丹沢山は、丹沢山塊の最高峰ではありませんが、その名のゆえに「日本百名山」の看板を掲げています。
塔ノ岳から丹沢山に続く稜線はなだらかで、素晴しい展望を持つ散策路です。
神奈中バス: 渋沢駅 ⇔ 大倉(終点)
地理院地図: 丹沢山
丹沢山の天気: 丹沢山 , 秦野市 , 大倉
レポ: 丹沢山2015 , 丹沢山とシロヤシオ
1月1日、大倉から丹沢山まで往復して来ました。ぬかるみに悩まされる部分もありましたが、おめでたい元日とあって、人々との楽しいふれあいを楽しむことができました。ただ、足腰が準備不足で、下山に長い時間を費やしてしまいました。
元旦、町田駅5:33発の臨時各駅停車に乗って本厚木駅へ、さらに急行に乗り換えて、渋沢駅に6:20到着。まだ暗い外に出ると、丹沢表尾根のくっきりしたシルエットが藍色の大空に映えていました。天候は予報どおり、快晴のようです。気温がぐっと下がり、頬にきりりと心地よい冷気を感じます。バス乗り場に備え付けてある登山者カードに記入し、ポストに入れました。
今年の大倉行き初バスには、約20人が乗り込みました。6時48分、ぴったり時刻表どおりに発車。運転手さんには、元日からご苦労様です。大倉に近づくにつれ、表尾根が高く競り上がってきました。烏尾山荘に小さな明かりが点っています。下から見上げるかぎり、積雪はなさそうです。
どんぐりハウスの前で準備運動をし、7時5分、歩き始めました。登山道の始まるところに、「大倉尾根の高度差は北アルプス並みです」「暗くなるのが早いので、ランプを携行してください」というような注意書きがあります。大倉から塔ノ岳への単純標高差は1206m、丹沢山までは1282mです。
大倉尾根は一名バカ尾根とも呼ばれます。でも大倉バス停からすぐに尾根に取り着けるのは大きな長所です。東の戸沢林道や、西の西山林道を延々と歩くのだって、季節や場合にも依りますが、いい加減イヤになることがあります。大倉尾根には急傾斜もあれば平坦地もあります。歩行者が多すぎて登山道が荒れているのが欠点ですが、これさえ我慢すれば、さほど馬鹿にすべき道ではないと思うようになりました。
最初の茶屋である見晴茶屋は、玄関前のステージが賑わっていました。ここは相模湾に向かって見晴らしの優れた場所ですが、皆さん海に背を向けて、食べることに夢中になっているようです。きっとすごいご馳走が出ているのでしょう。餡(あん)やカレーという言葉が聞こえます。私はすでにかなりの汗をかいたので、ここでセーターとベストを脱ぎました。
駒止茶屋の上のテーブルで小休止し、行動食の豆大福を取り出しました。どこからか、「あ、大福餅を持ってきてる!」と言う声。どこかで私を見ている人がいるのですね。ここからは、二ノ塔や三ノ塔がまだまだ高く見えます。私は甘いものを少しずつ補給しながら、マイペースで登って行く作戦です。
富士見ポイントからは、期待以上に美しい富士山を望めました。スマートフォンで撮る人、大型一眼で撮影する人。私はいつものコンパクトデジカメを構えます。初夢にも願われる、元日の富士の晴れ姿を見たので、気分よく登って行きます。さらに堀山の家の前からも、清々しい富士を樹間に覗くことができました。
急傾斜の階段道を登って行くと、赤ちゃんの声が聞こえました。でもはっきりした言葉を話しています。前のパーティーに追いつくと、お父さん、お母さん、お嬢ちゃんの3人組でした。お嬢ちゃんに「なんさいですか?」と尋ねると、「にさいです。」とのかわいい返事。「ほんとう?」「ほんとう。」うう、素敵な家族ですね。素晴しい山登(やまと)なでしこになってください。
天神平のすぐ上の草原状の平地に、いくつかテーブルがあります。そこで休憩しておられた熟年男性は、平成20年から、毎年元日に塔ノ岳に登っているとのことでした。「すでに5年連続で登ったので、今年も来たけれど、もう歳なので来年はどうなるか分かりません」とも。「そんなことおっしゃらずに、干支一回り(12年)くらいは登ってください」と言って、この方が登って行くのを見送りました。
