春の大丹波川沿いに、ニリンソウ、スミレ類、ネコノメソウ類ほか多くの山野草の花が見られます。樹木も豊富で、アカヤシオ、ミツバツツジなどが、山と渓谷を美しく彩ります。
獅子口⇔踊平間は、現在通行禁止です。登山道上に大きな崩落があり、落石、滑落、道迷いなどの危険があります。
西東京バス: 川井駅 → 清東橋 西東京バス: 奥多摩駅 ← 東日原
地理院地図: 日向沢ノ峰 , 蕎麦粒山
大丹波川の天気: 奥多摩町 , 川井駅 , 清東橋
レポ: 大丹波川と都県境尾根
4月22日、新緑の萌え出づる大丹波川(おおたばがわ)から日向沢ノ峰を経て、蕎麦粒山に登りました。獅子口小屋跡と踊平の間の崩落地を見ましたが、谷の上部が大きく崩れ、登山道が岩石、土砂、倒木で塞がれていました。崩落が完全に止まり、土砂や岩石が落ち着くまで登山道の修復は困難かと思います。踊平から一杯水までは問題なく歩けましたが、稜線上にアカヤシオが全く見られなかったのは残念。ヨコスズ尾根中腹部の狭い道は、積もった落ち葉が深く、慎重に歩きました。
3月14日から西東京バスの時刻表が変わったことを忘れ、大正橋の袂で準備運動をしていたら、清東橋行きのバスがやって来ました。走って飛び乗り、運転士の横の席に座ったら、「そこに座るのならシートベルトを着けてください」と言われました。乗客は2人だけで、終点の清東橋まで乗り降りはゼロ。こんな不採算路線は廃止されるのではないかと心配ですが、新しい時刻表では逆に、土休日も含めて、清東橋まで行くバスが増えました。便利⇒利用者増⇒増便、となればいいのですが。
大丹波林道は、ヤマブキがきれいでした。ミツバツツジは既に終って、地面に落ちた花がわずかに残っていただけ。ヤマザクラは終盤ながらも、紅い若葉とともに山々を彩っていました。アカヤシオはどうでしょうか。2日前の大雨と強風で、場所によっては全部叩き落されたかもしれません。
大丹波川に下りると、まぶしい新緑の別世界でした。地面にはニリンソウがいっぱい。川の水量もほどほど、獅子口小屋跡まで楽しく、安全に歩けそうです。沢沿いの道は、種々のスミレ、種々のネコノメソウのほか、春の山野草の宝庫。愛らしい花を見るたびに立ち止まって撮影していたら、大丹波川の散策だけで一日が終ってしまいそうでした。
登山道が川原の岩の上を通るところに、アカヤシオがあります。花はほとんど落ちてしまって、流れの中の小石に引っかかったり、岩に生した緑の苔に散らばったりしていました。これはこれで、人によっては風情を感じるかもしれません。曲ヶ谷の大きな岩のアカヤシオも花は終わっていて、こちらは地面が満開と言ってもいいほど。こうなると、標高の高いところでは、見頃かもしれません。
獅子口小屋跡⇔踊平の区間は、登山道の崩落で、通行禁止になっています。横ヶ谷平を経由して迂回するのもいいのですが、もし日向沢林道から踊平トンネルを通って、トンネル西口から踊平に上がることができれば、時間も体力も節約できそうです。でも、そんなことが可能でしょうか? 地理院地図には、踊平トンネルも、日向沢林道も示されていません。そこで、まず初めに崩落の現場から偵察することにしました。(登山道情報は ⇒ 奥多摩ビジターセンター)
その現場に来ると、谷が上の方から大きく崩落し、夥しい岩石、土砂、倒木で登山路が埋め尽くされていました。見上げると、崩落の最上部あたり、きれいに咲いたアカヤシオが見えました。小石がパラパラと落ちてくる気配はありませんでしたが、突然大きな岩石が落ちてくれば、ただでは済みません。倒木は乗り越えることができても、足場が崩れれば、谷に転落するかもしれません。また、登山路が不明瞭になってしまったので、道迷いの恐れもあります。
私は2年前にこの区間を歩いたということもあって、道迷いはなく踊平に至ることができました。西面からの涼しい風を心地よく感じながら、さっそくアカヤシオを見に行きます。花は予想通り見頃で、ふっくらとしたつぼみもたくさんありました。空は雲が流れ、陽が照ったり翳ったりして、花の色も質感も微妙に変化しています。花は南向きに咲くものが多いので、青い北の空を背景にするときが、最も美しいと思いました。
