大菩薩峠は、かつて武蔵国と甲斐国を結んでいた青梅街道の最高点にある難所でした。その道は手形を持たない人々の通る「裏街道」でもありました。
石丸峠も同様で、牛ノ寝通りが「裏街道」として利用されたと思われます。現在の大菩薩峠が多くの訪問者でにぎわうのに対し、牛ノ寝通りは登山者の通行もずっと少なく、今も裏街道らしい趣があります。
栄和交通バス: 甲斐大和駅 → 上日川峠 小菅村営バス: 金風呂 ← 小菅の湯 西東京バス: 奥多摩駅 ← 金風呂(かなぶろ)
地理院地図: 大菩薩峠
大菩薩峠の天気: 大菩薩峠 , 山梨県甲州市
レポ: 小金沢山・牛奥ノ雁ヶ腹摺山 , 大菩薩嶺・大菩薩湖
8月12日(月)、山の友と上日川峠(かみひかわとうげ)から大菩薩嶺に登り、牛ノ寝通りを経て小菅の湯まで歩きました。大菩薩連嶺は明るく暑く、人も多かったのに対し、牛ノ寝通りは暗く涼しく、人通りの少ない道でした。
友人とは高尾駅から同じ松本行き電車に乗り合わせ、車窓の山々を眺めながらおしゃべりをしているうちに、甲斐大和駅に着きました。大菩薩上日川峠線、8時10分発の平日運行便を利用します。下山後に乗る小菅発奥多摩駅行き最終バスは、土休日よりも50分遅い運行なので、小菅の湯にのんびりとつかることができる、という目論見です。果たして、この計画は大変うまくゆきました。
マイクロバスは、補助席を使わずにちょうど満席になりました。小屋平(石丸峠入口)で2名が下車し、他の全員が終点の上日川峠まで乗りました。余談ですが、バスの運転士さんは、上日川峠を、「かみひかわとうげ」と言っていました。この夏の甲子園に山梨県代表として、日川高校(ひかわこうこう)が出場しています。「にっかわ」と重箱読みにするのでなく、「ひかわ」と訓読みにすることが、今後定着するかもしれません。
上日川峠のロッヂ長兵衛前には、大人に混じって小学生たちが10人ほど来ていて、出発の支度をしていました。可愛いリュックを背負って、いかにも夏休みらしい、懐かしみのある光景です。大菩薩峠と大菩薩嶺(または雷岩)を巡る三角形のコースは、登山案内書でも入門レベルになっています。皇太子ご夫妻も登られた名山。ここで入門した子どもたちは、皆山好きになってくれそうな気がします。
準備運動は後ですることにし、まず福ちゃん荘まで、車道に沿った登山道に入ります。ウォーミングアップにちょうどよい緩やかな傾斜を、マイペースでゆっくりと登ってゆきました。背の高いミズナラ、ブナ、カエデなどの繁る林に、幅広の道が造られています。その後も、大菩薩嶺を経て大菩薩峠に至るまで、登山道は幅広になっているか、複線化していました。
福ちゃん荘の前でラジオ体操をし、唐松尾根に進みます。先の長い私たちはゆっくりめのペースなので、他のグループに次々と先を譲ります。しかし、結局は私たちが再び先に立つことになるのは、山慣れしていない人々が多く来ているということなのでしょう。
森林を抜けると、明るく開放感のある道になりました。その代わり、暑さが厳しくなったのはいたし方ありません。南方に遠く伸びる小金沢連嶺や草原の花を見て元気を補います。富士山は影が薄くなり、まもなく雲に隠れてしまいました。ときどき立ち止まって、熱中症予防のために冷たいお茶を飲みます。ほとんど疲労感なく、雷岩に至りました。
雷岩の上で記念撮影をし、大菩薩嶺に向かいます。再び森林に入るのですが、こちらの森は、とても古い森のような雰囲気がありました。山頂まではわずか10分足らずですが、展望が利かないからか、訪れない人も多いようです。せっかく雷岩まで来て、この古びた趣の森を歩かないと、もったいないような気がします。私たちは山頂で再び記念撮影をし、自然林っぽい雰囲気の濃い場所まで少し戻って、昼食にしました。
食べ終わると、先のまだまだ長い私たちはすぐに立ち上がりました。雷岩まで来た道を戻り、大菩薩峠に向かいます。この稜線は西面が明るい草原状になっていて、天候に恵まれれば、すばらしい展望を楽しみながら歩けます。この日はあいにく富士山や南アルプスは見えませんでした。小金沢連嶺の東面は、はるか先まで濃いガスが充満している模様。花はオレンジ色のコウリンカが全盛を誇り、黄色のマルバダケブキ、ハナイカリなどが所どころに咲いていました。
