天地山は、奥多摩に数ある名山の傍らに立つ、わき役のような山です。けれどもイワウチワの咲く季節には、いそいそとこの山を目指してやって来る人々がいます。
天地山の傍らに、カタクリ山という小さな山があります。イワウチワと同じ頃にカタクリの花が咲きます。そして人はどこかにヒカゲツツジをも探すのですが…
地理院地図: 天地山
天地山の天気: 東京都奥多摩町 , 奥多摩駅
レポ: 御岳平から大岳山
4月8日、奥多摩の天地山に行って来ました。この日、関東地方は五月並の暖かさ。山でもたくさんの汗をかき、お茶と水を飲みました。数はわずかでしたが、イワウチワの花を三箇所で見ることができました。
白丸駅で電車を降りると、そこはまさに春爛漫でした。赤い椿の花をハート形に並べた人の心にも春の花が咲いたのでしょう(二番目の写真)。今回初めて、プラットフォームの中ほどの登山ポストから外に出ました。マメザクラやヒマラヤユキノシタの花に彩られた小路を下って行きます。こんな道がもっと長かったらいいのになあ、と思う間もなく、青梅街道に下り立ちました。これから、まずカタクリ山に立ち寄り、続いて天地山を目指します。
青梅街道を西に進みます。右手の法面をびっしりと、目の醒めるようなムラサキハナナが飾っていました。150mほど歩くと数馬峡橋の入口です。車の切れ目を走って道路を横断。数馬峡橋手前の駐車場に大きな桜の木があり、愛らしい小さな花をいっぱいに着けていました。よく通るウグイスの鳴き声に桜を見上げたのですが、ウグイスの姿を見るのは難しいものです。声ほどには美しい装いの小鳥ではないので、見えないのがよいのかも知れません。
数馬峡橋の上から、数馬峡を眺めます。多摩川の水は、鏡面のように滑らかで、青い空をきれいに映していました。橋を渡りきって右折し、多摩川右岸の道(数馬峡遊歩道)を進むと、カタクリ山や海沢園地に行けます。ところが、「森のカフェ・アースガーデン」の入口まで来ると、「落石の恐れがあるため通行止め」となっていました。戻って青梅街道を歩こうかとも思いましたが、面倒だし、車道は敬遠したいので、自己責任でロープを越えました。
少々うしろめたい気持ちになったので、速足で歩いて行きます。路上にたくさん落ちている角張った岩石が目立ちました。本当は以前から落ちていたのかもしれませんが、今回は目に入ってしまうのです。夏にイワタバコを目当てに来たら、悩むところでしょう。数馬西トンネルの先で通行止めロープをもう一度またぎ、やっと一安心。ほっとしたら、ふっくらしたハクモクレンの花が、とても優美に思えました。
道標に従って奥多摩駅方面に進んで行くと、正面に氷川発電所が見えてきました。山頂近くから水圧管が出ているおむすび形の山が、カタクリ山です。次の道標から、右に海沢大橋を目指すルートと、左につきどめ橋を経由するルートとがあります。いずれにせよあの大きな水圧管を目標に進めばよいので、道に迷うことはありません。私はつきどめ橋経由で歩きました。この橋は渡り終わると神庭東橋(かんにわあずまばし)に続き、これも渡りきると右ルートと出合います。
水圧管のわきまで来たら、神庭橋(かんにわばし)は渡らず、右に上る小道に入ります。民家の入口に立つ道祖神を見ながら少し歩くと、そこはもうカタクリ山でした。緑の斜面いっぱいに咲くカタクリの花。わくわくして来ました。白いアズマイチゲも優雅な装い。不思議の国に入るような思いで、見学路のような小路に入って行きます。あとは見放題、撮り放題。幸せな時間を過ごしましょう。
ずいぶんと時間が経ちました。カタクリ山の頂に向かいます。カタクリの花畑をどんどん登って行きました。途中で発電用の水圧管を上から見下ろすことができます。山頂に着くと、小さな石の祠がありました。どうということもない頂です。祠の脇の檜(たぶん)は、枝払いがされていませんが、ご神木に準じる扱いなのでしょう。私は水圧管をもう一度見たくなったので、来た道を戻りました。下の発電所まで俯瞰できます。小河内ダムから落ちた水を引き、多摩川との落差で発電するものです。
