山はいいなあ  >  中央沿線  >  雛鶴峠から高畑山

雛鶴峠から高畑山

高畑山の稜線から望む道志の山なみ

高畑山の稜線から望む道志の山なみ

無生野には、雛鶴姫伝説に由来する雛鶴神社があり、その境内には雛鶴姫の像があります。

バス停 富士急山梨バス: 上野原駅 → 無生野 登山口
バス停 富士急山梨バス: 猿橋駅 ← 朝日小沢上 登山口

地図 地図: 雛鶴峠 , 高畑山 , ヤマレコルート図

天気 高畑山の天気: 上野原市 , 都留市 , 高畑山

くし 津久井三姫物語


コース & タイム 鉄道駅 上野原駅 バス停 8:35 == 9:21 無生野 9:27 --- 9:49 雛鶴神社 10:03 --- 10:53 旧雛鶴トンネル 10:55 --- 11:13 雛鶴峠 11:17 --- 11:20 都留線109号鉄塔 11:25 --- 11:44 高岩 11:44 --- 12:00 大ダビ山 12:10 --- 12:59 高畑山 13:25 --- 14:02 大桑山 14:03 --- 14:36 林道突坂峠 14:36 --- 15:00 鈴懸峠 15:00 --- 15:46 朝日小沢上バス停 バス停 16:03 == 16:19 猿橋駅 鉄道駅
※歩行時間には道草と写真撮影の時間が含まれています。
高畑山 たかはたやま:標高 982m 単独 2019.6.13 全 6時間16分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢

6月13日(木)、旧秋山村の無生野に雛鶴神社を訪ね、続いて高畑山と大桑山を歩き、鈴懸峠(鈴ヶ音峠)に下りました。この計画は、新緑か紅葉のシーズンに実行しようと、何年も前から考えていたものですが、毎年毎年先送りになって来たものです。そこで今年は、思い切って梅雨の晴れ間を狙って行って見ることにしました。今は野生の生命が爆発する季節。テングチョウとキアシドクガの大乱舞を各地で見たほか、羽化後間もない種々の蝶たちとも出遭うことができました。

段落見出し無生野への長い道

8時半ころ上野原駅南口のバスロータリーに行くと、係員が行き先を尋ねます。私が「むしょうの!」と答えると、4番乗り場に案内されました。8時32分から35分にかけて、井戸、松姫峠、不老下、無生野へと、次々にバスが発車します。これは北口の時代から変わっていません。すでに満員のバスもありましたが、無生野行きは、私一人でした。秋山村が上野原町と合併したのは2005年2月。平日は1日1便、土休日は2便運行されるバスは、いつまで続くでしょうか?

無生野行きバスは、県道35号、四日市場上野原線の狭い旧道を走り抜けます。対向車が来たら困りそうな区間も多いのですが、一般車両は広い新道を走るようです。道幅いっぱいに走るバスの旅は、秘境感たっぷり。どうしてもっと小さいバスを使わないのかな? 車窓からは、いたるところでテングチョウの乱舞が見られました。奥牧野に至り、ようやく広い道になって一安心。そして、途中での乗降客もなく、終点無生野で私を降ろすと、折返所へと走り去りました。

バス停わきの石積みに腰を下ろし、厚手の靴下2足とトレッキングシューズを履きます。そこに座っていたおじいさんから、どこに行くのかと尋ねられ、「高畑山です」と答えたのですが、何度言っても通じませんでした。身支度が整って、いざ出発。細くなった秋山川の流れに沿って、新雛鶴トンネル方面へ緩やかに上る県道35号。行く手、西の空は濃い青色です。500mほどテクテク歩くと、バスの折返し所があり、「雛鶴峠」という歌を刻んだ石碑が立っていました。

段落見出し雛鶴神社

今回の山行で、スタート地点を無生野にしたのは、バスの都合もありますが、雛鶴姫伝説の現場の一つを訪ねるためです。歌碑の裏側に「雛鶴姫の記」が刻まれていますが、石碑は読みづらいので、隣にある、秋山の民話[41]「ひなづる姫」を読みましょう。内容は津久井三姫物語とほぼ同じです。今から684年前のことなので、さほど古い伝説ではありません。雛鶴姫と赤ちゃんが亡くなった場所だという、「秋山峠の見える権田橋あたり」とはどこでしょうか?