踊平のアカヤシオを20分近くも見ていましたが、ここで十分に鑑賞しておいてよかったと、後で思いました。これ以後、この日、アカヤシオを見ることはなかったからです。もっと遅い時期に咲くのでしょうか? それは分かりません。ミツバツツジは、ヨコスズ尾根の上部で咲き始めを見ることができました。踊平の十字路に戻り、日向沢ノ峰を目指します。
踊平から川乗林道に通じる道は、かなりの人が歩いたような跡があり、トンネルの西口には車も来ていました。川乗橋のゲートは閉じられているので、林業関係者の車でしょう。踊平から北に進み、鳥屋戸尾根への巻き道を左に分け、日向沢ノ峰の防火帯にやって来ました。ジグザグの登山道があります。陽射しを遮るものが全くないので、暑い夏には厳しそうな道ですが、南面にすばらしい眺望があります。間近の川苔山のどっしりした姿はもちろん、西の樹林帯すれすれには富士山も望めました。
防火帯を登りきると、奥多摩北西部のパノラマが出現します。この日の空は雲が多く、まだ樹木の芽吹き前だということもあって、視界の大部分は鈍い色でした。右手の日向沢ノ峰から反時計回りに見て行くと、まず独特の山容の蕎麦粒山と三ツドッケが、すぐに分かります。この位置からは見えにくい長沢背稜をたどり、遠方に最も高く聳えるのが雲取山。そこから東に伸びる長大な石尾根。冬にはこれらの山々が、さぞ美しく見えることだろうと、想像できます。
日向沢ノ峰には、青い私製の山頂標がありました。飯能市最高峰と書いてあります。山頂の石の上にお盆のようなものが取り付けられていて、これに腰掛けると、正面に富士山が見えました。岩の陰にはプラスチックの工具箱があり、中にノート、メモ書き、老眼鏡などがありました。いずれもきれいで、まだ新しいもののようです。これらを元の位置に戻すと、山頂に寒暖計があることに気付きました。この山に愛着のある人が取り付けたのでしょう。時刻は11:30 am、8.5℃でした。
山頂から北に少しだけ下ると、小さな広場があります。ここは三叉路で、右は都県境尾根を経て棒ノ折山方面。アカヤシオがたくさんあります。左は蕎麦粒山と有馬山方面。幅広の尾根上には、防火帯として刈り込まれた、一見芝生のような草地が続き、傾斜も緩やか。遊歩道のような趣があります。この広場に立つ老木は、人が見ていなければ歩いたり踊ったりしそうな姿。その枝にルリビタキが飛んで来て止まりました。
さて、これよりなだらかな稜線漫歩が始まります。地理院地図によれば、都県境は尾根の最上部を通っているので、防火帯は東京都側にあります。いつ刈り込みをするのか、年に何度するのか知りませんが、日当たりも見通しもよく、ゴロ石や倒木などはなくて、すこぶる軽快に歩けます。よく見ると、草から顔を出すようにして、小型のスミレがたくさん咲いていました。ここは、芽吹きの季節や、紅葉の季節に歩けば、どんなにきれいなことかと思います。
三叉路から3分ほど歩くと、有馬山稜の尾根が右に分岐します。WEB上の山行記録によると、この分岐点から7〜8分ほど有馬峠方面に進むと、アカヤシオがあるようです。蕎麦粒山へ向かう人で、これまで花を見そびれていた人は、ちょっと道草を食って往復してもよいでしょう。
遊歩道のような尾根は、1370m台の小峰で少し左に曲り、次の桂谷ノ峰(1380m)の手前でまた少し左に向きを変えます。そして1400m台の小峰に至ると、ついに蕎麦粒山を直接見通せるようになりました。この峰からいきなり急降下があって、その先に急登があります。これは正にソバの種。試練の道かも知れません。この峰で初めて人と出合いました。熟年の単独男性です。記念写真の撮りっこをして話すと、この先、遠く秩父まで歩かれるとのことでした。
蕎麦粒山頂へは、意外にもあっさりと到着しました。まず目に入ったのは三角点の標石ですが、歯槽膿漏のように、根までむき出しになっています。山頂の土が風雨で削られてしまったのでしょう。山頂の火打石は簡単に削れはしないので、山の標高に変わりはないと思います。言うまでもなく、地図に記載されているのは、山の標高ではなく、三角点の標高です。山頂からは、ボリューム感のある川苔山と、日向沢ノ峰からここまでのなだらかな稜線を望めました。他の方向に展望はありません。
