飯能市には、駅から歩いて登れる、展望に優れた低山がいくつもあります。この記事の天覧山・多峯主山・龍崖山は、飯能駅または東飯能駅から手軽に歩き巡ることができます。
国際興業バス: 東飯能 ← 吾妻峡入口
地理院地図: 天覧山 , 多峯主山 , 龍崖山
天覧山の天気: 天覧山 , 多峯主山 , 龍崖山 , 飯能市
12月12日(木)快晴、飯能市の天覧山、多峯主山、龍崖山を巡って来ました。いずれも展望の名所ですが、早朝に訪れたせいか、どの山も静寂そのもの。紅葉はとうに盛りを過ぎていましたが、お日様のマジックで、夢のような光彩を楽しめました。
前夜、仕事の原稿を仕上げ、夜空を見上げました。都会の街明かりは、深夜でもあまり暗くならず、見える星は多くありません。それでも空が晴れているかどうかは、よく分かります。未明にもう一度、星の見え方から快晴と判断、この日の好天を確信しました。よし、まだきれいな紅葉を見れそうな、どこかの低山に行こう!と、早起きをして初電に乗り込みました。行く先は、拝島に着くまでに決めるつもりで、奥多摩と奥武蔵の地図をリュックに入れてあります。
この日は午後の早い時間に帰宅しなければならなかったので、少しだけ思案して、飯能市の駅から近い、三つの低山を歩くことにしました。状況によっては、一山か二山を歩いた時点で中断し、帰宅することもできます。東飯能駅に着くと、西口のコンビニでおにぎりを調達し、夜明け前の静かな商店街を、天覧山に向かって歩き始めました。すでに空が白んで、ヘッデンは要りません。要所要所に立っている道標に導かれ、順調に天覧山入口にやって来ました。
天覧山入口では、さっそく燃えるように真っ赤な紅葉に迎えられました。ちょうど昇ってきた太陽の光を浴び、少々枯れ葉色になり始めていたモミジも、美しい光彩を放つのです。一年間、木のためにせっせと光合成に励んだ一つ一つの葉が、その役割を果たし終えた今、太陽が木のためではなく、葉そのもののために最後に与える光。感動を覚えざるを得ません。よく見ると縁が傷み、まもなく枯れ落ちて行く葉にいっそう美しさを感じる、そんな年齢に私もなりました。
見ごろを過ぎてしまった紅葉が、太陽光の透過によって燃えるように輝くことを、私は「お日様マジック」と呼んでいます。このマジックで、紅い葉は真っ赤に、黄色の葉は黄金色に、朝の山道を飾っていました。もちろん、お日様マジックは、晴天の日だけに見られるものです。きょうは来てよかったと、弾む足で10分ほど登ると、ちょっとした広場に至りました。南面に展望があります。何本かあるモミジの木は、マジックショーの真っ最中。ここは「天覧山中段」でした。
天覧山中段からわずかに登ると、道が二手に分かれていました。「十六羅漢石仏」のある左へと進みます。この山は、ただ歩くだけでもいいのですが、「山峡に歴史を訪ねるコース」なので、各所の説明板をできるだけ読み、昔の人々の行き交う情景を想像し、仮想のタイムトラベルを楽しむことにしました。このレポでは、各史跡に関する詳細は省略します。ただ、夜間に独りでこの石仏群の前を歩けば、昼とは違った何かを感じるのではないかと思いました。
十六羅漢石仏のすぐ先で、左手に視界が開け、富士山の眺望がありました。山頂までほんの1、2分の距離ですが、見とれて足が止まってしまいます。そして天覧山に登頂。誰もいません。明治天皇も感嘆したという広大なパノラマを独り占めにします。標高167mの低山ですが、どうしてこんなに展望に優れているのでしょうか? その最大要因は、山頂に景観を阻む樹木が無いということでしょう。神奈川県も景観伐採をすれば、ハイキングの名所が増えるかも知れません。
次の多峯主山に向かいます。「山と高原地図」ではよくわからなかったのですが、天覧山と多峯主山は、尾根続きではありません。いったん下山し、谷戸道に降り立ちます。そこに立つ道標にしたがって、フットパスのような趣の谷戸道を歩き、多峯主山の登山口の一つ、「見返り坂」にやって来ました。「見返り坂と飯能笹」の説明板があります。発見者、牧野富太郎の名にも押され、付近を見渡すと、確かに「こげ茶色の真っ直ぐな茎」を持つ笹が群生していました。
