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雨乞山~三増合戦場跡~大峰

半原の日向橋から望む大峰

半原の日向橋より望む大峰(左)

雨乞山と三増(みませ)合戦場跡は、関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)にあります。

富士居山、向山、大峰の三峰は、半原を流れる中津川の左岸に横たわる狭い山稜にあります。

バス停 神奈中バス: 橋本駅 → 無料庵 登山口
バス停 神奈中バス: 本厚木駅 ← 半原 登山口

地図 ルート図 ヤマレコ

天気 三増合戦場跡の天気: 愛川町

くし 津久井三姫物語


コース & タイム 鉄道駅 橋本駅 バス停 6:55 == 7:22 無料庵バス停 7:24 --- 7:52 明日原の笠地蔵 7:52 --- 8:03 登山道取り付き 8:04 --- 8:45 雨乞山 8:50 --- 9:23 韮尾根バス停分岐 9:24 --- 9:42 朝日寺 10:03 --- 10:09 志田峠 10:10 --- 10:53 三増合戦場跡碑 11:09 --- 11:15 農村環境改善センター 11:15 --- 11:27 富士居山 11:28 --- 12:23 向山 12:24 --- 12:42 大峰 12:50 --- 13:14 真名倉の鉄板橋 13:14 --- 13:23 半原バス停 バス停 13:40 == 14:25 本厚木駅 鉄道駅
※歩行時間には小休止と道草と撮影の時間が多く含まれています。
雨乞山、富士居山、大峰 あまごいやま:標高429.3m、ふじいやま:253.1m、おおみね:334.5m 単独 2022年2月9日 全5時間59分  満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢

2月9日(水)、神奈川県愛川町の富士居山、向山、大峰の三峰を歩いてきました。いずれもヤブ山との評判があり、何年も前から、いつか行こうと思いながらも後回しにしてきた低山です。ただこの三峰だけではコースとして短すぎるので、関東ふれあいの道にある雨乞山と組み合わせ、ついでに三増合戦場跡も訪ねるプランにしました。歩いてみると、山歩きと言うより「フットパス」として楽しめました。

段落見出し 串川を越えた先で道間違い

橋本駅北口発、鳥居原ふれあいの館行きの一番バスは、毎朝6時55分発。これまで北丹沢の鳥屋に行くのに何度も利用したバスです。予め運賃を調べ、今回は一日乗車券を買わないことにしました。無料庵で下車し、走り去るバスを見送ります。「久保田酒造 酒蔵入口」の大きな看板が目立ちますが、そのわきに立つ「関東ふれあいの道」の道標を確認しておきましょう。雨乞山3.3kmとあり、まずこれを目指します。

道標に従って、坂道を下っていくと、串川の対岸に、白煙を上げる「酒蔵」が見えました。串川に架かる平井橋を渡りながら川を眺めると、「くしかわ姫」が櫛を落としたという鳥屋あたりにおける川幅よりも、ずっと幅が大きくなっています。でも流れる水の量は、鳥屋あたりと大して違わないように見えます。気候によっては、川原で遊ぶこともできるかもしれません。でも周囲の森が冬枯れの今、早朝の冷えた川原に生きものは見られず、ただ寂しい風景です。

久保田酒造の前で左折し、少し進むと、雨乞山を指す道標がありました。「よし、いいぞ!」と道標に従って右折すると、すぐに道標のないT字路に突き当たります。ここで右か左か、立ち止まってしばし思案したのですが、間違えて右を選びました。雨乞山の位置から判断したためです。でもわずか3分ほど行くと、突然道が無くなりました。引き返します。正しい道はT字路で左折し、その少し先で右手に墓地を見る道でした。

段落見出し 明日原を経て山道へ

順調に登って台地上の畑地に出ると、また分かれ道になっていました。ここは左が正しいと思ったので、いつもそうするように、まず右を少しだけ偵察します。そして確信をもって左に進みました。道は明日原の集落に入っていきます。笠を冠ったお地蔵様の立つ分岐点で道標を見て、今正しい道にいることを確認しました。その先で車道を横断し、畑地の縁を回り込むように歩いていくと、手作り感いっぱいの小屋がありました。西洋の風景画にありそうな小屋です。

さらに1分ほど行くと、ベンチが1脚ありました。ここに座って何を眺めるのでしょうか? 試しに座ってみると、目の前一面に霜の降りた草地が白く光っていました。今朝も空気が冷え込んでいますが、歩いているためか、寒くはありません。でも汗をかきすぎないよう、ジャケットの胸のジッパーを上げ下げして、体温を調節しています。このベンチから3分ほど行くと、山裾に入り、関東ふれあいの道も「山道」に変わりました。

