があり、ここが水口(みずのもと)だと思われます。湿った鞍部の先に見える道に進み、わずかに登ると水口峠がありました。かつて祠があったというご神木の双樹は健在で、今こそ木の精が宿っているようにも思えます。ご神木を反対側から見ると、被雷でもしたのか、黒い焦げ跡がありました。ここのブリキ標識2枚には細かい文字でふりがなや加筆がありますので、一応読んでおきましょう。
水口峠から20分ほどで、「栂(つが)のもと」(黄楊峠=つげとうげ)にやって来ました。杉の巨樹の根元に木製の祠があります。青い屋根もまだしっかりしているように見えましたが、今でもお参りに来る人がいるのでしょうか。正月直後に来れば、注連縄やお神酒が供えられているかもしれません。ところで、どこかに栂の木か黄楊の木があるのでしょうか?栂と黄楊は全く異なる植物ですが。この黄楊峠から南に、谷すじを通って成木六丁目の梅ヶ平バス停に続く道があるようです。
黄楊峠を後にして、緩やかに登り始めると、栂の小枝が落ちていました。見上げると、栂の木が立っています。何ごとの不思議はなけれど、「ああ、あった!」と思いました。ここは樅の木とともに、整然とした並木道風情になっていて、私の「お気に入り」の道になりました。振り返ると、枝越しに峰々が見えましたが、先ほど通過した504m峰と大仁田山(505m)でしょうか?
さて、その先トヤハケの峰の前後には、いろいろな美しい樹木がありました。この辺りでは思い煩うこともなく、軽快に歩けたのはよかったのですが、ふと、それまでずっと手に持っていた地図を持っていないことに気付きました。地図なしでは歩けません。迷わず引き返すと、小さなキノコを撮影した場所に、落とした地図がありました。撮影したときに小脇に地図をはさんで、そのまま忘れてしまったのです。そして、気を引き締めて進み直すと、いよいよ堂所の分岐にやって来ました。
堂所から「安楽寺」を指す道標にしたがって南東の尾根に進めば、大きな採石場に行き当たります。その先は立入り禁止になっているはずです。自己責任で前進できなくはないかも知れませんが、記事に書けば誰かが真似するかも知れません。道義的責任が生じます。一方、都県境に沿って北東の尾根に進めば、成木尾根から大きく逸れてしまいます。下りた谷から登り返すことができるかどうかも分かりません。
実は、山中で思案しなくてもいいように、中間の迂回路を歩くことに決めてきました。一旦、採石場の方向に進みます。少し歩くと、左手の谷すじに下りる道があり、その入口に「この先尾根道」と書かれた赤い矢印がありました。この赤い色はずいぶんと色あせています。そろそろどなたか塗り直してくださるといいと思います。私は赤い矢印に従って、谷に下りて行きました。
さて迂回路ですが、ひたすら下るばかりで、尾根に取り付く気配がありません。どこまで下るのか、本当に迂回路なのか、心配になってきました。おまけに障害物競走のように倒木をくぐったり、巻いたりしなくてはなりません。はじめの赤い矢印から10分あまり下ると、ようやくまた赤い矢印があり、右手の小さな沢を指していました。沢の水は少なく、飛び石もあります。簡単に渡渉して、沢右岸の尾根に登る道へと進みました。このあたり、青々としたマツカゼソウが目立ちました。
登る途中で「間野バス停(15分)」を指す標識を見て、その反対方向に尾根を登り詰めると、採石場の真上(正木峠付近?)に出ました。「採石事業区域につき立入り禁止」と書かれた看板がありますが、ここで引き返すわけには行きません。ただ恐ろしく見晴らしの利く場所なので、丸太に腰を下ろして昼食にしました。このとき11時55分でしたが、正午には昼休みになるはずです。そのとき、進路を探すことにしましょう。ぽかぽか陽が当たって、発破がなければ休憩の好適地だと思いました。
さて、採石場が静かになったので、覗き込んで見ました。山が大きく削り取られているのは痛々しいものです。確かに私たちはセメントの時代に生きていて、地震大国の日本のみならず、コンクリート文明の恩恵は多大なものがあります。でも将来、採石場の北進を想定して、都県境線がぽっこり北に張り出しているのでしょうか。そして成木尾根は完全に分断されてしまうのでしょうか。仮にそうなったとき、カモシカと人はどこを歩けばいいのでしょうか。
