三浦半島には、海を眺めるのにちょうど好い低山がいくつもあります。時間があれば、山と海との両方を訪れることもできます。
衣張山には、頼朝・政子夫妻が暑い夏の日に、白い布で山を覆わせて、冠雪の山に見立てたという伝説があります。
京急バス: 鎌倉駅 → 杉本観音
地理院地図: 衣張山
衣張山の天気: 神奈川県鎌倉市
9月10日、三浦半島方面に所用で出かけた機会に、鎌倉の衣張山を歩いてきました。ついでに登山口の杉本観音と、下山口の法性寺(ほっしょうじ)も訪れてみました。
鎌倉駅から杉本観音まで歩いて行くつもりでしたが、駅の改札口を出ると目の前の5番乗り場に金沢八景駅行きバスが来ていたので、乗ってしまいました。バス賃190円で、約20分の節約です。杉本観音バス停で降りたのはいいのですが、さて、どちらに行ったらいいのやら。とりあえず、杉本寺に行くことにします。バスの進行方向に歩くとすぐ左手に寺の入口がありました。案内板に「鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。」とあります。
「山門復興奉納金大人200円、小学生100円」と書かれた板が石柱にくくりつけてあります。石段を登った先には、萱葺きの屋根が見えますが、ここには真っ赤な体の大きな仁王様が仁王立ち。近くに白いサルスベリが咲いています。仁王門をくぐった先の石段は、ものすごく古びていて、まるで古代遺跡のよう。丹沢の大倉尾根ほどではありませんが、激しくすり減っています。この歴史的な価値のある石段を保存するためでしょう、今は通行止めになっています。使用期限はとうに切れていますが、賞味期限は半永久的です。
本堂には、行基が彫ったと伝えられる十一面観音像が安置されているそうです。でも、秘仏なので私たちが拝顔することはできません。円仁、源心御作の像と合わせて三体の十一面観音像があり、鎌倉時代に起きた火災の折の伝説があります。何と、三体の御本尊が自ら庭内の大きな杉の木の下に避難したそうです。これは見たかったですね、畏怖で腰が抜けたかも知れませんが。本堂内は撮影禁止。参拝と見学のみです。
本堂の東側、杉の木の下には、五輪塔がたくさんあります。全部で百基ほどもあるでしょうか。いずれも苔が生して、それぞれに魂が宿っていそうです。本堂の西側に回ると、富士山が見えました。南方に見える低い山が衣張山でしょうか。山頂まで濃緑の樹木が繁っています。寺社の建立には、風水が考慮されています。台風の襲来時など、衣張山が杉本寺を守ってきたのでしょう。あの山頂に立って、広い海を眺めるのが、きょうの楽しみです。
バス通りに戻り、門前左手の信号から滑川(なめかわ)に架かる犬懸橋(いぬかけばし)を渡ります。滑川沿いの道を、先ほど眺めた衣張山を目指して南の方向に歩いて行きます。3分ほど歩いたら、「上杉朝宗及氏憲邸址」(うえすぎともむねおよびうじのりやしきあと)と刻まれた石碑の立つ辻にやって来ました。案内標識では、右に進むと、「釈迦堂口切通(通行禁止)」となっています。興味をそそるので、道草ですが行って見たくなりました。途中までしばらく「田楽辻子(でんがくずし)のみち」を歩きます。
石碑から7分ほど歩き、釈迦堂口切通にやって来ました。「がけ崩れのため通行禁止」と書かれたバリケードがあり、その手前から見ることができます。倒木もあって荒れた雰囲気ですが、トンネル状の切通しのある岩壁は、大きくて見ごたえがあります。修復工事が行われている様子はありませんが、いつか修復が終わったら通り抜けて見たいと思いました。
石碑に戻り、再び衣張山を目指します。宅地を通り抜ける道が細くなり、すぐに登山道が見えてきました。右手の電柱に、「浄明寺一丁目12」と住居表示があります。左手の立ち木には、「平成巡礼道」と書かれた板が取り付けてありました。
登山道はやや湿気があるものの、樹木のおかげで、多少涼しく感じられました。シュウカイドウの赤い花と、フジカンゾウの藤色の花が、その色で眼を引きますが、数は多くありません。ほとんどはヤブミョウガとシダ類が、樹下の暗がりで勢力を誇っていました。
あまり早く山頂に着き過ぎないように、ゆっくりと登ったつもりでしたが、登山口から14分で衣張山の北の峰に着いてしまいました。あっけないのですが、鎌倉市の山はこんなものです。でも明るく、気持ちのよい山頂です。西方を見やると足下まで迫る鎌倉市街地、その向こうに広々と青く相模湾、さらに向こうには伊豆半島もうっすらと望めます。江ノ島の右手遠方に箱根の山々、そしてなんといっても形のよい富士山。ずっと右手には、白い大船観音も望めました。
山頂のベンチに、ツマグロヒョウモン(蝶)がいました。翅(はね)がすでにボロになっています。今年の夏も、長く暑い日々でしたが、そろそろ終わるのでしょうか。山頂には2基の五輪塔と、かわいらしい石のお地蔵様が立っています。直射日光を受けて、生身の体だったら暑くて大変なことでしょう。私も先に進むことにします。