山道のはじめは、勾配も緩やかで、歩きやすい杉林の道でした。その後、落葉樹が増え、落ち葉がかなり積もっていました。でも足が滑るほどではありません。さすが首都圏自然歩道、家族向きのハイキングコースとしてよく整備された道です。山道に入ってから8分ほどのところに、テーブルとベンチの置かれた休憩所がありました。大きなイラスト入りの説明板に「林でくらす生物たち」と書かれています。地面には、おなじみ関東ふれあいの道の石板もあります。

段落見出し 雨乞山へ

その先も、感じの良い尾根道が続いていました。桜山への道を2回、右に分けます。桜山は、この尾根道から片道0.4kmなので、桜の咲く季節なら立ち寄ってもいいかな、と思いました。ところで、軽快に歩けたのはその辺りまで。「雨乞山0.6km」の道標から、勾配がぐんと増しました。長期間のステイホームで弱った筋肉にはきつい急登です。いや、大した急登ではないのですが、中殿筋あたりがたちまち音を上げ始めました。

少しペースを下げ、省エネモードに切り替えました。まだ先が長いのです。ゆっくり、ゆっくり登り、ミヤマシキミの花を撮影しながら筋肉を休ませたりして、8時45分、雨乞山頂に到着しました。きょう最初の目的地です。三等三角点があるので、かつてはそれなりの展望が利いた山なのでしょう。でも今は冬枯れの季節でも、展望が全くありません。ベンチもないので立ったまま、熱いココアを飲みました。ここは今、静寂そのものです。

雨乞山頂には5分ほど滞在しただけで、先に進みました。足も軽やか、スタコラ下っていきます。やがて白い石柱の立つ分岐点が見えてきました。三増峠への分岐点です。関東ふれあいの道の道標が立っていますが、三増峠方面を指す腕木はありません。ここで鋭角に右折します。道の状態も良くなり、ルンルン気分で下っていくと、ちょっと怖そうな木橋がありました。これを静かに渡って、5分ほど行ったところで、山道があっけなく終わりました。

段落見出し 韮尾根バス停分岐と清正光入口バス停分岐

引き続き、関東ふれあいの道を進んでいくと、アスファルトの農道に変わりました。道沿いのサワラ並木が何ともユニーク。その先に、明るい別世界が開けています。正面には韮尾根方面、右手には南高尾山稜、左手には蛭ヶ岳を筆頭とする丹沢山塊の中枢部を望めます。さらに左手前、一番近くのこんもりとした小山が、きょうの最終目的地である大峰でしょう。足取り軽く十字路に至ると、関東ふれあいの道の道標が立っていました。韮尾根バス停分岐です。

その道標を見ると、直進は「韮尾根バス停0.6km」、左は「朝日寺1.0km」、同じく左が「北条武田合戦のみち15km」、来た道は「山里から津久井湖への道9.4km」とあります。私はもちろん左折しましたが、この時点で朝日寺に立ち寄ることは考えていませんでした。明るく、開放感のある農道を2分ほど歩くと、赤い毛糸のベビー服(のようなもの)を着た、可愛げなお地蔵様が2体立っていました。「こうの木地蔵」と書いてあります。

このあたりで振り返り見る雨乞山は、皿を伏せたように、なだらかな稜線を描いていました。山というより、丘陵地のような風情です。そして、こうの木地蔵から約5分で、幅広の車道と出合いました。右に行けば清正光入口バス停、左は朝日寺(清正光)および志田峠方面です。ここからは、車や自転車も見られるようになりました。付近には東京農工大の施設もあります。ようやく「山と高原地図『丹沢』」の守備範囲に入りました。

段落見出し 朝日寺と志田峠

朝日寺の門前にやって来ました。「清正光」の看板を見て、「志田山朝日寺」が寺号で、その本尊が「清正光大薩埵」であることが解り、すっきりしました。せっかく目前にあるので、清正光を表敬することにします。参道は、約300段あるという石段。そのわきに注意書きがあり、寺には大きな声で吠える「ラン」という名の番犬がいる、というのです。実際に寺まで上ると、ランから激しく吠えられました。檻の中でストレスが溜まっているのかも知れません。

270段ほど上ると、鐘楼と本堂のある庭に出ました。静寂の空間です。庭の奥からさらに数十段上ると、尾根の上に至り、木漏れ日の中に石塔や石碑が立っていました。この辺りは、霊的異空間のような趣が漂います。地図を見ると、ここから大峰はごく近く、一瞬迷いが生じましたが、計画通りに関東ふれあいの道を歩いて、三増合戦場跡に行くことにしました。上ってきた石段を下ります。この時、ランからまた猛烈に吠えられました。