同じテーブルに来た若い男性3人組から、「これから登って行かれるのですか?」と尋ねられました。「はい、そうです。皆さん、今朝はどこから出発されたのですか?」「昨晩、花立山荘の少し上で野営しました。これを見てください。」そこで彼らのペットボトルを見ると、いずれも中味が凍っていました。昨晩登り始め、きれいな夜景を見ながら、午前0時にあちこちから花火の上がるのを山上から見て楽しみ、その後気温がマイナス7℃まで下がったことを、湯を沸かしながら話してくれました。若いって、いいですね。
花立山荘直下の真っ直ぐな階段から後を振り向くと、大きな海が見えました。太陽光を受けて、相模湾の一部が黄金色に輝いています。左手遠くに東京湾と高層ビル群、少し手前に江ノ島と三浦半島がよく見えます。正面には伊豆大島。珍しく、その右手遠方に伊豆七島と思える島々も見えます。
花立山荘から望む富士山は、手前の尾根の効果でしょうが、大きく見えます。その左手遠方の愛鷹連峰までかなりのスペースを置いて、富士山が独立峰だということをつくづく実感できるるほど、広大な裾野を見せていました。反対側には、丹沢表尾根の伸びた先にどっしりした三ノ塔、さらに神奈川県随一の霊峰、大山が大東京を守るように鎮座しています。
花立では、富士山の右手にまっ白な南アルプスが見えました。白い雲がまとわりついていて、峰々の形が判然としませんが、聖、赤石、荒川、塩見、など想像をかき立ててくれます。近くにいた男性が、「あの尖った山の名が分かりますか?」とクイズを出してくれたので、「同角ノ峰」と答えたら、「おお素晴しい」と褒めてくださいました。私は「同角ノ頭」と答えればよかったな、と思ったので「50点ですね」と言ったら、「いいえ、100点です」と絶賛。この方によれば、丹沢には尖った山があまりないとのこと。丹沢は私と同じ、老年期なのでしょう。
後から登って来た若者たちが、「おめでとうございます!」と言いながら私を追い抜いて行きました。それまで、出会う人々の挨拶は、「こんんちは」か、「お早うございます」のいずれかでした。その若者たちは、会う人にはだれでも「おめでとうございます」と元気よく挨拶しながら登って行きました。この人たちに影響されたのかは分かりませんが、下ってくる人々の挨拶に、「おめでとうございます」がめっきりと増えました。
金冷シの手前から塔ノ岳山頂に至るまで、ぬかるみが凍り付いていました。たくさんの足で泥が捏ねられ、激しくデコボコしていますが、まだカチカチに凍っているので問題なく歩けます。ただ、これから気温が上がり、ちょうど私が下山する頃には解凍してドロドロになるのではないか、と心配です。おめでたいうちに帰って来れるよう、先を急ぐことにします。
塔ノ岳山頂では、多くの人々が素晴しいパノラマを楽しんでいました。もう、何も言う事がありません。風もほとんどなく、のどかでめでたい新春です。東斜面に回ると、大きな角を生やした鹿が草を食んでいました。長生きしたのか、ずいぶんと人馴れしている様子です。わが家はどこだろう、と探してみましたが、もちろん見つかりませんでした。
塔ノ岳で小休止の後、丹沢山に向かいました。少し下ると、「ゴヨウツツジ」と書かれた札の立つ、シロヤシオの群生地です。もちろん、1月の今は、花も葉も全く無い裸の木になっています。代わりに霧氷が見られたら良かったのですが、暖かくてそれどころではなく、雪もすっかり溶けてしまったようです。ここでは通行する登山者の数がめっきりと減り、男性も女性も、単独行者ばかりのような印象でした。
行く手に見える丹沢山まで、いくつかのふっくらとしたピークを越えて行きます。あたりは冬でも薄緑色の笹に覆われて、とてもきれいでした。この牧歌的な稜線はわが家からもよく見える好きな場所です。ただ登山道はひどくぬかるんでいました。スリップしないよう、また泥を跳ね上げないよう、神経を使います。これより先、丹沢山までずっと、泥濘に悩まされました。
