辺室山は、登山道や道標がよく整備されています。優れた眺望も各所にあって、子供と一緒に楽しく登れそうです。ただ、決してヤマビルを持ち帰らないように気をつけましょう。
鍋嵐は、あまり一般向けとは言えません。地形図と現場地形の両方を、よく読むことが求められます。よく下調べをして、慎重に行動しましょう。よい子が行く山ではありません。
神奈中バス: 本厚木駅 → 土山峠 神奈中バス: 本厚木駅 ← 煤ヶ谷
地理院地図: 鍋嵐 , 能ノ爪
鍋嵐の天気: 丹沢山 , 清川村 , 土山峠
大山三峰山から鍋嵐を望む
レポ: 鍋嵐北尾根 , 宮ヶ瀬尾根
ヤマビルも影をひそめるようになった11月19日、宮ヶ瀬湖畔の辺室山に登り、鍋嵐まで歩いて来ました。当日は絶好の晴天日だったので、まず宮ヶ瀬湖畔道路をしばし散策。土山峠から辺室山を経て鍋嵐へ続くルートでは、北面と東面に展望があり、登山道の紅葉もきれいでした。鍋嵐のやせ尾根はプチ冒険。ザレ場は要注意ですが、避けられます。物見峠から煤ヶ谷に至る道からは、錦色に輝く辺室山の姿を直視し、文字通りの「物見遊山」を満喫しました。
辺室山に登るには、土山峠バス停の登山口が便利ですが、次の仏果山登山口までバスに乗りました。宮ヶ瀬湖の入り江に沿って土山峠まで歩こうと思ったからです。午前8時半下車。朝の太陽が、北西の空を澄んだきれいな青色にしていました。湖水も空の色を反射して深い青に。紅葉の山々は紅と緑のまだら錦。右手の奥には焼山を望めます。入り江の対岸は宮ヶ瀬尾根の稜線でしょうか。これらを楽しみながら、土山峠まで約2kmをテクテク歩いて行きます。車がビュンビュン通りますが、歩道が一段高くなっているので安心です。
土山峠に着くと、まず坐禅石を見物しました。採石事業のため、仏果山からここに下ろしたのだそうです。山から滑り落としたのか、大型ヘリで吊り下げた来たのか、その作業を見たかったと思うほど大きな石です。いつの日か、また山に戻されるのでしょうか?
土山峠登山口で、登山届けを書いてポストに入れました。ヤマビルと熊への注意書きもありますが、蛭の出ない季節を待ってやって来たのです。熊向けには、ときどき声を出しながら登ることにします。人はいません。さて、登ろうとしたら、「あれ、道がないではないか!」と一瞬思いました。よく見ると落ち葉の積もった階段の道があります。登り始めると、宮ヶ瀬湖を見渡すことができ、立派なモミの木も立っていました。これより先、鍋嵐まで随所ですてきなモミの木が見られました。
幅広の登山道はよく整備されている上、土の上に落ちた枯葉を踏んで歩く、足にやさしい道でした。長い急登はありません。ときどき右後方に仏果山が見えたり、左手後方に華厳山が見えたりします。高取山が左右に一座ずつ見えるのも面白いところ。尾根上に石の祠もいくつかあり、生した苔が風雪を感じさせます。昔の人もこの道を登ったのだろうなあと、真新しい石祠を背負子で担ぎ上げる姿を思い描きながら、心だけが過去にタイムスリップして行きました。
尾根道が平坦になったところに、辺室山 0.3kmと書かれていました。頂上が台地状に見えるのが、辺室山の山容の特徴です。子供と一緒に家族ハイキングをしても、ランラ、ランランと楽しく登れそう。人気(ひとけ)のない静かな山で歌うのは熊よけのため。人がたくさんいるときは、歌う気も必要もなくなるでしょう。
明るい山頂が見えてきました。陽射しを燦々と浴びて、そこに楽園がありそうな雰囲気です。果たして登りきると、なかなかの展望がありました。宮ヶ瀬湖の彼方に、石老山と笹尾根。その向こうに奥多摩の山並み。左に目を移すと、くっきりした稜線の焼山と黍殻山、丹沢三峰と丹沢山。南面には枝越しながら、まぶしく輝く相模湾を望めました。まだ、さして空腹ではありませんが、ここで昼食にします。
さて、もう一つの目的地、鍋嵐に向かいます。辺室山の山頂から南西の尾根に入りました。これより先、道標が物見峠を指す方向が、当面の進路です。所々に現れる展望と、絶え間なく続く紅葉とを楽しみながら、緩やかなアップダウンを3回ほど過ぎて行くと、小さな祠のある分岐点にやって来ました。物見峠へは左折ですが、鍋嵐へは直進します。
直進路の出鼻に、立て札がありました。「登山者の皆さま、この先、登山道ではありません。」と書かれています。私は、“だから、よくよく気をつけて歩いてください”という意味に解釈しました。ここからの道は様相が一変し、ずっと険しくなります。さっそく現れたロープ場を越すと、うれしや、すばらしい眺望が開けていました。相州アルプスとも呼ばれる、宮ヶ瀬の高取山から荻野高取山までの山並み、その手前に先ほど通ってきた辺室山が、障害物なくきれいに望めます。
