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関八州見晴台と山上集落

山上集落

山上集落、風影の旧養蚕農家

奥武蔵には、山上集落が点在します。中でもユガテが有名ですが、八徳(やっとく)や風影(ふかげ)も郷愁を誘います。

地図 地理院地図: 関八州見晴台

天気 関八州見晴台の天気: 高山不動尊 , 関八州見晴台

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コース & タイム 鉄道駅 西吾野駅 8:30 --- 8:47 間野(石の道標) 8:48 --- 9:23 パノラマコース出合 9:23 --- 10:09 関八州見晴台 10:42 --- 10:54 丸山 11:00 --- 11:14 高山不動尊 11:40 --- 12:21 八徳 12:51 --- 13:33 風影 13:45 --- 14:45 吾野駅 鉄道駅
※歩行時間には道草と写真撮影の時間が含まれています。
関八州見晴台 かんはっしゅうみはらしだい:標高 771m 単独 2017.10.01 全 6時間15分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢

10月1日(日)、秋晴れの休日、奥武蔵の関八州見晴台より、高山、八徳、風影の三つの山上集落を巡って来ました。以前より、地図を見ながら、いつか訪れたいと思っていた場所です。関八州見晴台では、一國しか見えませんでしたが、あまり期待もしていませんでした。他方、山上集落では、一人の住民としか出会いませんでしたが、それぞれの地の美しい風景と出合うことができました。

段落見出し 西吾野駅から歩く

自宅の最寄り駅から、約2時間かけて、西武秩父線西吾野駅に到着しました。奥武蔵は遠い! それでもはるばるやって来たのは、山上集落を訪れるため。きょうは、駅から歩いて山登りができます。付近に人家も店もなく、小さな駅舎だけが立っている西吾野駅。「思い出のグリーングラス」で歌われる駅も、こんな駅でしょうか? 空は青く高く、連なる山々は濃い緑。爽やかな秋本番の日和と、美味しい空気。さて、きょうの山路にはどんな花が咲いているでしょうか?

駅から坂道を下り、川沿いの道を上流方向に歩きます。電車の線路下をくぐり、パノラマコースを右に分けると、右手の集落に通じる橋がありました。道標が「高山不動」を指しています。橋を渡り、家々の隙間のような細い道を登って行きますが、参道のイメージとはかけ離れた心細い道で、そのうちに行き止まりになるのではないかと思いました。ほどなく、左折を示すしっかりした道標があり、ようやく足に力が入ります。道標の隣に、古い石の道しるべもありました。

道が民家の鼻先をすり抜けるとき、掃除をしていたおばあさんと自然に顔が合いました。「お早うございます」と声を合わせるように挨拶。集落から白い煙がゆっくりと流れ、人々の生活を感じさせます。道端のマンリョウには、青い実がびっしり生り、茶の木には、丸い白い花が咲いていました。その後も、山中や集落で、しばしば茶の木を見ることになります。電車の走行音が聞こえて来たので、振り返ると、山々と家々と、走る電車とを、ジオラマのように望めました。

段落見出し 関八州見晴台へ直行

その後、電車が見えなくなっても、電車の走るたびにその音が風に乗り、山中の木々を縫って、耳に届きました。檜や杉の下に、本来は日照を好む茶の木がたくさんあります。かつては広大な茶畑だったのでしょう。その頃は、「パノラマコース」も眺望が好かったに違いありません。その分岐点(出合点)には、文字のかすれた道標が倒れかけ、風雪を感じさせる石仏が佇んでいました。登山道は落葉樹林と針葉樹林とを左右に分けながら、緩急のある尾根を進んで行きます。

駅から70分ほどで、高山不動と関八州見晴台との分岐点にやって来ました。遠望は早い時刻ほど好いので、まず見晴台へと進みます。舗装道路に出ると、廃れた茶屋があり、朽ち始めた展望台から西方の山なみを望めました。関八州見晴台を指す大きな案内板から再び山道を登り、また車道へ。少し行くと「関八州見晴台入口」と刻まれた石柱があり、その右から明るい尾根道を一登りで山頂に至りました。奥ノ院のお堂と東屋を中心に、3方向に山名案内板とベンチがあります。

いくつの「國」が見えるでしょうか? 足下の武蔵國は当然見えますが....せめて相模國だけでも確認したい....と思って丹沢山塊を探したのですが、霞がかかって不明。鎌倉の六国見山、箱根の十国峠、十三州が見えるという高尾山など、いずれも今は昔の物語なので、過度の期待はありません。むしろ、秋の(?)花が色々と見られます。ネジバナ、アザミ、タムラソウ、野菊など。お堂の頂には、ピカピカの剣。お堂の中に鎮座するのは不動明王像。石板に線画で刻まれています。