見返り坂の次は、「よしだけ」という竹の群落。先の飯能笹と同じなのか、別種なのか、よく判りません。その次は、雨乞池。小さな池ですが、神秘的な言い伝えが面白いです。仮に本当の話だとすれば、飯能の町は、もはや旱魃に苦しめられることはないでしょう。そして、常盤平とバイオトイレを経て、多峯主山に登頂しました。先客は5人ほど。展望は360度、申し分ありません。単独の熟年男性が、日和田山の左に日光の男体山が見えることを教えてくれました。
さて、天覧山頂と比べても、多峯主山頂は一段と展望に優れています。私にとっては、丹沢と奥多摩の山々が、くっきりと見えるのがうれしいところ。でも奥武蔵では、大持山・小持山・武甲山は別格として、高麗川両岸の峰々がよく同定できないのが残念です。ただその一部は、後に龍崖山の「のぞきめがね」で容易に判別できました。山容と山名を学ぶには、地理院地図を持って多くの山を歩き回ることが有効です。山と高原地図は、等高線を読みにくいのが難点です。
多峯主山頂を辞し、吾妻峡を目指します。話を端折りますが、久須美坂分岐、御岳八幡神社、常盤平分岐を経て、多峯主山南麓の登山口に下り立ちました。八幡神社の鳥居から入間川沿いの県道70号に出ます。そして吾妻峡に行く道を探してキョロキョロ。すると西に300mほど歩いたところで道標を見つけ、その先にあった「吾妻峡案内図」にしたがって進み、入間川のほとりに立ちました。ここでドレミファ橋という飛び石をリズムよく踏んで、入間川を渡ります。
さて、ここから龍崖山への行き方がよく分かりません。とりあえず上の道路に上がってみると、「八耳堂」を指す道標がありました。耳鼻科医院があるのでしょうか? それも変だと思いましたが、その下に、"Hachijido Temple" と書いてあります。医院ではなく、寺院でした。ともかく八耳堂に行ってみると、龍崖山の「八耳堂登り口」がありました。「龍崖山を愛する80人衆」と書いてあります。以後、この親切な私設道標に順次導かれ、難なく龍崖山に登頂できました。
龍崖山は、広い山頂広場と、奥武蔵の広大なパノラマがありました。面白いのは、竹筒ののぞきめがね。レンズは入っていませんが、覗くと、目標の山をピンポイントで見つけることができます。また、書き込みができるらしいノート類もありました。懐かしそうに遠方を見つめる少女の木像は、何か故事に因むものでしょうか? 私は「♪ かるかやの丘に来て」という歌を、何十年かぶりに思い出しました。この山頂広場で、景観を楽しみつつ、おやつとお茶の時間にします。
制限時刻が迫って来ました。下山します。ところで山と高原地図によると、山頂から龍崖山公園までの所要時間は40分となっています。八耳堂から山頂まで17分で登れたのに、どうして下山に40分もかかるのだろう?と不思議に思いましたが、途中で二つの小峰を越えるからでした。その一つ目、燧山(ひうちやま:231m)の山頂には富士山を望める休憩所があります。二つ目の小峰も越え、登山口に下り立つと、公園の丘には上がらず、階段を下って県道28号に進みました。
県道28号を飯能市街地に向かって歩いて行くと、入間川に架かる新しい大きな橋がありました。銘版に「飯能茜台大橋」とあります。地理院地図には未掲載ですが、岩根橋の400mほど上流地点です。これを渡り、県道70号の交差点で右折すると、直ぐに「吾妻峡入口」バス停でした。時刻表を見ると、何と次のバスは0分後です。直ぐにやって来たバスに乗り込んで、着席! 何とも幸せな気分になります。東飯能駅では八高線との接続もよく、余裕をもって帰宅できました。
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