この後、カタクリ山の南東面を巻いて、貯水池の北コーナーに出ました。桜の木があります。網フェンスで囲まれた貯水の色は緑がかった青。法面緑地の向かい側から、お婆さんがひとり、ゆっくりと歩いて来ました。「こんにちは。きれいな桜ですね。」明るいのどかな緑地に、桜と梅が同時に咲いていました。貯水池の南口では、小河内ダムから引かれた水が、白い泡とともに噴き出しています。岸からは北に、本仁田山がよく見えていました。
貯水池南東コーナーから車道を下って行くと、中野の五叉路にやって来ました。ここで右折して林道を登れば天地山です。私は中野の里に引力を感じたので、ちょっとだけ道草をすることにしました。この山里の和風メルヘン的な丘は、スケッチブックを携えて写生したいような風景です。本仁田山が北に聳え、左右にゴンザス尾根と花折戸尾根とを望めます。この里の四季を定点からスケッチしたら、絵本の背景になるんじゃないかな、などと想像しました。
五叉路に戻って、林道を登って行きます。林道が左にカーブする手前で、犬が突然吠え始めました。続いて2頭目も激しくワンワン。3頭目、4頭目、5頭目も連鎖反応的に全力で吠えまくります。鎖を引っ張りながら、金網のフェンスを越えて、今にも飛び出してきそうな勢い。人はいません。お腹が空いているのか、外に出たいのか。犬の嫌いな人にはおぞましい光景でしょう。私は犬を嫌いではありませんが、何かに飢えているようで、切ない気持ちになりました。
私が彼らの目の前を通り過ぎた瞬間、一頭が「ワオオーン」と悲しそうに鳴きました。すると他の犬たちも急に静かになりました。私は心持ち速足になって遠ざかります。犬舎から5〜6分ほど歩くと、T字路に突き当たりました。右か左か? -- 左が正しそうだったので、まず右の道を偵察。すると小石の上の落ち葉が踏まれていなかったので、確信を持って引き返し、左の道に進みました。
倒れたばかりの倒木を越えて行くと、アオイスミレやヒナスミレが咲いていました。よい兆しです。その先にはミツバツツジの赤紫色。林道が鋭角に右折する角ではキブシの黄色い花が、よく来た、よく来たと言ってくれているようでした。キブシの角より南東に150mほど緩やかに登って行くと、道が右に折れ曲ります。しかし、曲らずに山林の斜面に入る所の木に、ピンクのテープが巻かれていました。ここが尾根への取り付きだろうと判断し、その後は踏み跡を辿って登って行きました。
天地山は、道標の類が一切無いのですが、尾根上に立ってしまえば一安心。あとは頑張って登り続けるだけです。いきなり急な尾根を10分ほど登ると、イワウチワの小群落がありました。花の数も少ないうえに、一輪ずつぽつぽつと咲いているだけなので、集団美には欠けます。近隣の鉄五郎新道とは、比較すべくもありません。でも個々に見れば、やはり可愛くて品格のある花です。
674m峰の下りでもイワウチワを見ました。探せば、登山ルートから外れた所にも咲いていたかも知れません。登るに従って、白い花を着けたアセビも増えてきました。ミツバツツジは、日当たり具合で開花の進度が異なります。展望の方は、残念ながら好いとは言えません。左に奥の院、鍋割山、大岳山、鋸山の峰々が、右後方に川苔山と本仁田山が、ごちゃごちゃした落葉樹の枝越しに見えていました。葉の無い季節にこのようなのですから、葉が繁ったらなお見えにくくなることでしょう。
山道を歩くこと、正味1時間ほどで、天地山の山頂に達しました。ここまで来るのに大道草を食ったせいで、すでに正午です。幸い、道迷いによる損失時間はありませんでした。リュックを下ろして昼食にします。北面にだけ展望があり、目を凝らすと遠く長沢背稜の峰々が望めました。