昼食を終え、東側を探索してみました。北東方向に谷を下りる道があります。尾根歩きは無理だと思われたので、この谷道を下りることにしました。多分、これが正しい迂回路でしょう。ところが、はじめ山道らしかった道が薄い踏み跡になり、そのうち踏み跡も定かでなくなってしまいました。仕方がないので、はっきりした踏み跡に出合うまで、最も歩き易そうなルートを選びつつ下りていったら、目の前の立ち木にちゃんと赤い矢印がありました。
ひとしきり谷を下りたような感じがする頃、やっと登り道に出合いました。ほっとして登って行くと、要所要所に赤い矢印もあります。ただ矢印の方向は逆を向いていて、矢尻に向かって進むようになりました。思うに、私が歩いた迂回路は両端から中間ポイント(採石場の真上)に向かってV字形に付けられ、二つ合わせてW字形だと言えます。まず下って次に登って、また下って登ることになります。所要時間はそれぞれ24分ずつでした。これには地図読みの時間がかなり含まれています。
ようやく迂回路の東端にやって来ました。ここにも「立入り禁止」の看板があります。この看板から安楽寺に向かって東に進むと、すぐ先に「発破警告」の看板がありました。午前9時〜12時と、午後1時〜5時にかけて発破を行うと書かれています。逆コースで来た場合、この看板の前で停止してしまうと、迂回路に進めません。看板の左上にとても小さな字で「↑小沢峠方面へ」と書かれているのを見て1分だけ進めば、「立入り禁止」看板の手前で、右手に迂回路が見つかるはずです。
「発破警告」の看板から1分半ほど進むと、「都道へ→」と書かれた標識があり、「久道」と加筆されていました。安楽寺へは左(北)に進みます。さらに4分ほど進むと、尾根上に色鮮やかな赤い杭(境界標)が打ち込まれていました。左から都県境を合わせるポイントです。これより先は終点まで赤い杭を追って行けばよいと思ったのですが、しばらく行くと鮮やかな色の杭はなくなって、色あせた杭がまばらにあるだけになりました。でも道はとても歩き易くなりました。アップダウンもありません。
「発破警告」の看板から25分ほど歩くと、左手にゴルフ場が見えてきました。最奥のホールらしいグリーンがあります。これよりゴルフ場の境界沿いに、落葉の積もった散歩道をサクサクと歩き続けました。成木尾根は、採石場の西と東とで、別世界のように様相が異なっているのです。やがてオレンジ色の東屋の傍にやって来ました。ログハウス風のきれいな東屋ですが、有刺鉄線の向こう側です。ここで最後の休憩を取りました。
私はここで脳内コンパスが狂ったのか、都県境を離れ、右手の里山道に進んでしまいました。すぐに道を間違えたことに気付きましたが、戻るのが面倒な気がして、そのまま畑地まで下りてしまいました。もしあの採石場がなくて、迂回路を使わずに成木尾根を縦走してきたのなら、きっと戻って「都県境成木尾根ハイキングコース」を貫徹していたと思います。それはともかく、下山時のご褒美のように出現する、のどかな里山風景はうれしいものです。疲れた足の緊張モードも解除されました。
道中を絶えず誘導してくれた三文字である「安楽寺」までは行こうと思いました。集落内の道を歩いて行きます。大多摩霊園の入口前を通過し、「安楽寺通り」という道に入ると、安楽寺の大杉が見えてきました。水口峠や黄楊峠の杉よりも大きいのでしょうか。長い支え木で斜め下から支えられています。そして美しい萱葺きの門を通って、ゴールイン。安堵の空間に入ります。本堂の長い縁側廊下に行き、しばしのくつろぎタイム。次のバスまで20分ありました。
安楽寺で一休みすると、裏手の尾根に行って見ました。寺の東側から北に進みます。寺の裏山が切れ、畑地に変わる地点に「成木尾根ハイキングコース」と書かれた道標が立っていました。きょうの山歩きの終点となるはずだった場所です。今回も最後に少し計画ルートを逸脱しましたが、さまざまな魅力に触れることができ、感謝の一日でした。またしてもカモシカと出遭えませんでしたが、いつか出遭えることでしょう。青梅の山がますます好きになりました。
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