燕岳は、北アルプス入門の山と言われます。登山口から比較的短時間で森林限界を超え、すばらしい眺望の稜線に立つことができます。
燕岳への登山路は急登ですが、よく整備されています。しかしほとんどの人が1本の道を行き来するので、日取りによっては大混雑することがあります。
長野自動車道安曇野IC: → 中房温泉
地理院地図: 燕岳
燕岳の天気予報:長野県安曇野市 , 中房温泉
合戦小屋に掲げられた地名の由来
7月26日〜27日、山の友たちと燕岳に行ってきました。総勢4名です。26日(土)はこれ以上望めないような絶好の登山日和。滝のような汗をかいて、あやうく熱中症寸前まで行きました。稜線上に達すると、穂高・槍から立山・剣まで、北アルプスの連嶺大パノラマ。コマクサは満開。雷鳥は子育ての真っ最中。山小屋の食事は美味しく、日没は神々しく、夜には全宇宙の星たちが総出で大空を飾ってくれました。
交通の安全のために蓼科に前泊し、午前6時半頃に中房温泉(なかぶさおんせん)に到着しました。三つの駐車場はいずれも満車でしたが、何とか車を置くことができました。路肩までもすでに車で一杯だったのに、私たちが駐車場内に車を置けたのは不思議です。さっそく身支度と準備運動をし、登山口に向かいました。
登山口には大勢の人がいて、都会並みの人口密度になっていました。大、中、小のバスやタクシーもかなりの数が動員されていたようです。早くも山小屋(燕山荘)の混雑が思いやられました。すぐに登山路に入ります。ここから燕山荘まで、登りも下りも1本の狭い道しかありません。
合戦尾根をたどる登山道は、始めから急登でした。雨が降ったのか、道がぐちゃぐちゃしていましたが、これはすぐに終わり、歩きやすい道になりました。前にも後にも、人が数珠つなぎです。この状態は、その後さらに過密になり、燕山荘(えんざんそう)に到着するまで続きました。
登山道脇には、花の終わったゴゼンタチバナやイワカガミが各所に見られました。また、とっさには名前のわからない数多くの草木の花が咲いていましたが、それらのほとんどを撮影できませんでした。撮影などしていたら、私の後続の人々の足を止めることになります。道幅が多少広い場所では「お先にどうぞ」と言えますが、撮影後に自分のパーティーに戻るのが一苦労です。
下山してくる人々は、もっと大変でした。登る人の列に切れ目がないからです。登山道では「登り優先」が基本ですが、これではいつまでも下山できません。大声で「通してください!進めません!」と叫ぶ人もいました。バスの時刻を気にしている人もいたでしょう。登る人々もしばしば立ち止まって下山者を通してあげることで、「山を空ける」ようにします。これはこれで小まめな休憩になるので、悪いものではありません。この合戦尾根の登山道は、「北アルプス三大急登」の一つだそうです。
バス2台で来たツアーグループも登っていました。こんな大世帯は分断しないよう、コンダクターがさぞ骨を折ったことでしょう。韓国語や中国語の声もよく聞こえました。海外からの皆さん、スタイルをビシッと決めています。気合も十分に、槍ヶ岳への縦走を目指していました。他に、小さな子供を背負った人も何人かいました。大体、この日の登山道では、マイペースで歩くことが不可能だったのです。もっと速く歩きたかった人も、もっとゆっくり歩きたかった人も、黙々と前の人について行くしかありませんでした。
登山道には、下から順に「第一ベンチ」「第二ベンチ」「第三ベンチ」「富士見ベンチ」「合戦小屋」と、ほどよい間隔で休憩所があります。展望のない樹林帯が長く続くので、直近の目標がいくつもあることは、精神的に助かります。丹沢の大倉尾根を「バカ尾根」と呼ぶのなら、ここは「ドバカ尾根」ではないかと思いました。変化の乏しい道を、ただひたすら頑張って登り続けるのみなのです。でも第三ベンチに近づく頃から、左手に東天井岳など少しずつ常念山脈の一部が見え隠れするようになり、大いに元気をもらえました。
大渋滞にもかかわらず、歩行に要した時間は、「山と高原地図」に示されている所要時間よりも短くて済みました。このコースタイムには、まさか、渋滞による待ち時間も含めてあるのでしょうか。それはともかく、バスなどの時間を気にするときは、日時にもよりますが、かなり早めに出発するほうがよさそうです。
さて、スイカで有名な合戦小屋に到着しました。八分の一切れが800円で、売り場には長い行列ができていました。私は始め、人が汗して担ぎ揚げた重いスイカを買って食べる気はしませんでした。でも実は、ロープウェイで下界からスイカを大量輸送していたのです。ロープウェイの貨物駅(?)の中には、スイカの入った段ボール箱が山と積まれていました。私たちは合戦小屋前のベンチで中休みとします。お茶を飲んでいたら、大きな蝶がふわり、頭をかすめて行きました。アサギマダラです。
合戦小屋から7,8分ほど登ると、左手に槍ヶ岳の頭が見えました。さすが(?)、わが国屈指(五番目)の高峰。さらに5分ほどで、合戦沢ノ頭に到着し、燕岳と燕山荘を望めました。最初の大きな感動です。登山道わきに、ハイマツや、花のついたイワカガミ、チングルマなどが見られ、すっかり高山の様相になりました。見えるすべての山々が力を与えてくれます。ここから縦走路までの45分間は、足取りも軽く、わくわくしながら登って行きました。
縦走路がいよいよ近くなると、ミヤマキンポウゲやシナノキンバイなどの花々が、いっそうの高揚感を与えてくれました。そして燕山荘直下で残雪の横を通り抜けると、表銀座の稜線に立ちました。眼前に北アルプスの主だった峰々がずらり、南の穂高・槍から始まり、北の立山、鹿島槍あたりまで、壮観のお披露目です。渋滞のストレスも何もかも一切忘れ、しばらく大パノラマに見入って感激に浸りました。すばらしい青空にも感謝!