北の峰から3分ほどで、南の峰に至りました。白い、小柄なお地蔵様が、ここにも立っています。標高は、地図を見ても眼で見比べてみても、北の峰と同じくらいです。南面から南東面にかけて視界が開けていますが、夏の草が高くぼうぼうと生い茂っていて、展望は苦しくなっています。ただ、北の峰からはよく見えなかった、阿部倉山と二子山が見えるようになりました。青い大空をアオスジアゲハが飛び交いながら、夏はまだまだ終わらないよ、と言っているようでした。ここはちょっと立ち止まるにとどめ、先に進みます。
南の峰から10分ほどで、不意に公園のような場所に降り立ちました。道が左右に分かれ、左は巡礼古道を経て報国寺20分と書いてあります。私は逗子方面に行きたいので、右の道を法性寺に向かいます。この分岐にもかわいらしい石のお地蔵様が立っていました。小町通に立っていれば、「カワイイ!」という声が聞こえてきそうです。木陰で少し小首をかしげて、涼しいお顔をしています。
公園の柵に沿って歩いて行くと、富士山のビューポイントがありました。「関東の富士見百景」という銘板が立っています。真夏らしく、うす青いシルエットの富士山が裾野まできれいに見えています。空気の澄んだ季節には、さぞ美しい富士山が見られるのでしょう。右手には、たった今しがた下りて来た衣張山が目の前です。衣張山に楽に登りたい方は、ここハイランド住宅地が至近距離です。
開放感のある遊歩道のような道を歩いて行くと、かまくら幼稚園から園児たちの元気な声が聞こえてきました。若い命を称えてくれる、青い山と海が見える毎日、こんな幼稚園は素敵ですね。どこからかアカボシゴマダラが飛んできて、枇杷の葉に止まりました。外来種の蝶ですが、近年関東地方のいたるところで見られるようになりました。これも翅がボロになっています。完全にボロボロになってしまう前に、子孫を残し、命が尽きることでしょう。
パノラマ台に来ました。衣張山頂からよりも広い範囲を見渡すことができます。江ノ島も、より見やすい位置に動きました。山の上から広大な海を眺めるのは、大変に気持ちのよいものです。できればここで、日の出や日の入りを眺めたいものだと思いました。
引き続き法性寺に向かって進んで行くと、こんもりと盛り土のような小ピークがあり、逗子方面がよく見えました。山々の手前、市街地に向かってJR横須賀線と平行に走っている道路は、私がこの後で歩く県道205号です。今立っているあたりは、大切岸(おおきりぎし)と呼ばれる昔の石切り場の上に当たります。雨の日など、下に滑り落ちないようにだと思いますが、巻き道も作られています。
さて、法性寺への分岐にやって来ましたが、ここを素通りして、名越(なごえ)の切通しに行ってみます。途中、右手に二つの石廟があり、鎌倉市指定文化財だということです。その先、二つの切通しを通り抜けると、三つ目が名越の切通しでした。狭い部分は人が一人しか通れないので、物流には不便だったと思われます。痩せた牛や馬ならどうにか通れるかも知れませんが、荷車は通れないでしょう。岩の上で敵が待ち伏せていたら怖そうです。四ヶ国語(日、英、中、韓)の説明板が立っていて、「国指定史跡、名越切通」と書かれています。
来た道を戻って、先ほどの分岐点から右の法性寺方面に下ります。大切岸とお猿畠と呼ばれるあたりを左に見ながら進んで行くと、正面の丘の上に五層の石塔が建っています。すぐに法性寺、奥の院に到着しました。奥の院の手前に石鳥居が建っていて、額に「山王大権現」とあります。鳥居をくぐって石段を登ると、五層の石塔の前まで行けました。その台に、日蓮を救出した白猿の伝説にちなむ謂れが刻まれています。最後まで読むと、この石塔は多寳塔(たほうとう)のようです。ここからも、逗子の市街地方面がよく見えました。
奥の院から急な石段を下りきると、法性寺本堂のわきに出ました。小さな前庭に咲いた、白い芙蓉の花が清浄な空気に似合っています。酔芙蓉かもしれません。白木造りの休憩所が設けられていたので、腰を下ろさせてもらいます。これから30分ほど炎天下の車道を歩くのに備え、しっかりと水を飲みます。
私は法性寺の山門から逗子駅まで、線路沿いの県道を歩いたのですが、路線バスも10分程度の間隔で通っていました。逗子八景の一つ、岩殿寺(がんでんじ)に立ち寄ってみようかとも思いましたが、時間がなかったので、アジサイの季節の楽しみに残しておくことにします。午後1時15分、JR逗子駅に到着。短いハイキングでしたが、鎌倉らしさを随所に味わうことができて、満足しました。
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