朝日寺を出ると、5分ほどで志田峠に到着しました。造成工事現場がありますが、誰もいません。ここに来る途中で、造成計画に反対する住民たちの看板を目にしました。どんな計画があるのでしょう? 右手の斜面に広いススキ野原があり、その南方に光る相模湾を望める、すてきな位置にある志田峠です。工事現場入口の向かいには、馬頭観音碑が2基ありました。この道は、かつて厚木と津久井を結ぶ街道として、かなりの交通量があったということです。

段落見出し 三増合戦場跡

志田峠を越すと、道が狭くなりました。いつしかアスファルト舗装もなくなっています。荷車がぎりぎりすれ違える道幅でしょうか。もしかしたら、この辺りに昔日の面影が残っているのかもしれません。そんな区間が10分か20分ほどあったと思います。やがて自販機が現れると、愛川町の配水場、カントリークラブ、老人ホームなど、次々と現代を象徴するような施設を目にしました。そして再び開放感のある農地が開けます。ここが古戦場に違いありません。

古戦場の真っただ中に、騎馬武者を描いた案内板が立っていました。英語で“Hojo vs Takeda Tour of Mimase Battle”と書いてあります。同じ看板の反対側は、「北条軍対武田軍 三増合戦史跡めぐり」と、日本語でした。観光案内によくある「三増合戦場」の大きな石碑もすぐ近くです。「三増合戦のあらまし」の説明板、「三増合戦陣立図」、「鎮魂碑」なども並んでいます。この辺が合戦の中心部だったのでしょうか、遺骨の出土もあるそうです。

東屋風の休憩所で、きょう初めて腰を下ろしました。ここで昼食、と言っても、菓子パン1個と温かいココアだけです。これが私の冬の定番ランチ。いつしか胃袋も小さくなりました。ところで、戦国時代の兵のエネルギー源は、握り飯だったと聞きます。それも今どきのコンビニおにぎりよりもずっと大きな握り飯だったとか。味付けは塩とか味噌とかでしょうか。水は竹筒に入れて腰に携帯。そしてこの合戦で4000名を超える兵が戦死したそうです。合掌。

段落見出し 富士居山~向山~大峰

最後の行程に入ります。関東ふれあいの道を離れ、上志田バス停と首塚とを通過すると、愛川町農村環境改善センターが見えてきました。そのすぐ先、左手の石段が富士居山の取り付きです。最上段に「富士居山」と書いた標識があったので直ぐにわかりました。背戸の小山に登るような、軽い気分で登って行きます。近所の住人でしょうか、犬を連れた方々がいました。左手に、よく整った茶畑を望む地点を過ぎると、落ち葉の堆積した山道になりました。

急登の区間には、お助けのトラロープがありました。安全を確かめた上で、遠慮なく使わせてもらいます。さもないと、落ち葉で足元がズルズルと滑るからです。取り付きの石段から約10分で、富士居山頂に着きました。三等三角点がありますが、樹木に囲まれて、展望は利きません。その後も眺望はほとんどなく、軽いアップダウンを繰り返しながら進んで行きました。確かにヤブ山ですが、1か所、宮ヶ瀬ダムを望める地点がありました。

富士居山から正味50分ほどで、向山に到着しました。山頂に、NHKの施設があります。展望はありません。そして向山を越えると、ほぼ平坦な道となり、大峰に到着しました。きょうの最終目的地です。やはり展望はなく、感慨もありません。立ったまま、まだ温かかったココアを飲みました。そして頑丈そうな枝を拾い、これをストック代わりにして、下山の途に就きました。やや急勾配な道に、かなり落ち葉が積もっているので、滑らないよう、慎重に下っていきます。

段落見出し 半原バス停へ

下山中の事故は、危険な場所よりも、むしろ何でもないような場所で起こりがちです。油断するからでしょう。急ぐ必要もないので、ゆっくりと下り、最後に鉄板の橋を渡って、真名倉の里に着きました。日向ぼっこのおじいさんと、きょう初めてのあいさつを交わします。里では紅梅が花盛りでした。石垣と生垣の緩やかな坂道がのどかです。中津川に架かる日向橋から大峰を見上げ、宿題が一つ片付いたな、と思いました。日向橋を渡りきると、ゴールの半原バス停です。

木の葉ライン

↓ 紙芝居



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