さて、山や花は改めて観賞することとして、まずは燕山荘で入室の手続きをしました。燕山荘は収容定員が600名とのことですが、この日は予想通りの混雑ぶりで、4人部屋に8人が入ることになりました。実際、この後に寝苦しい一夜を明かすことになったのですが、贅沢は言っていられません。テント場も正午までに満杯になったようでした。
私たちは燕山荘で大休止して、午後1時から燕岳に向かうことになりました。私は、この自由時間を使い、南方への縦走路に入ってみます。さっそく西斜面に、たくさんのコマクサが咲いていました。コマクサは他の植物が育たないような砂礫の環境で、どのようにして養分を摂っているのか、ひとり頑張って生きています。掘った人はいないと思いますが、根は相当に深いのでしょう。有毒植物なので、動物に食べられることもなさそうです。とにかく表敬に値する花だと思ってレンズを向けました。
稜線の東斜面は、お花畑のように見えましたが、入ることはできません。南に向かって正面には常念山脈の最高峰、大天井岳が聳え、その左下には安曇野の平野を見下ろせました。西斜面はハイマツとシャクナゲがカバーしていますが、露出した砂礫地もかなりあって、遠目には白砂青松の風景です。ロープを越えて足を踏み入れると、降った雨の流れが変わり、植生にも大きく影響するそうなので、登山道だけを優しく歩くようにしましょう。砂礫地のコマクサの分布にはムラがあります。
右手はるか、槍・穂高の山並みにはひと際存在感があります。奥穂高岳にかかった雲がなかなか晴れてくれませんでしたが、その山頂に立っていた人々もガスの晴れ間を望んでいたことでしょう。小槍を従えた槍ヶ岳は、今見えている最高峰です。その頂に降った雨が、梓川、高瀬川に泣き別れるというそうですが、後者の上流の一つ、水俣川(みなまたがわ)は燕山荘からも見えます。
午後1時、4名そろって燕岳に向かいました。水とカメラだけを携えての散歩気分です。すぐにイルカ岩にやって来ました。この辺りにはイルカのほか、アシカやウミガメなど、海の生き物のような奇岩がたくさんあります。イルカの目は人が彫ったんじゃないか、と誰かが言いました。私もそう思います。まばらですが、コマクサがどこまでも咲いていました。
燕岳の岩峰が白砂の上に伸び上がる造形に、南アルプスの地蔵岳を彷彿しました。でも、どこか女性的な優しい風貌をもつ燕岳。頂には労することなく登れます。山頂標は立っていませんが、「燕岳頂上 2763m」と刻まれた小さな岩と三角点標があります。山頂より北面の眺望を期待して行ったのですが、残念、北燕岳より先はガスに隠れてしまっていました。空には、たった1羽ですが、アマツバメが高く飛んでいました。
私は、胃に少しむかつきを感じました。合戦尾根の登りで滝のような汗をかいたのと、森林限界上に来てからずっと炎天下にいたことで、軽い熱中症になりかけていたようです。この日は3リットルの飲み物を持参し、水分はこまめに摂っていたつもりでしたが、体が水切れだったのでしょう。持っていたスポーツドリンクを飲み、涼しい風に吹かれて休んでいたら、むかつきは収まりました。
午後4時半から夕食が始まりました。8席のテーブルが12卓もある大食堂ですが、宿泊者が多いので、何度も人を入れ替えます。チーズハンバーグと魚の切り身は美味しく、多くの人々に好評のようでした。食事中に燕山荘オーナーの赤沼氏が来て話されました。森林限界の上は特別保護区で、重要文化財よりも貴重な扱い。①何も持ち帰らない、②何も動かさない、③何も置いて行かないの三原則を厳守すること、など。最後に長尺アルプホルンの音色を、私は初めて生で聞かせてもらいました。
