前道志とも呼ばれる秋山の山々からは、丹沢の山並みと、道志の山並みが折り重なった様が望まれ、さながら堅固な城砦のような重厚感があります。
山稜の北を走る中央線からのアクセスは良いのですが、南側からのアクセスはバスの便が極めて少なく、不便です。いくつかある峠を南北に越える道は、エスケープルートとして使えます。
地理院地図: 矢平山
矢平山の天気: 上野原市 , 梁川駅 , 四方津駅
大地峠の位置についての考察: 大地峠の怪
レポ: 倉岳山・高畑山 , 高柄山 , 秋山二十六夜山
台風18号襲来前の静けさを狙って、秋山山稜の立野峠から高柄山まで歩いてきました。気温が高い上に無風で、かなり体力を消耗しました。一方、いろいろな動植物たちと、この季節ならではの出会いがありました。
梁川駅では、私を含めて3人が下車しました。午前6時半、小さな駅舎を出て、梁川大橋に行きます。橋の上からは、UFOの頭のような矢平山が見えます。その左手には、高柄山から上野原までポコポコと連なる峰々。いずれも重苦しい空の下で、墨絵のようにやさしい濃淡を帯びた無彩色をまとって佇んでいます。
梁川大橋を渡りきると、いかにも仲の良さそうな道祖神が立っています。その左手の林道を進んで行くと、法面に垂れ下がるように、シュウカイドウが咲いていました。都会ではまだ猛暑日に悩まされていますが、この山里はもう秋です。ヒガンバナも真っ赤なのに、何やら涼しげに咲いていました。
倉岳山の入口では、同じ電車を降りた単独男性が小休止をしていました。私はクモの巣を払うための小枝を1本拾い、まだ薄暗い登山道に入りました。ここから月尾根沢に沿って登って行きます。ところどころでヤマホトトギスの花を見かけましたが、どの葉にも小さな穴がたくさんあいているのは何故でしょうか?他に、フシグロセンノウ、カシワバハグマ、マツカゼソウなど、おなじみの花がこの道にも咲いていました。
月尾根沢にはトチの木がたくさんあります。天狗の団扇(うちわ)のような大きい葉と、栗のように大きな種が特徴です。家の近くの公園でもトチの実を拾うことができますが、山に落ちた実のほうが幸せです。動物の糧になるか、山の肥やしになるか、発芽して新たな木になるか、少なくともゴミ扱いはされません。
倉岳山の中腹に立つ、有名な大トチが見えてきました。胴回り約8mほどの巨樹です。沢の対岸に立っているので、近づく人も少なく、根元が踏み固められるのを免れています。「あの木にはトトロが住んでいるよ」と言ってやれば、小さい子供は信じるかもしれません。
「倉岳山水場」と書かれた立て札の前で左に折れ、ジグザグ道を少し登ると、尾根の向こうに明るい光が見えてきました。稜線が近そうです。緩やかになった道をもう少し歩いたら、立野峠に飛び出しました。気がつくと、ずいぶんと汗をかいています。陽射しはありませんが、熱中症を予防するために、お茶にします。すぐに力になる甘いものも口に入れました。
立野峠からは、東に向かってひたすら稜線上を歩きます。まず10分ほど歩くと、細野山です。山頂付近にはシモバシラの群落がありました。冬にきれいな霜柱ができる植物です。細野山の山頂からわずかに下ると、南面が大きく開けました。折り重なった道志と丹沢の山々を、東から西までパノラマ的に眺望できます。目の前にデンと鎮座するのは、秋山二十六夜山。ほどよく均整が取れ、こんなに形の好い山だということを、初めて知りました。
展望地を過ぎると、広葉樹林の尾根が続きます。薄日が射し、明るくなりました。縦走路は大きな起伏もなく、楽しい散歩道と言っていいでしょう。似たような花を咲かせるコウヤボウキとカシワバハグマが散見されました。その先、鳥屋山あたりから、北面が針葉樹の人工林になりました。雰囲気が少々暗くなるのはいたし方ありません。ここで、若い男性の単独ランナーと出会いました。おかげで以後、クモの巣に悩まされることがなくなりました。
空は再び雲に覆われ、舟山から寺下峠に下る頃は、すっかり陰鬱な雰囲気になってしまいました。もし雨になれば、いずれかの峠から下山するつもりで来ています。小休止して空を見上げたところ、まだ天気は持ちそうだったので、矢平山に登ることにしました。
矢平山の西に隣接する763m峰(丸ツヅク山)は、真っ直ぐ登頂する踏み跡とテープがありましたが、北側の巻き道を進みました。もう矢平山は枝越しに見えているのですが、撮影できるような場所はなかなかありません。763m峰と矢平山の鞍部では雨がポツリと顔に当たりました。少し先を急ぐことにします。
矢平山の頂上直下に、トラロープの張られた小さな岩場があります。その岩の上に、ヤマカガシの子供がいました。体長は約30cm。一人前に鎌首を持ち上げ、細い舌をチロチロと出しています。子供ながらに赤い模様が鮮やかです。見た目には可愛らしい子ヘビなのですが、ヤマカガシは毒ヘビですので、決して手を触れてはなりません。
岩場を抜けたら、マムシの子供と遭遇しました。私は思わず足が止まりました。こちらは体長40cmほど。登山道の上でじっと静止して、動く気配がありません。マムシは大人しいヘビであるとは言われます。しかし踏まれたり、掴まれたりすると、死に物狂いで反撃してくるそうです。ヘビの身になって考えれば、当然のことです。私は静かに、遠巻きにして通り過ぎました。こうして緊張感を持って、矢平山頂に到着しました。