現在、秋山峠と呼ばれる地が、朝日山(地理院地図では赤鞍ヶ岳)の肩にあります。その北稜のサンショ平に通じる、西棚ノ入沢ルートの入口が、まさにこのバス折返所ですが、ここが「権田橋あたり」でしょうか? あるいは、数馬峠の名に見られるように、他にも秋山峠があったのでしょうか? 「津久井三姫物語」では、姫と赤ちゃんが「秋山嶺」で亡くなり、そこが雛鶴峠と呼ばれるようになったとのことですが、現在の雛鶴峠あたりに橋はありません。

さらに西へ10分ほど歩くと、左手に赤い欄干の橋と、雛鶴神社が見えてきました。境内は狭いのですが、立派な石鳥居と、小ぎれいな拝殿があります。ハイカーのためか、うれしい木製テーブルとベンチも。そこに立つ由緒書きを読むと、姫と赤ちゃんが亡くなったのは、無生野としか書いてありません。ただ、姫が葬られたという「東がひと眺めできる橋のそば」(秋山の民話[41])は、この神社の境内かも知れません。今「雛鶴姫之像」が東を向いて立っています。

段落見出し蝶々の道

次は、雛鶴姫一行が登ったかもしれない、雛鶴峠に向かいます。県道35号をさらに西へ歩き、ヘアピンカーブの頂点にある三叉路にやって来ました。ここから右の旧道に入ります。旧道を少し行くと、また三叉路がありました。右は山道、左は車道です。ここで地図を見ないで、何か勘違いしました。右の山道(実は楢峠への廃道)に進むと、直ぐにどなたかの家で行き止まり! 戻って車道を進むと「赤鞍・高畑・倉岳登山口」を指す、大月市様式の道標がありました。アホ!

旧雛鶴トンネルまで、舗装された旧道を進むのが、正しい道です。この道に、テングチョウが乱舞していました。蝶の集団が地面で何かを吸っているところに、人が通りかかると、一斉に舞い上がって大乱舞になるのです。最後の民家だったと思いますが、仕事をしていた男性に「こんにちは、蝶々がたくさんいますね!」とあいさつしたら、「ああ、蝶々がね」と短い返事が来ました。毎年このように蝶が大発生するのか、尋ねてみればよかったと、後で思いました。

旧道を登って行くほどに、秋山山稜(前道志)と無生野の里をよく望めるようになりました。道路わきは、白いウツギの花盛り。蝶や蜂などを集めています。時々、私の体にとまる蝶もいました。汗をなめに来た様子でもありません。新鮮な個体が多く、無邪気そうに見えます。それにしても、テングチョウが多い! 数十頭のテングチョウが群がっているウツギもありました。日陰には蛾もたくさんいます。低地では最終盤のキアシドクガも、ここではまだ元気そうでした。

段落見出し旧雛鶴トンネルから雛鶴峠へ

雛鶴神社から50分、旧雛鶴トンネルに到着。蝶よ花よの漫遊モードで来たので、時間がかかりました。旧雛鶴トンネルは、簡単なゲートで閉鎖されていますが、中に入ることはできそうです。今、入る気にはなりませんが、突然の雷雨などには、シェルターとして利用できるでしょう。トンネルの反対側から心地よい涼風が通り抜けてきました。その向うには、リニア実験線の基地があります。トンネル入口の左、「←ハイキングコース」と書かれた道標から、山道に入ります。

その「ハイキングコース」のはじめは、杉の落ち葉でフカフカの道でした。すぐに明るく開けた場所に出ましたが、そこに送電鉄塔があり、秋山山稜と秋山二十六夜山を望めました。帰宅後に調べると、送電線は都留線、鉄塔は110号です。送電線の下は、高い樹木が伐採されるので、展望が利きます。さらに進むと、タケニグサが道を覆っているところがあり、その中からヤマドリが3羽、次々と飛び出しました。このあたりは禁猟区のようです。ところで熊さんは ...?

