高水三山は、駅から駅まで歩ける、いずれも展望が優れている、日帰りで三山を巡ることができる、などの理由で多くのハイカーに親しまれています。
2014年は、2月に観測史の記録を破る大規模な降雪があり、例年より遅くまで残雪がありました。
地理院地図: 岩茸石山
高水三山の天気: 東京都青梅市 , 軍畑駅
レポ: 新緑の高水三山
3月11日、東日本大震災3周年の日、奥多摩の高水三山を歩いて来ました。明け方にめっきり冷え込んだ(青梅市では氷点下3℃)こともあって、山上の雪質はかなり固く、トレースは凍結していました。しかし、登山者たちの靴が雪の表面にまぶした細かい土が滑り止めの役を果たし、最初から最後までアイゼンなしで歩くことができました。この日は終日絶好の晴天に恵まれ、いずれの山でもすばらしい展望に心が満たされました。
2月は14日の大雪で、登山計画が流れてしまいました。その後、不通になっていたJR奥多摩線が復旧したときに、高水三山に行こうと思ったのですが、奥多摩ビジターセンターのホームページに、「奥多摩での登山・ハイキングはお控えください(平成26年3月4日)」と 赤い文字で書かれていたので、遠慮していました。でも、あの大雪から三週間余りが経過。もうそろそろ行ってもいいのではないかなと思い、様子を見に行くことにしました。
三山を巡る順序は、時計回りと、反時計回りがあります。今回は、まず平溝(ひらみぞ)のロウバイを見ようと思って、反時計回りにしました。軍畑駅から平溝川に沿って、高源寺に向かいます。透明な川の流れがきれいで、記憶の引き出しから、草野心平の詩『富士山』が出てきました。「川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ…」でも、水も空気もまだ相当に冷たいようです。緑の草に水飛沫が凍りついて、たくさんのミニ氷柱が成長しているのが見られました。
高源寺のソシンロウバイは、きれいに咲いていましたが、すでに終わった花もあれば、これから咲くつぼみもたくさんありました。その直ぐ先の畑のソシンロウバイは、ちょうど見頃で、青い空に透明感のある黄色の花が、早春の喜びを顔に表しているようでした。
終点まで車道の雪はきれいに無くなっていましたが、ほの暗い檜林の登山道に入ると、まだまだ雪が残っていました。雪質は固く、どこを踏んでも全く沈まないので、あえてデコボコした踏み跡を辿らなくても大丈夫そうです。これは日当たりのよい伐採地でも同じでした。ソチのアルペンスキー会場の雪も固かったのでしょうか。チェアスキーの選手たちが難コースの滑降で、次々と転倒して行った光景が思い出されました。
ところで、トレースの下の雪は凍結していました。ためしに土を取り除いてみると、ツルツルのアイスバーン状態。でも人の歩いた跡に残る土が滑り止めになるので、安心して踏めます。トレース上の茶色の土の量からみて、すでにかなりの数の人々が歩いたと思われます。
常福寺の石段は、手すりの左側だけにコンクリートの一部が見えていました。山門をくぐって境内に入ります。庭は一面の雪で、しんとしていました。休憩しようと思っていたベンチは、取り払われたのか、雪に埋まったのか、見当たりません。天を仰ぐと、深い青空にそびえ立つ杉の巨樹が見事です。でも花粉をびっしりと纏って赤茶色になっていました。
高水山頂に向かいます。鐘楼のあたりは雪がたくさんありましたが、南面の日当たりの良い登山道は、完全に雪が消え去っていて、そこにだけ春が来ているみたいでした。山頂の直前で、御前山が目に飛び込んで来ました。ボリューム感があります。次いでゴツい形の大岳山・御岳山セット。その左に滑らかな日の出山、遠方には馬頭刈尾根。とりわけ丹沢の山並みがとてもカッコよくて、しばし見とれてしまいました。山頂まで登ってしまうと展望がよくないので、ここでしっかりと眺めておきましょう。
山頂を越えると少々下ります。滑るかな?と思ったのですが、「滑り止め」のおかげで、アイゼンを取り出すことはありませんでした。下りきると道標があり「高水山北面を経て軍畑駅」と書かれた道を右から合わせます。この道には埋もれかけたトレースが残っていました。通る人は少ないのでしょう。落葉樹林帯だということもあって、雪が真っ白でした。
これよりしばらく尾根北面の平坦な道を、岩茸石山に向かって進みます。南面とは対照的に、北面は残雪がたっぷり。右前方に岩茸石山を見ながら、落葉樹林のきれいな雪を踏んで歩くのは快適でした。それが終わると、山頂直下の急な登りです。でも長くはありません。幸い尾根の中央部だけは雪が消えていたので、夏山と同じように楽々登れました。