その先も踏み跡はしっかりとしていました。やせ尾根では道を間違えようもありませんが、滑落には十分に注意しなければなりません。尾根が分岐する箇所や、踏み跡が分かれる箇所には、たくさんのテープや雑貨品の目印がぶら下がっていました。もとより無責任な目印ですが、目印が多ければ人がよく通行したルートであろうと、一応考えられます。鍋嵐へは、基本的に西へ西へと進んで行けば、大きな間違いはないと考えました。
話は少し戻りますが、先ほどのきれいな展望地のすぐ西に、「能ノ爪」というピークがあります。はじめ「(能ある)鷹ノ爪」の間違いではないかと思いました。その名の由来は知りませんが、宮ヶ瀬尾根への分岐です。南面に巻き道があり、立ち木に描かれた赤ペンキの矢印がその巻き道(左)を指しています。それなら大丈夫だろうと思って入って行くと、その先は足場の悪いザレ斜面で、少々難儀しました。ここは、能ノ爪を素直に越えて行く方が安全です。
719m峰から北に分岐する道があります。地形図を見ると、ここも宮ヶ瀬尾根ハタチガ沢への分岐のようです。もちろん、北に進んでは鍋嵐に行けません。晴れて太陽の位置が分かり、周囲の地形もある程度把握できるときは、迷い込むことはないと思いますが、曇りやガスの日は、コンパスで方向確認を何度もするようにしましょう。
やせ尾根に樅の木が立ちはだかっていました。左右の斜面は急峻で、この木を抱えながら右か左に回りこむことになります。勝手ながら、これを「抱っこモミ」と命名しました。その5分ほど先に、こんどは松の木が立ちはだかっていました。この木は、「抱っこマツ」と命名しました。
鍋嵐の胸突き八丁、最後の10分間は急登でした。登りはひたすら頑張ればよいのですが、下りは慎重を期する区間です。鍋嵐山頂に着くと、丹沢三峰が見えました。山頂は狭く、樹木に囲まれて、それ以外の山は見えません。北の「ゴジラの背尾根」に続く道はいきなり急降下で、偵察する気にもなれませんでした。ふと足下を見ると、お坊さんの頭のような丸い石がたくさんありました。このような石は、経ヶ岳でも見たことがあります。
軽い空腹を覚えたので、「森の切り株」という菓子パンをリュックから取り出し、丹沢山と丹沢三峰を眺めながらほおばりました。これからの寒い季節には、固くなりにくい菓子パンと、手軽に温かい飲み物が飲める魔法瓶は重宝します。せっかく鍋嵐まで来ながら、他にすることもなかったので、登頂記念だと思って食べました。
来た道を戻ります。山頂直下の急傾斜は、立ち木の助けを借りながら下りました。再び「抱っこマツ」と「抱っこモミ」を越えると、719m峰の南面に巻き道らしい踏み跡がありました。ちょっと変わった目印がぶら下がっていますが、その意味は「行ける」なのか「行けない」なのか分かりません。でも入ってみたら、すぐに尾根道に合流し、少しばかり時間とエネルギーを節約できました。他方、能ノ爪は巻かずに越えました。
小さな祠のある分岐に戻りました。南に聳える大山三峰山をチラリと眺め、引き続き物見峠まで下って行きます。峠に下り立つと、東面が開けていました。厚木市街地とその彼方の都市圏が、遠目にはあたかも文明の栄華のごとく望めます。よく目を凝らすと、湘南海岸らしい青色も見えました。休憩台に腰を下ろして、かつて物見峠はもっと眺望の優れた峠だったのかもしれないなあと想いながら、ゆったりした気分でお茶にしました。
物見峠から煤ヶ谷に下山します。峠から800mほどの区間は登山道が崩壊しているとの注意書きが立っていました。崩壊が進んでいないか見極めながら、慎重に歩かねばなりません。けれども斜面の崩落のおかげ(?)で展望は好く、西日を受けて輝く紅葉の辺室山を、とっくりと眺めることができました。逆コースで早めに登って来れば、陰影による立体感のある辺室山を見られるかもしれません。
物見峠から約20分ほど歩いて大山三峰山からの道を合わせると、後は煤ヶ谷までほとんど眺望もなく、ひたすら下るばかりです。今回も下山での時間調整がうまく行き、6分待ちでバスに乗れました。ところで「煤ヶ谷」という地名は、炭焼きに由来するのでしょうか。「清川」という名の村に立ち上る白い炭焼き煙を想像すると、ほのかな安らぎを感じます。
別所温泉入口で途中下車しました。「別所の湯」に立ち寄ったところ、男湯の先客はわずか一人だけ。この日、山で出会ったのは、単独の熟年男性1人と若い男女の計3人。もちろん、ヤマビルとは出遭いませんでした。今回も無事に下山できて、感謝しながら帰宅しました。
鍋嵐に行くためのポイントをまとめておきます。
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