その先にまた展望地があり、秋山山稜と無生野の里を望めました。もし雛鶴姫一行がここを歩いたのなら、どのような心境だったでしょうか。そして11時13分、雛鶴峠に到着。無生野バス停を発ってから、1時間36分も経ちました。山と高原地図「高尾・陣馬」によれば、コースタイムは1時間。きょうは、5時間コースを6時間半で歩く予定ですから、いいペース配分です。夏場、特に梅雨時の低山歩きでは、体が暑くなり過ぎないよう、コントロールしなければなりません。

段落見出し高岩と大ダビ山

雛鶴峠は涼しくて、ひと息付ける場所です。でもどこか荒涼とした雰囲気があり、長居したい場所ではありませんでした。直ぐに高畑山に向かいます。緑陰下によく整った幅広の楽チン道は、送電線巡視路でしょう。雛鶴峠からわずか3分で、都留線109号鉄塔に至りました。道は鉄塔の真下を通っています。ここも好展望地で、今倉山以西の道志山塊、三ツ峠山~本社ヶ丸~鶴ヶ鳥屋山、その手前に九鬼山、右遠方に笹子雁ヶ腹摺山と滝子山まで望めました。

最後にもう一度、109号鉄塔下から、秋山山稜と無生野の里を望めます。そしてここから、普通の登山道になりました。明るい左手は急峻に落ちる谷で、トラロープが張られています。眼下にリニア施設が見え隠れするので、身を乗り出さないよう牽制するためでしょう。歩行の補助ロープなら、山側に張ります。道志の山なみの一部も見えてきました。リニア施設の傍を流れる大旅川。その源頭あたりに並ぶ峰々の最高峰が、朝日山(地理院地図の赤鞍ヶ岳)でしょう。

鉄塔から20分ほどで、高岩に到着しました。でもここに高い岩が立っている訳ではありません。遠方から眺めると、ここが高い岩峰に見えるのでしょうか。高岩から少し下った鞍部が、イヤゲ峠。古びた「発砲禁止」の標識と、もっと古びた「発砲注意」の標識とがあります。古い方は取り外せばよかったのに。イヤゲ峠から10分ほど登って、大ダビ山(901m)。正午のメロディーを風に聞きながら到着しました。大旅川の同族でしょうか。ここでおやつ休憩にします。

段落見出し高畑山へ

リュックを軽くするため、昼食の携行をやめ、食料はおやつだけです。もちろん、非常食は別枠。ベンチやテーブルのない大ダビ山頂では、立ったままおやつをパクつき、10分ほど休みました。引き続き、高畑山に向かいます。下り始めると直ぐ、尾根が右と左に分かれました。登山道は左、凄い激下りです。雨後はスリップに要注意。この下降中に、美しい青色のシジミ蝶を見つけました。 ゼフィルスです。手に乗せると可愛らしく、しばし時間を忘れてしまいました。

鞍部に下りて、楢峠を通過。行く手の樹木を透かして、高畑山の輪郭が見えました。ここから高畑山へ、最後の登りです。山と高原地図(高尾・陣馬 2014)に、「ヤブあり」と書いてありますが、ヤブはありませんでした。蝶も花もありませんが、空を見上げると、たくさんの葉が重なり合い、透過する緑の光がとてもきれいです。中でもカツラの円い葉の作品は金賞もの。どこかで鳴くツツドリの声「ホホー ホホー」を聞きつつ軽快に登り、雛鶴分岐に到着しました。

雛鶴分岐で秋山山稜の縦走路に入ると、わずか2分で高畑山頂でした。「秀麗富嶽十二景:九番山頂」の標識があります。残念ながら、御正体山の向うに見えるのは雲ばかり。そして秀麗富嶽の写真は、もっと残念。落書きでキズだらけです。前回2009年に来た時、すでにこうなっていました。さて、時間にゆとりがあるので、のんびりしてゆきましょう。雛鶴峠の麓の「樹齢三百余年の二本の老松」(津久井三姫物語)は判りませんでしたが、高畑山頂には老アカマツがあります。

