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間野富士山とタブノキの巨樹

タブノキの巨樹

タブノキの巨樹

埼玉県飯能市の間野富士山には、タブノキの巨樹があります。樹高約20m、根回り7m、樹齢推定約700年と記されています。

タブノキは、世話要らずの木です。かつて都市部にも広く植えられ、火災から多くの人命と家屋を守りました。

バス停 国際興業バス: 東飯能駅 ← 間野黒指 登山口

地図 地理院地図: 間野富士山

天気 間野富士山の天気: 飯能市 , 間野 , 大仁田山


コース & タイム 鉄道駅 河辺駅 8:50 --- 9:22 吹上しょうぶ公園 9:44 --- 10:08 塩船観音寺 10:40 --- 11:43 七国広場 11:44 --- 12:29 湯の権現 12:30 --- 13:01 成木一丁目四ツ角 13:01 --- 13:12 八坂神社 13:20 --- 13:50 弁天前バス停 13:50 --- 13:56 富士浅間神社鳥居 13:58 --- 14:17 タブノキ 14:31 --- 14:34 間野富士山 14:35 --- 15:06 変電所 15:17 --- 15:34 鉄塔49号 15:36 --- 15:53 四十八曲峠 15:53 --- 16:03 愛宕山 16:05 --- 16:09 いぼとり地蔵 16:10 --- 16:34 間野黒指バス停 バス停 16:40 == 17:05 --- 17:09東飯能駅 鉄道駅
※歩行時間には道草と写真撮影の時間が含まれています。
間野富士山、愛宕山 まのふじさん:標高 約290m、あたごやま:標高 412m 単独  2016.06.03 全 7時間44分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢❢

6月3日(金)、間野富士山にタブノキの巨樹を訪ねました。ただこれだけでは、山歩きとしてあっけなさすぎます。そこで、JR青梅線河辺(かべ)駅から大仁田山(おおにだやま)まで、フットパスを開拓することを計画しました。はじめは順調でしたが、何度も道草を食い過ぎて、最後は時間切れ。残念ながら大仁田山登頂は断念しましたが、細田まで足跡をつなげることができました。

段落見出し 河辺駅から吹上しょうぶ公園へ

河辺駅の北口テラスに出ると、まぶしい光があふれていました。テラスを下り、真っ直ぐ北に進みます。四つ目の信号で左折。青梅街道を西に300mほど進み、奥多摩街道と並行する路地に入り、吹上しょうぶ公園を目指して北上しました。駅からおよそ30分で、吹上しょうぶ公園に到着。「花しょうぶまつり」の期間に限って入園料が必要で、大人200円、小学生以下は無料です。花しょうぶに興味を持つ小学生がどれほどいるか、興味あるところです。

園内を一望して「来るのが早すぎたかな?」と思いました。でも品種によっては見ごろを迎えて、まあハズレとまでは言えません。菅笠姿の作業員たちが、花ガラを摘んだり、花の終わった花茎を切り取ったりしていました。訪問者は、瑞々しい花だけを見るようになります。また、花の咲いた菖蒲田は、風情を醸すために水田のように水が張られています。私は品種名や系統(肥後・伊勢・江戸など)には通じてないので、特に気に入った花だけを、カメラに収めました。

先が長いので、花見は20分ほどで切り上げました。塩船(しおふね)観音寺に向かいます。「観音通り」という道に進み、古道のような雰囲気のある道を登って行きました。切通しの擁壁には玉石が積まれ、左右から茂った背の高い竹が天まで覆って、竹のトンネルになっています。ここを抜けて坂道を下って行くと、図鑑でも見たことのないアゲハチョウが数頭、ヒラヒラと飛んでいました。帰宅後に調べると、ホソオチョウという外来種。違法に放蝶されたようです。

段落見出し 塩船観音寺

のどかな道を歩いて行くと、突然のように仁王門が現れました。不思議に思うのですが、左右の仁王像は格子の中にあって、悪業をしないように閉じ込められているみたいです。出番が少ないほど好ましいのは警察と同じ。そして境内に入ると、まず出合うのが、阿弥陀堂。次いでスギの巨樹。東京都指定天然記念物「塩船観音の夫婦杉」と書かれています。その先、「ぼけ封じ」の薬師堂は「森の小さなお家」と言えそうな、童話的たたずまい。私のお気に入りになりました。