竜ヶ馬場で昼食にしました。テーブルがたくさんありますが、私のほか誰もいません。おにぎりをほおばりながら、越えてきた塔ノ岳を眺めると、黒いシルエットになっています。その左肩越しに、海がまばゆく光っていました。蜃気楼にも似た伊豆大島の影。丹沢山まで、あとわずか900mです。
12時11分、丹沢山頂に到着。大倉から、休憩も含めて約5時間かかりました。山頂広場は、ひっそりとして、先客はわずか3人だけ。みやま山荘の発電機が低い音を立てて鳴っています。山荘の中はお正月で賑わっているのかもしれません。私の後から来た単独男性は、山頂広場を素通りして、蛭ヶ岳に向かって行きました。あまり眺望の利かない丹沢山頂ですが、空は真っ青で、気分は悪くありません。明るい日差しを受けながら、ここで20分ほど休憩しました。
塔ノ岳へは、来た道をそのまま戻ります。登山道のぬかるみはいっそう悪化していました。ところどころに設置されている木道が、とてもありがたく感じられます。出会う人の中には、スパッツを着けずにズボンの裾を泥だらけにしている人もいれば、スパッツを着けなくてもきれいに歩いている人もいます。私はスパッツなしで、靴と裾を少しだけ汚しました。
13時50分、塔ノ岳山頂に戻りました。富士山には雲が掛かり始めています。山頂にいた人々も、腰を上げようとしていました。明るいうちに大倉に着くためには、そろそろ下山を始めなくてはなりません。塔ノ岳山頂で15分ほど休憩し、私も下山の途に就きました。
下山し始めた途端、両下肢の筋肉に軽い痛みを感じました。それでも大した問題もなく、花立山荘まで下りました。これより下ではあまり展望が利かなくなるので、ここで絶景をしっかり見納めておこうと、ミカンを食べながらベンチで休憩しました。青い海を背景に、「おしるこ」と書かれた赤い小旗が風に踊っています。山荘のご主人かと思われる方が、火吹き竹で七輪の豆炭に火を起こし始めました。
15分ほど休憩し、再び下り始めたら、下肢の筋肉がさらに痛みました。休憩すると痛みが増すのではないかと思い、これより大倉まで休まず、ゆっくりと下ることにします。しかし急傾斜の下りになると、左ひざが笑い始めました。筋肉の過労です。やむを得ず、急斜面では左足から先に下って行きました。
この2ヶ月間、仕事に忙殺されて、山に登れなかったことが祟っているようです。平素から運動不足にならないよう、努めてよく歩くようにしていたのですが、登山に使う筋肉は、平地歩行では鍛えられなかったようです。階段を昇り下りして、足腰のメンテナンスを図るべきでした。予想通り、堀山の家から駒止茶屋に至る部分の平坦地では、全く問題なく歩けました。
雑事場で道が二手に分かれます。直進は大倉高原山の家を経由する尾根道で、やや明るいのですが、私は少しでも近道をしようと左に進みました。尾根の陰に入り、道が急に暗くなります。後から私を追い抜いて行った若い女性の二人組が立ち止まりました。一人が何か大切な物をどこかに忘れてきたようです。これは大変。その女性は、足のあまり強そうではない友人を先に行かせて、ひとりで見晴茶屋の方向に引き返して行きました。
道はどんどん暗くなって行きました。まもなく日没でしょう。左手の樹木の枝越しに、真っ赤に染まった二ノ塔と三ノ塔が見えました。このとき16時35分。もう急坂はないので、元気な足なら走って行きたいところです。でも無理をして足が攣るといけないので、そのままゆっくりと歩いて行きました。
大倉が近づいた頃、先ほど忘れ物を取りに登って行った女性が戻ってきて、速足で下って行きました。忘れ物は見つかったとのことです。よかったですね。健脚なのもよかった。
17時10分、すっかり暗くなった大倉バス停に到着。計画では、16時30分に到着の予定でした。大倉尾根を下るのに、登りと同じくらいの時間を費やしましたが、足を動かし続けてよかったと思います。元日に素晴しい眺望と、すばらしい人々を見ることができて、大満足。次の山に備え、足腰をしっかり整えておこうと思います。
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