旧大菩薩峠の避難小屋を覗いてみました。土間も使えば、20名ほどは横になれそうです。ここで風雨をやり過ごすようなことにでもなれば、昔日の旅人たちの姿を偲べるかもしれません。現在の青梅街道は柳沢峠の方を通っていますが、旧道はここを通っていたとのことです。賽の河原という地名が残っていますが、このあたりは地獄の一丁目か二丁目のように思われたのかもしれません。
大菩薩峠から丹波と小菅に下る道があります。東面から濃いガスがすぐそこまで来ていて、涼しそうです。ここに立つ標柱の前で、親不知頭を背景に、三度目の記念撮影をしました。峠に建つ介山荘でかき氷が食べられますが、まだ全行程の半分も来ていない私たちは自重します。この山小屋の脇に車が2台置かれているのを見て、少々興ざめ。すぐに熊沢山の登りに取り掛かりました。
熊沢山は山頂の西側を巻いて行きます。南面の防火帯の上部に出ると、晴れていればパノラマ的な展望の利くところです。けれども、眼下に見えるはずのの石丸峠も、向こうの天狗棚山も、真っ白くガスに覆われていました。霧中を通り過ぎるにはもったいないビューポイントなので、ガスが晴れるのをしばらく待ちます。ガスは、連嶺東面の樹林帯を昇ってくる冷えた空気で運ばれてきて、連嶺西面の広い草原から来る温かい空気とせめぎ合っているように見えました。
ガスは執拗に攻め上がって来ますが、いつまでも待ってはいられないので、徐に熊沢山を下って行きました。幸い、石丸峠に下り立つまでに、ガスは退却し、笹原を気持ちよく歩けました。その先、牛ノ寝通りの分岐を左に見て、真っ直ぐ、天狗棚山まで登ってみました。南方を望むと、狼平の向こうに小金沢山が辛うじて見える程度。いつか空気の澄んだ日に、ハマイバあたりまで歩きたいと思いつつ引き返しました。近くで、「ギーー」とコエゾゼミが鳴いていました。居場所を突き止め難いセミです。
天狗棚山から牛ノ寝通りの分岐に戻りました。もし上日川峠に引き返すなら、ここが最後のチャンスです。牛の寝通りに踏み込めば、途中に逃げ道はありません。体調が大丈夫であることを友人と確かめ合い、私たちにとって未知の道へ足を入れました。
牛ノ寝通りは陰鬱でした。ガスが立ち込め、まだ午後1時だというのに夕暮れのような暗さ。もちろん展望はありません。ただ涼しいのと、道幅が広くて歩きやすいのが救いでした。その昔、この道を「裏街道」として利用した人々にとっては、こんな天候こそ都合のよい状況だったのかもしれません。セミも、鳥たちも静寂を守り、山全体が眠っているようでした。
眠れる牛にあまり興趣を見出せなかった私たちはスタコラ歩き、榧ノ尾山以外はほとんど印象に残っていません。大ダワ(棚倉)が近づいた頃、ようやく陽の射す一瞬がありました。その刹那、木々の緑が魔法のように輝き、5秒か6秒後に再び陰鬱の山に戻りました。これも造化の妙です。こんなことが何度かあり、やがてミズナラやブナに混じって、コナラの木もちらほら見られるようになりました。そして、やや調子外れながら、ウグイスの声が聞こえて来ました。
不意打ちのようにどこからか蛾が飛んできて、キスをされてしまいました。幸いイラガではなかったのですが、ドクガだと嫌なので、ていねいに唇を拭いました。「♪お花畑で昼寝をすれば、蝶々が飛んできて…♪」の裏でしょうか。大ダワから小菅への下りも、早足で駆け下りてしまいました。山は時々刻々様相が変化します。もしかしたら、数時間後の牛ノ寝通りは、その美を最大限に発揮していたのかもしれません。次回は新緑かツツジの季節に歩き、ワサビ田経由で下ってみようと思います。
小菅の湯では、「五右衛門風呂」に入りました。浮き板を踏んで湯に浸かるのかと思ったら、ちゃんと底に板が固定されていました。湯ぶねは釜のような形状で、これに入って、釜茹での刑にされたという石川五右衛門の最期を偲ぶという趣向? “…世に盗人の種は尽くまじ”…だったかな?
小菅村営のボンネットバスに乗るのを楽しみにしていたのですが、やって来たのは朝に乗ったのと同じような、マイクロバスでした。でもナンバープレートが白です。運賃は100円均一。金風呂(かなぶろ)でバスを乗り換え、奥多摩駅に着いたときは、とっぷりと日が暮れていました。
Alt + < = 戻る。 Alt + > = 進む。 Internet Explorer では、最後に Enter を押してください。 了解