圧巻は、当然ながら、本堂でした。シンプルな曲線を描く茅葺き屋根、飾り気のない柱、壁板、舞台などに、故郷に帰ったような安堵感を覚えます。どうか火災が起きませんように、と念じながら裏山を登って行きました。山頂に大きな観音立像があります。視線の先のツツジ群は、衆生に見立ててあるのでしょうか。人のように見えます。救いを受けて浄められた魂の群れこそ、神仏をいっそう美しく飾るもの。ここは、ツツジの咲く季節にもう一度来なくてはなりません。

観音立像を真下から見上げると、口元に笑みがありました。私は青年時代、よく晴れた日に、ニューヨークの自由の女神像を訪ねたことがあります。偏光フィルターを強使用して、空を濃紺に落とし、力強く浮かび上がる女神像を撮影しました。その表情には、自由を守ることの厳しさも伺えました。今、観音立像も、右手を上げ、左手に持物を持ち、来る人を拒まず、希望を与える姿です。アメリカの友人にも見せてやりたいと思いました。木陰のベンチでお茶にします。

段落見出し 霞丘陵ハイキングコースへ

先を急ぎましょう。観音立像の後ろから、霞丘陵ハイキングコースに入ります。道標が「七国峠、岩蔵温泉」を指す方向に、起伏の緩やかな山道をスタコラ歩いて行きました。はじめは自然の地形をそのまま活かした散歩道風情ですが、ゲート通過以降は、広い桜並木が延々と続きます。鮮やかな緑がいっぱいの道は、新緑というより、緑陰の季節になっていました。前方に立正佼成会の道場施設が見えると右に分岐し、笹仁田峠に下りたら、信号で岩蔵街道を横断します。

数メートル右に進むと、コースの続きがありました。ここから檜の植林となり、「〇〇の森 〇〇教会」と書かれた看板が次々と現れます。それぞれ、立正佼成会の支部教会が命名したのでしょう。案内板に「阿須丘陵七国コース」「森林浴を楽しむコース」とあります。初夏らしい檜の香りが漂っていました。「七国広場」「弥兵衛松」などの通過ポイントを確認し、大きな分岐点ではいつも左に進みます。観音立像から1時間40分歩いて、岩蔵温泉郷に下り立ちました。

標識を見て、藪っぽい道を通り抜けると、「湯の権現」の小さな鳥居と社があり、傍らに「岩蔵鉱泉」の説明板がありました。何と、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の名が出てきます。泉温は約12℃だそうで、鉱泉という訳が分かりました。隣接する湯場橋を渡ると、すぐ先がバス通りです。岩蔵温泉バス停を見て、この都道を3分ほど北東に進むと「西東京病院 ←」の看板の目立つ、斜め十字路がありました。ここから北に続く道には「日影林通り」という名があります。

段落見出し 富士浅間神社へ

日影林通りに日陰は乏しく、太陽を背に自分の影を見ながら歩く、暑い道でした。これを15分ほど我慢して歩くと、左手の山を巻きながら道が西に向きを変えます。山のお陰で、やっと涼しくなりました。右手に成木川が迫り、対岸に石を投げれば埼玉県に届く距離です。その先で右折、橋を渡ると、ようやく成木一丁目の十字路に至りました。東に150mほど行けば、コンビニがあります。本来の計画では、ここから安楽寺に行くつもりでしたが、時間の都合で割愛しました。

成木一丁目の十字路を越えると、都バスに代わって国際興業バスの通る道になります。下直竹の集落を抜け、八坂神社の鳥居下で一休みしました。体が水分を要求しています。腰を下ろすと、まだツツジの花が全盛で、クロアゲハが吸蜜に来ていました。立ち上がって八坂橋を渡ると、すぐに夫婦稲荷神社。大きな岩が神社の左右にだけあるのが特異的です。直竹川に沿うこの道には、申渕(さるぶち)や禅寺の徳蔵寺などがあり、時間があれば訪れてみたいと思いました。

道が直竹川右岸に移ると、まもなくY字路に至ります。分岐点には時計があり、正しい時刻を指していました。左が浅間神社への道です。神社の最寄りバス停は「弁天前」で、バス停から4分ほど歩いて、富士浅間神社入口に到着しました。河辺駅を出て、5時間余り、平地の歩行はこれで終わりですが、歩き疲れて足が棒のようになってしまいました。目の前の山が間野富士山ですが、富士山のような姿ではありません。それより、この足で登れるでしょうか?