段落見出し大桑山へ

さて、高畑山から中央本線側への下山路はいくつかあります。今回は、まだ行ったことのない大桑山を経て猿橋駅に至るルートを選びました。大秋日山を経て幡野入口バス停に下りることも、計画段階では考えてみましたが、今はヤブの濃くなる季節なのでボツ。無難な朝日小沢に下りることにしたものです。少々歩き足りないような気もしますが、経験上、暑い日は涼しい日の1.5倍ほど疲れます。紅葉の季節なら、その名も輝かしい大秋日山を訪ねてもいいかも知れません。

高畑山から西へ、標高差約70mを下ります。高岩と大ダビ山ではエゾハルゼミが鳴いていましたが、ここではハルゼミの声を耳にしました。まだきれいなヤマツツジの花は、目の保養。そんなのどかさが一変します。鞍部からの登り返しに、ナイフリッジがありました。短い区間ですが、これは半端なく狭い! 右に巻道もありますが、ザレています。私は両方を見比べて巻道を選んだのですが、こちらも足場が悪く、要注意。最後は四駆モード(両手両足)で這い上がりました。

通過後に振り返って見ると、ナイフリッジを渡った方が良かったのかも知れません。この岩場は「大桑岩稜」と言うそうです。まずは無事に標高差約40mを登り返し、940m+の小峰に立つと、道志の朝日山から今倉山あたりまでをきれいに望めました。道志山塊は、東西に長い連嶺で、見えているのはその一部分です。さて、その小峰で倒れていた松の木を越え、また少し下って、大きく登り返すと、大桑山(980m+)でした。展望はありません。山頂標は三つもあります。

段落見出し朝日小沢へ

大桑山から先に進みます。本格的な下山モードになりました。どんどん下ります。途中で突坂山(つきさかやま:865m)という小峰を越え、さらに下って、無線中継所専用林道のすぐ手前まで来ると、厄介な倒木がありました。その右手から林道に、人が跳び下りた形跡も見られますが、ここは倒木をくぐる方が安全です。林道に下り立つと大月市様式の道標があり、「鈴懸峠」を指す腕木だけが新しそうでした。本記事ではここを仮に「林道突坂峠」と呼ぶことにします。

林道突坂峠のすぐ近く、本来の突坂峠には石仏があり、その写真がヤマレコにあります。残念ながら、そのことを知ったのは帰宅後でした。これよりバス停まで、延々と林道を歩きます。日当たりのよい林道は、ここでもウツギの花が蝶たちを寄せていました。振り返ると、見えたのは大桑山ではなく、手前の突坂山です。そして鈴懸峠(鈴ヶ音峠)で、最後にもう一度道志の山々を眺めました。なおも林道を40分ほど歩きます。途中、キアシドクガが乱舞していました。

斜面の崩落を見て、さらに先ではコンクリート吹き付けの擁壁が続きます。林道歩きに飽きて、朝日小沢の集落が近づくと、マタタビやシモツケの花に慰められました。人里に入ると、郷愁を誘う菜園兼花畑。百花繚乱の今、蝶もたくさんいました。そして朝日小沢上(あさひおざわうえ)バス停にゴールインすると、またまたテングチョウの大乱舞。腰を下ろし、クロックスに履き替えます。しばしバスを待つ、幸せな時間。きょうもすてきな山旅でした。感謝。

段落見出し追記

消費した水は0.8リットル。水場なし。登山道は明瞭で、要所に道標あり。大桑岩稜以外、危険箇所なし。両バス停付近に店なし、自販機なし。トイレなし。高畑山頂で携帯電波あり(au)。山で出会った人はゼロ。山中で見た人の足跡もゼロ。

護良(もりよし、もりなが)親王の御首級(みしるし)は、都留市朝日馬場の石舟神社祀られている。また雛鶴姫を祀る雛鶴神社と雛鶴姫の墓が、都留市朝日曾雌(そし)にある。二本の「お供の松」もこの近くにあったが枯れたという。

護良親王の王子である綴連王(つづれのおう)の母は、雛鶴姫だろうか? 別の妃だろうか? もし雛鶴姫だとすると、無生野で生まれてすぐ亡くなった男の赤ちゃんは、綴連王の弟だということになる。また、その赤ちゃんは、本当は亡くならずに成長し、綴連王となったという説もあるらしい。

木の葉ライン

 サルギ尾根 <<  HOME >>  入笠山
↓ 紙芝居



©2019 Oda Family  All Rights Reserved.