天地山から鋸尾根に向かいます。山頂から南西方向に下るヤセ尾根に入ると、山の様相が一変しました。急降下である上に、人ひとりがぎりぎり通行できるような隘路です。場所によっては、すれ違いも難しいでしょう。尾根の左右には深い谷が切れ落ちています。ただ、掴まる岩や立ち木はたくさんあるので、足元をよく確認して慎重に歩を進めて行きさえすれば大丈夫です。岩に手をかけると、ひんやり心地よさを感じました。
とある大きな岩に指先を掛け、体重を預けようとした時、その岩が板のように剥がれ落ちました。三点確保はしていたのでバランスを崩すことはありませんでしたが、B4版ほどの面積をもつその岩板はドタン、ドタンと大音響を立てて落ちて行きました。近頃はバリエーションルートを好む登山者も多くいます。もし下に人がいたらと考えると、肝を冷やす思いがしました。私の生涯に、このように大きな落石を起こしたのは初めてです。これがこの日の最大の思い出になってしまいました。
大いに反省しながら、引き続き慎重に下って行くと、イワウチワが数輪咲いていました。岩壁に溜まったわずかな腐葉土に生えています(上の写真)。日陰に咲いて、見る目を癒してくれる可憐な花。撮影しにくい位置でしたが、価値ある花を何とかカメラに収めました。
鞍部まで下ると岩場は終わり、歩きやすくなりました。ひと登りして、やや古そうな石の境界標を見ると、もう鋸尾根は間近です。北東面の谷に、残雪がいくつもの白い島のように見えました。そして鋸尾根との出合で、初めての道標を目にしました。少々古びた感じの道標です。今来た方向は「行き止まり」となっていました。
鋸尾根はかなり整備の手が入ったようで、土止め階段の丸太もまだ新しそうでした。ここまでの道と比べると、ウソのように楽チンです。ああ、ここは“本物の登山道”だと思いました。ふと、どこからかヒオドシチョウが飛んで来て、目の前の石に止まりました。越冬した個体らしく、翅がボロになっています。この蝶を簡単に撮影して、さらに下って行くと、また別のヒオドシチョウが来て、目の前の丸太に止まりました。これもボロです。
山上に棲むこのような蝶は、人を見るとやって来て、目の前の1〜2m圏に、時には足下や肩にも止まります。はじめは「写真を撮ってほしいのかな?」と思ったりしたほどですが、そんな訳がありません。きっと自己の縄張りを主張しに来るのでしょう。翅を大きく開いて、自分の姿を誇示しているように見えます。撮影するには好都合な習性です。
以後、鎖場と巻き道の分岐点での好展望、鉄梯子、天狗の石像など、若干のアトラクションはありましたが、長い尾根下りに飽きて来ました。「山と高原地図」には、鋸山から奥多摩駅まで1時間40分と記されています。“これは、健脚者のコースタイムじゃないか?”と思いました。私のように普通の人は、どこからやって来たにせよ、鋸山にたどり着いた時点で相当に疲労していることでしょう。“2時間と書いてくれないかなあ”とつまらないことを考えるほど、最後は我慢の道になりました。
はるか下方に見える奥多摩の家並みを見下ろしながら、“なかなか高度が下がらんなあ”と思っていたら、ひょっこり林道に下り立ちました。まだ人里ではなく、もう一山、愛宕山(507m)を越えなければなりません。でも愛宕神社の長い石段が、一気に高度を下げてくれました。そして、「創造の森」に置かれた、ちょっと場違いのような気がする裸婦像まで来ると、ほぼ人里です。若い男女の姿が見られました。
「もえぎ橋」(吊橋)を渡り、「もえぎの湯」でゴールインとしました。ここで足湯だけ利用します。疲れた足を揉みながら、30分ほど癒してやりました。その効果が出たのか、電車の座席に腰を下ろすと激しい疲労感に襲われて、瞬時に爆睡してしまいました。気がつくと、そこは青梅駅。快速東京行きに乗り換えると、また爆睡。目を覚ますと、幸運にも西立川駅でした。次の立川駅で電車を降りると、うれしや、体が羽根のように軽くなっていました。
てくてくさんのサイトに、サルギ尾根のイワウチワとスミレなどの写真が掲載されています。
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