矢平山にも、山頂標は立っていませんでした。立ち木に簡単な目印があるだけです。展望もありません。でもここが本日の山行の第一の目的地です。腰を下ろすのに適当な場所が見当たらなかったので、山頂広場の中心にある三等三角点に腰を掛けて昼食にしました。弁当の袋を開くと、うわっ、巨大なアリが2匹出て来ました。鳥屋山で休憩してリュックを開いたときに侵入されたと思われます。こうして他所の生きものを運んでしまうことは良くありません(反省)。それにしても大きなアリでした。南米の巨漢アリといい勝負ではないかと思ったほどです。
矢平山から、大丸(おおまる)に向かいます。東に尾根を下り始めたら、林道工事の轟音が響いて来ました。この音から早く遠ざかろうと急ぎます。旧大地(おおち)峠は知らない間に通過したのか、あるいは通らなかったのか、気がつくと、四方津駅への分岐に来ていました。ここは真っ直ぐ、大丸に登ります。登り始めるとすぐに右に金山峠への道を分けますが、そちらは通行止めを表すトラロープが張られていました。デン笠・一古沢方面への登山路に、どんな事情があるかは不明です。(11月22日に、一古沢からここまで歩いてみましたが、何も問題なく歩けました。)
大丸で、どちらに進むか考えました。幸い、空は明るくなっています。ここまで来たので、高柄山まで行ってみることにしました。大丸から高柄山を望むと、その手前にいくつかのピークが行列のように並んでいます。アップダウンは一見大変そうですが、実際に歩いてみると、さほど大変でもありません。これは3年前に歩いたときに分りました。大丸から一旦大地林道に下りて、四方津駅の方向に林道を少し登ります。
高柄山への入口には、園芸品種のようなキク科の花が咲いていました。道標には、高柄山まで55分とあります。「熊出没注意」の標識の上に、「この工事現場周辺では携帯電話が通話可能なので、緊急時には連絡できます。」と張り紙がありました。そこで携帯電話の電源を入れてみると、見事、3本のアンテナが立ちました。
千足峠のすぐ西に、推定標高710mほどのピークがあります。大丸から望んだときに、高柄山前衛のピーク群で、最も高く見えた峰です。ここでワンセグの受信を試しがてら、「あまちゃん」を視ました。感度ばっちり良好です。
千足峠を通り過ぎ、高柄山に向かうと、ツクツクボウシの鳴き声がとても賑やかな場所がありました。これはオスのセミたちの婚活だという話を聞いたことがあります。長い長い地下生活を卒業して、やっと羽化し、短い地上生活の間に子孫を残す営みをするのですから、せわしいことです。八月末になると、夏休みの宿題が進んでいない子供は、ツクツクボウシの声で急かされる思いがするそうです。
高柄山の山頂には、熟年のご夫婦が休憩していました。二人はとても仲が良さそうです。老夫婦の愛を見ると、人間は万物の霊長である、というのは本当だなあと思います。高柄山が、今は高砂山です。すばらしい名山です。
山頂からは上野原市街地を望めます。眼下、手前にデンと控えているのは御前山。東はるかに目をやると、小仏城山から始まり、景信山、陣馬山、醍醐丸、連行峰、生藤山…と、笹尾根の東部まで見渡せます。逆に、あの峰々からも高柄山が望めるのでしょう。
ウラギンシジミがいました。翅の表が紅で裏が白い、おめでた色の蝶です。高砂夫婦のために飛んできたのかもしれません。静かに翅を開いたり閉じたりしていました。私は、表の紅色を撮影しようと、カメラを構えていました。ところが、ある瞬間から翅の動きがぴたりと止まり、固く閉じたままになりました。隣に来ていたダイミョウセセリも、こちらは翅を開いたままですが、微動だにしません。
気がつくと、大きなオニヤンマが飛んでいました。山頂広場を繰り返し行ったり来たり。もし蝶が飛び立てば、たちまち捕食される場面です。私は、じっと見守りました。結局、蝶たちはずっと完全な静止を保ったままでした。オニヤンマの恐ろしさを知ってのことでしょうか?この場は蝶たちの勝ちでした。
高柄山から千足峠まで戻ります。この峠から千足集落に下る道の始めの部分は、かなりザレていました。踏み跡がほとんど斜面化して、登るにはよいとしても、下りではスリップに注意を要します。「山と高原地図」では、このあたりに危険マークが記されています。ただし、ザレた区間は長くありません。その先の崩落した谷が通行禁止になっていますが、危険マークはこちらのことかも知れません。ザレ場を含め、30分ほど下ると道が平坦になりました。以後、千足沢沿いに渓谷美の道を歩きます。
千足集落を通るところは楽しみです。山里の風景や道端の花にノスタルジアを感じます。今回は、昔ながらのホウセンカが、農家の庭先などに咲いていました。実を指で軽くつまむと、勢いよく弾けます。夜間に道を明るくするための可愛らしい水銀灯が、もう点灯していました。集落を抜けると、舗装された道をかなり歩かねばなりません。桂川に架かる吊橋を渡って、短い坂道を上ります。田んぼが見えると、急に空が広くなりました。
中央線の線路わきで、来た方を振り返ると、黄金田の向こうに高柄山が鎮座していました。と言うより、田んぼの垂り穂ごと高柄山に見られているような気がしました。きっと、その名には豊作への願いが込められているのでしょう。千足は、千束に通じます。美しい田の面を前に、改めて高柄山を見直しました。すると、付近のあらゆるものが一体となって、輝きを増したように思えました。
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