蕎麦粒山で一休みしてお茶を飲むと、体の冷えないうちに、仙元峠に向かいました。急坂を下った鞍部付近で、巻き道を左から合わせます。踊平からの巻き道でしょう。仙元峠は昔、秩父と多摩を結ぶ唯一の峠だったそうですが、旅人たちはこの道を歩いたのでしょう。現在歩くのは、森林の作業員か、往時を偲んで歩く「峠ハンター」くらいなものだと思います。そして、仙元峠にも、南面に巻き道があります。この分岐に立つ道標の腕木が、一部壊されていました。熊の仕業でしょうか。
仙元峠は、1444mのピーク上にありました。苔生した祠、枯れ木と倒木、年季ものの道標など、風雪を偲ばせるものが揃った、遺跡ムード満点の峠です。説明板によると、上州からの富士講の信者たちが、最初に富士山を拝めたのがこの峠だったとか。また、峠は鞍部にあることが多いのですが、ここはピークです。ただ地理院地図では、このピークの300mほど西方の鞍部に仙元峠と書かれています。仙元峠を辞し、西に下って行くと、その鞍部で、巻き道を走ってきたランナーと出合いました。
ひたすら西へ西へと進みます。どのピークにも巻き道があり、足腰の負担は最小限で済みます。道が可能な限り南面を巻くのは、北面より積雪が少なく、雪解けが早く、日が長いからです。仙元峠から約25分で、棒杭尾根の分岐に来ました。ここの道標も、腕木の一部が壊されていました。傷はあまり古くはなさそうです。もし仮に熊が噛んだのだとすれば、山に食べ物が不足していたのでしょうか。昨秋は、ドングリも少なかったし。
さて、なんとも楽チンな稜線漫歩ですが、ふと気がつきました。「このだらだら歩きは、面白みに欠ける!」要するに飽きてきたのです。「もう少し緑があったら、起伏があったら、青い空があったら、雪があったら、キノコが生えていたら、ツツジが咲いていたら...」等々。今は山のアトラクションの端境期なのかも知れません。そもそも山歩きは、常に魅力いっぱいという訳ではありません。この日の行程では、ここでのおよそ1時間が、我慢のしどころでした。
一杯水は、よく出ていました。まず手と顔を洗い、両手に水を受けて飲んだのですが、冷たくて味は分かりませんでした。でもこれで心身ともにリフレッシュ。山男はある意味、大変に安上がりです。そして絵本の中の絵のような一杯水避難小屋に到着。習慣的にドアを開けて中を見ます。ゴミや虫は見られず、湿気も臭いもなく、きれいに保たれていました。いつか泊めてもらうことがあるでしょうか。外に出て、広場のベンチ・テーブルで昼食の残りを食べることにしました。
広場のベンチ・テーブルは、かなりボロになっています。ここでバスの時間調整を兼ね、約30分の大休止としました。靴を脱いで、足を解放し、脚を思い切り伸ばして血行を促します。誰もいない、静寂の山小屋。聞こえるのは、ウグイスの美声とカケスのハスキーボイスのみ。次は、シロヤシオの咲く季節に来ようかなとか、小川谷林道は通行止めだから、どこを歩こうかな、とか地図を広げて「想像登山」を楽しみました。
午後2時半、東日原へ下山の途につきました。ヨコスズ尾根は、はじめなだらかに下ります。まだ冬枯れ同然の山に、咲き始めたミツバツツジが、鮮やかな赤紫色のアクセントを添えていました。足下には、ツルキンバイみたいな黄色い小花を散見。長い巻き道には、落ち葉が深く積もっていました。その下に不安定な石が隠れていることもあるので、特に道が狭い区間では慎重に歩かざるを得ません。バスの時刻までゆとりを持って下りて来て、よかったと思いました。
最後は急傾斜をジグザグに下ります。東日原の里が見えたときは、ほっとしました。けれども何故か、なかなかバス停に着きません。終りそうで終らない、ベートーベンの交響曲を、変なところで思い出してしまいました。やっとバス停に到着した時は、発車定刻の1分前。時刻表が変わったことを、またすっかり忘れていました。3分遅れで来たバスに、涼しい顔をして乗り込みます。終りよければすべてよし。ちなみに、川乗橋バス停には誰もいませんでした。
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