段落見出し 高山不動

ベンチで昼食とお茶を済ませました。高山不動へと下りて行きます。途中、可愛らしい小山がありました。丸山といい、ちゃんと山頂標が立っています。車道に出ると、樹間に高山の集落を覗けました。そして大きな民家を右に見て、すぐ下が不動堂でした。常楽院(高山不動)の説明板によれば、重要文化財「木造軍荼利明王立像」があるとのことですが、開帳日以外は直接拝めない秘仏です。不動堂自体も、格子の内側全面に黒いシートが張られ、奥の様子は窺えません。

石段を下ります。110段ほどの段石は、すり減ったり変形したりしていて、まともに平らな段はありません。石段を下り切ると、堂々たるイチョウの木が、天高く聳え立っていました。有名な大イチョウです。立札によれば、樹高37m、根回り12m、樹齢推定800年! 反対側に下りて行くと、この木から鍾乳石に似た太い気根が、幾つもぶら下がっていました。幾世紀を生きて、今なお凄まじい生命力を放つ巨大樹!立派なものを見ました。埼玉県指定の天然記念物です。

次は、八徳に向かいます。その道が分からず、少しウロウロしましたが、車道を上り返すと、山道を指す道標がありました。志田、大窪、瀬尾などの名もあり、はじめは同じ道のようです。3分ほどで道が左右に分かれ、八徳は左へ。やや暗い植林帯を、もったいないと思うほど、どんどん下って行きます。20分ほど下ると、小沢に架かる橋を渡り、日当たりの好い場所に出ました。また茶の木を目にします。さらに2~3分進むと、高麗川の支流を越え、車道に下り立ちました。

段落見出し 八徳、そして風影へ

八徳には、明るいピンクの秋海棠がたくさん咲いていました。ベゴニアの野生種で、葉は非対称のハート形。つまり「片想い」です。すると黒っぽい蝶が猛スピードで飛来し、止まりました。精悍な翼に白いCの文字。秋型のシータテハです。車道を少し下ると、三叉路と道標がありました。顔振峠方面に進みます。大きなバショウの木の立つ坂道を上り、ふと下方に目をやると、美しい渓流が見えました。即Uターンすると、そこは苔の生すミニ岩石園。何か魚もいそうでした。

再び顔振峠方向に登って行くと、右手、南側の展望が大きく開けました。左手には家屋が立ち並び、あふれんばかりの日差しを浴びています。地元の方らしいご婦人が通りかかったので、尋ねました。「こんにちは。『八の徳』と書いて、何と読むのですか?」「『やっとく』です。八つの徳があるというんだけど、何もないですねえ。空気だけはきれいだけど。」と、目と頬を緩ませながら答えてくれました。「きっと隠れた徳があるのでしょう。ありがとうございました。」

小さなコスモス畑の手前で、「顔振峠・ユガテ」なる道標が、狭い階段道を指していました。再び山道に入ります。緩やかに下って、また登ること約30分、三叉路に道標がありました。左は「顔振峠・ユガテ」、直進は「風影をへて吾野駅」。もちろん、風影に進みます。約10分ほど下って、軽く登り返すと、また明るい集落に飛び出しました。2階建ての大きな農家が何軒か立っています。養蚕をしていたのでしょう。花の終わったヒガンバナの群落がいくつもありました。

段落見出し また来たい!

風影集落の生活道路を歩きます。水平の道は斜面の形に沿ってカーブし、目を閉じると、道端に真っ赤なヒガンバナの咲く風景が見えました。目を開けて振り返ると、静かに佇む養蚕農家。その前の斜面は、かつて桑畑だったかもしれません。緩やかに下って行く道は、きれいに草が刈られていました。人の姿こそ見られませんでしたが、季節を変えて、また来たい!と強く思いました。それにしても、風影という美しい名は、どのようにして付いたのでしょうか?

車道に下り立つと、車やバイクがビュンビュン走っていました。以降、アスファルトの坂道をテクテク、吾野駅へと下ります。ここは一旦顔振峠まで登って、山道を下った方がよかったかも知れません。地面の小さな凹凸が、足の裏をほぐしてくれるからです。アスファルト道を小一時間歩いて、足が疲れました。ようやく吾野駅に到着。駅舎は、必ずしも風景によく溶け込んでいるとは言えません。帰りの電車は発車したばかり。軒下に腰を下ろし、最後のお茶を飲みました。

木の葉ライン

↓ 紙芝居



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