段落見出し タブノキという常緑照葉樹

鳥居をくぐって境内に進みます。すぐ右手、ザクロの木の下に、「滝の入タブの木」の天然記念物指定を記念する石碑がありました。ついでに、タブノキは、単にタブとも呼ばれます。時間があまりないので、大イチョウ、竜神、おしゃもじ様(しゃもじは拝殿に退避中)、本殿をサッと見て、富士登山を開始しました。心配した足は、軽快に動きます。使う筋肉が違うのでしょう。嫗ヶ岳(うばがたけ)の標識から右に少し進むと、目指す大タブノキが見えてきました。

きょうは、大カヤ、大スギ、大イチョウなどを順次見てきましたが、この大タブは一味も二味も異なっていました。神社や仏閣で大切にされてきた木には見られなかった、自生樹本来の、生々しい迫力があります。度重なる台風で、幹の上部や大枝を失ったとのことですが、その生命力に翳りは見られません。700年もの風雪を耐え、山の急斜面に堂々と立ち続けて来た巨木。真下で見上げても、離れて眺めても、木の王様のような威風! 今後何世紀も生きてほしく思います。

人が大切にすべきは、どんな木でしょうか。私は、人の生命を守ってくれる木だと思います。松、杉、檜などは、よく火に燃えます。建材にはなっても、防火林にはなりません。山でバタバタと倒れているのも、これらの造林です。陸前高田の「奇跡の一本松」は、浜辺の松林が人や家屋を守れなかったことを後世に伝えるため、図らずもモニュメントになったのかも知れません。人の周りに育むべきは、タブノキやヤブツバキなど、難燃性の常緑照葉樹ではないでしょうか。

段落見出し 変電所・四十八曲峠・愛宕山

さて、間野黒指(まのくろざす)16:40発のバスまで、あと2時間しかありません。大仁田山に行けるでしょうか? それとも、ここで引き返すのが賢明でしょうか?(その次のバスは19:55発)ウーム。もしこの先、道草を全く食わず、かつ道迷いや事故がなければ、ギリギリ間に合うかもしれません。せっかくここまで来たので、チャレンジします。靴ひもを締めなおし、急な下りに備えました。まずは変電所を目指します。気を引き締めて、間野富士山頂を後にしました。

間野富士山から愛宕山手前まで、公設の道標はありませんが、私設の道標が要所要所にあります。古い象形文字風の、楽しげな書体で書かれています。小さなアップダウンを何度か繰り返すと、舗装道路に飛び出しました。変電所に至る管理道路です。その終点である変電所の正門前で右に折れ、フェンスに沿って変電所を巻いて行きます。施設をのぞき見しながらぐるっと回り、ストーンサークルのような石が置かれたところから、右手の尾根に取り付きました。急登です。

その後も私製標識やビロビロテープに導かれながら、ひたすら細田を目指しました。鉄塔49号で、現在地を正確に判断できます。四十八曲峠の前後の尾根は、涼しいそよ風が吹いていて、心地よく歩けました。何度か原市場への道を右に分け、最後に黒指バス停への道を左に分けると、「愛宕山 登り口」と書かれた大きめの看板がありました。左に巻き道もありますが、表敬の意味で登ります。看板からわずか1分で登頂。大仁田山と同じ、御影石の立派な山頂標がありました。

段落見出し 細田から黒指へ下山

愛宕山で16時5分になりました。バスの発車まであと35分。残念ですが、ここで大仁田山への登頂を断念します。始めに道草を食い過ぎました。これから細田の集落に直行します。途中、おもちゃが供えられた「日待塔」と、きれいな千羽鶴がいっぱいの「いぼとり地蔵尊」が並び立っていました。お堂は平成20年に79年ぶりの改修が成されたそうで、まだきれいな状態です。悪性の腫瘤なども取ってもらえるといいですね。すぐ近くまで車で来ることができます。

細田は、なぜこんな場所に、と思う山上集落です。かつては炭焼きで生計を立てていたのでしょうか。車道の終点に下り立つと、間違えて左に行きました。でもすぐに誤りに気付いてUターン。降りた地点から右に少し行くと、畑の縁に「黒指」を指す、小さな標識がありました。これが「細田歩道」でしょうか。躊躇しているヒマはないので、どんどん下って行きます。谷沿いに付けられた小径が、やがてコンクリートの道になり、最後に車道と合わさりました。

黒指も、のどかな雰囲気の集落です。2年前に大仁田山から下山したときも通りました。ミズバショウを栽培している家もそのままです。よくここまでバスが来るものだと思いますが、行政が運行費用を負担しているのかも知れません。間野黒指バス停には、6分のゆとりを残してゴールインしました。バスはカラで到着。乗ったのは私だけでした。きょうの飲料消費は、1.3リットル。今回もまた無事に山行を終えることができ、感謝です。

木の葉ライン

↓ 紙芝居



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