岩茸石山の頂上に到着すると、目を奪う眺望が待っていました。澄み切った大気の恵みで、奥多摩の山々がすっきり超見事!圧巻は北西に座する川苔山、威風堂々たる姿です(上の写真)。その左奥に雲取山と石尾根。右に有馬山稜と都県境尾根。棒ノ折山を覗く穴のあいた柱はなくなっていましたが、存在感のある山なのですぐ分かります。
東方を望むと、先ほど通過した高水山の向こうに東京スカイツリーも見えました。高水山の少し右手にランドマークの西武ドーム。西の鷹ノ巣山と本仁田山と岩茸石山とが一直線上にあることにも気づきました。北の黒山経由、棒ノ折山に続く道は急降下で、アイゼンを装着しても滑落停止ができないと怖そうです。そこは「関東ふれあいの道。」無雪期には全くどうということもない登山道です。
きょうは幸運に恵まれました。値千金の絶景を楽しみながら昼食にします。取り出した菓子パンは、雪山でもふかふかしていました。ミルクティーは舌をやけどしそうに熱い。とても贅沢な時間です。帰宅したら、Wikipediaの「花の百名山」のページにある、川苔山の写真を入れ替えてやりましょう。現在使われているのは、私自身が日向沢ノ峰から逆光で撮影した川苔山の写真です。(もう入れ替えました。)
惣岳山への道にもよく歩かれたトレースがありました。南面とはいえ、針葉樹林帯は日当たりが悪いので、雪が遅くまで残るのでしょう。東面の開けた伐採地まで来ると、高水山と岩茸石山を顧みることができました。高水三山がこじんまりとした周回ルートだということを実感します。ここは白い雪に半分埋まったクマザサが青々としていました。
723m峰と710m峰を巻くと、行く手の惣岳山が間近に姿を現わしますが、ここにすてきな休憩所があります。ぽかぽか陽だまりに、太い丸太を切っただけの腰掛がずらり。特筆すべきは、網フェンスの掛けられた西面、谷越しに眺めるパノラマです。石尾根を右にたどりつつ上れば雲取山。その手前に、ゴンザス尾根と花折戸尾根を右にたどれば本仁田山。先ほど高水山から苦しく眺めた御前山と大岳山も、ここでは眺望を欲しいまま。惣岳山の頂上からは見られないので、ここで見ておきましょう。
惣岳山のまき道を左に分け、最後の登りに入ります。小さな岩場があるので、雪の状態によっては、履物とも相談して、まき道経由もありかと思います。頂上に達すると、相変らず寂しげな青渭(あおい)神社が佇んでいる以外、これといったものはありませんでした。
惣岳山を少し下ったところで、休憩を兼ね、朝ドラの「ごちそうさん」を見ました。多摩川沿いのどこからか電波が来るのでしょう。暗い針葉樹林内でしたが、携帯でよく受信できました。あとは、ひたすら下るばかりです。立ち木の間に渡された注連縄(しめなわ)を2回くぐりました。
「JR古里線 29」と書かれた送電鉄塔の下から、御岳山ケーブルカーの軌道が見えました。実はここまで靴をよごさずに歩いて来れたのですが、この鉄塔のあたりから登山道がぬかるみ始め、靴が泥まみれになりました。午後になって気温が上昇したようです。雪解け水が登山道を流れているのでしょう。靴底に付着した泥が分厚くなったので、何度か雪に足を突っ込んで泥を落としました。
沢井駅と御嶽駅と丹縄へ分かれる十字路では、沢井駅の方(東)に下りました。少しなりとも、変化を付けたいと思ったからです。幸いこの道はぬかるみが無かったので、登山靴が雪で磨かれて、かなりきれいになりました。もう少し歩きたいと思ったのですが、分岐から200mほど歩いたら、あっけなく車道に下り立ちました。
車道を下って行くと、立派な造りの青渭神社(下社)にやって来ました。せっかくなので、少し見学して行きましょう。拝殿前の狛犬がちょっと面白いです。神社の先のY字路はどちらに行ってもよさそうでしたが、右に行きました。線路の手前で左折して東に進み、踏み切りを2回渡って、沢井駅に無事到着。ここで登山は一旦終了です。すばらしい山でしたが、一人も出会いませんでした。
沢井駅のホームで電車を待っていたら、どこからか黙祷を呼びかける放送が聞こえて来ました。午後2時46分、目を閉じて手を合わせます。犠牲者の方々の冥福と、被災地の復興と、今後やって来るであろう災害に備えて、わが国が賢くなりますようにと祈りました。
帰路、日向和田駅で途中下車し、天沢院に行きました。境内に小さな野草園があり、そこにセツブンソウが咲く頃だからです。果たして、ほんのわずかな株ですが、可憐な花が咲いていました。
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