仲間の一人が午後に遭遇した雷鳥の写真を見せてくれました。目の前にいたのに、全く逃げる気配がなかったそうです。そこで私もカメラ片手に雷鳥探しに出かけました。縦走路の左右をくまなく探しながら、蛙岩(げえろいわ)への中間点あたりまで行きましたが、どうもタイミングが悪かったようです。帰る道でもていねいに探しましたが空振り。そしてもう一度南に向かうと、右手の斜面に雛の姿が見えました。静かに近づくと3、4人が腰を下ろして十数m先の雷鳥一家を見守っていました。
聞くところによると、ここの雷鳥たちは燕山荘があることで、ずいぶんと人馴れしているのだそうです。母鳥が雛たちを連れて斜面を上り下りしているので、辛抱強く待てば、たいていは見られるとのことでした。そこにいた人々も私も、じっと待ち続け、日没の間際になって、ようやく母鳥が至近距離(約2m)まで来てくれました。雛たちの産毛が夕日を受けてほの赤く、いっそう可愛らしく見えます。このまま雷鳥たちがずっと生息し続けてほしいと、心から願いました。
午後5時52分、野口五郎岳と真砂岳の間あたりに日が落ちました。太陽が消えたその瞬間、静かな拍手が起こりました。残照も神々しく、稜線のシルエットがくっきりと浮かび、天と地とを分けています。地球では1日1回だけ味わえる、星の王子さまの気分。冷たい風が吹き始めていましたが、半袖シャツ一枚の人も何人かいました。雲はほとんどなく、空も赤らみそうになかったので、寒くなった私は山小屋に入りました。
すばらしかった日没も、まだこの日最後のプログラムではありませんでした。燕山荘の消灯は午後9時です。照明が消えました。小さな非常等だけが廊下を照らしています。私は寝床を抜け出し、ベランダまで忍び足。ガラス戸の外に出ると、期待どおり、夥しい数の星が夜空を埋め尽くしていました。折りしもこの日は旧暦六月三十日。月明かりが全くないのです。「星がたくさん見えすぎて星座が分からない」と誰かの言う声が聞こえました。
再び寝室にもぐり込むと、暑いのと、寝返りができないのとで、なかなか寝つけませんでした。私は眠るのを一旦あきらめ、この日のすばらしい記憶を一つずつ振り返って行きました。こうしていると、いつしか眠りに落ちるものです。翌日は前線が近づいて、天候が崩れるという予報でした。
翌27日の朝、早めに食堂前に並び、4時から朝食をいただきました。日の出は4時50分頃と聞いていたので、外に出てご来光を待ちます。前日とは打って変わった曇り空。でも、東の空に明るい隙間が十分にありました。ご来光は期待できます。4時半には、早くも下山して行くパーティーが下に見えました。天候と渋滞とを考えてのことでしょう。山小屋の東側には、ずらり人とカメラの列。午前4時48分、真っ赤な太陽の頂点が現れました。
燕岳にうす紅がさしました。燕岳を背景に記念写真の撮り直しをしようとしていた二人組みから頼まれたので、カメラを高く持ち上げて撮影してあげました。確かに撮り直したくなるような燕岳です。私は朝の大天井岳も見たかったので縦走路に行くと、ちょうど雷鳥の親子が登山道を歩いていました。前日にも来た、山並みの構図のよい岩に立ちます。ここで朝日を浴びて立つ大天井岳を見つめ、思いを込めて記憶とカメラに収めました。もう一枚と思ったら、ピピピと鳴ってカメラの電池が切れました。
前日と異なり、下山は順調でした。どんどん高度が下がります。富士見ベンチで小雨が降り始め、私は折り畳み傘を取り出しましたが、使うまでには至りませんでした。中学生の男女各30名ずつほどの大パーティーが登って行きましたが、上の方で雨に濡れなかったでしょうか。私たちはその後もほとんど渋滞せずに下れたので、出発後3時間弱で駐車場に到着できました。最後に有明荘で露天風呂を楽しみ、さっぱりと着替えをし、早めに帰宅しました。ドライバーさんたち、おつかれさまでした。
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