高松山には、自生、植栽とも種々の桜が見られます。花の色や開花期も、実生個体あるいは品種により少しずつ異なり、春の山腹をやさしく彩ります。
川村小学校旧高松分校の木造校舎と校庭は、廃校後もきれいに保たれています。心のふるさととして、いつまでもその場所に、その姿であり続けて欲しいと思います。
富士急湘南バス: JR山北駅 → 高松山入口
地理院地図: 高松山
高松山の天気: 山北町 , 山北駅
レポ: 高松山
日照時間が乏しい今年の4月ですが、貴重な晴天日となった16日、高松山に行ってきました。先回は2012年10月、ヒガンバナの名残りと、まだ青かったみかん畑を見ながら登りましたが、今回は桜と菜の花を眺め、旧高松分校も訪れます。すでに里のソメイヨシノは散ってしまったけれど、山には山の桜が咲いているでしょう。
JR松田駅のホームからは、白い大きな富士山が見えました。天気予報では午後に曇るとのこと。この富士山が見えるうちに山頂に到着したいものです。乗った電車は、東山北(ひがしやまきた)駅で大勢の高校生を降ろしました。このときはまだ、東山北駅が無人の簡素な駅だということ、駅の入口に至るには、あることを知っていなければならないこと、などを知りませんでした。
山北駅から新松田駅行きのバスに乗ります。山北町循環バスと同じレトロ調の車両ですが、ボンネット型でないのがちょっぴり残念。乗車時間わずか4分で、高松山入口に到着しました。さて、高松山が見えるでしょうか? 山頂から撮影した写真は、WEB上にもたくさんありますが、山麓から高松山を見上げた写真は、なかなかありません。今回の登山では、高松山の容姿を撮影することも狙いの一つです。
先回はビリ堂ルートを登りましたが、今回は先に高松分校に立ち寄る計画なので、尺里(ひさり)川沿いの舗装道路を歩きます。高速道路の高架を通り抜けると、川原も岸辺も菜の花の明るい黄色で彩色されていました。菜の花は、野草のように勝手に繁殖したもののようです。土手には咲き残った桜も色を添え、「♪姿やさしく、いろ美しく」と口ずさみたくなるような、うららかな尺里川の流れでした。
その先では、土手に八重桜の並木があり、濃厚な花をびっしりとつけていました。この桜は、ソメイヨシノやヤマザクラが散ってから咲きます。昔は農作業の目安としても植えられました。やがて左に石仏があり、「ビリ堂・高松山」への農道を分けます。「上の台橋」からみかん畑経由でビリ堂に向かうルートには、雰囲気のあまり良くない竹林がありますが、そこを避けたい人は、ここから登ることもできます。
さて、地図を見ればすぐに分かるように、この舗装道路は、日光の「いろは坂」のように、何度も、何度も折り返しながら、標高約400mの高松集落に上って行きます。実は私は、舗装道路を延々と歩くのが苦手で、この山行を計画したときは、地図を見ながら少しばかり躊躇しました。デコボコした山道は、一日中歩き続けても大丈夫ですが、舗装道路をテクテク歩くと、10kmも行かないうちに足(脚ではない)が痛くなってしまいます。
この難所(?)を精神面で救ってくれたのが、沿道に咲く様々な山野草と、何度も見え隠れする富士山でした。右にその写真があります。そして道路の蛇行が最も激しい部分には、植栽の枝垂れ桜が咲いていて、気分よく歩けました。「いろは坂」でイロハモミジを見るのなら、この坂は「桜坂」とか「花咲き坂」と呼んだらどうでしょうか。
高松集落が近くなると、小ぎれいなトイレがありました。入口に水仙が植えられています。私は小学生のとき、初めて「水洗便所」という言葉を聞きました。それ以後、水仙の花がびっしりと植えられた中にしゃがんで用を足す、美しいトイレを想像したものです。そんなことを思い出しながら、ここに小学生が水仙の球根を植える姿が目に浮かびました。高松山と第六天へはここで左折するのですが、旧高松分校へは直進します。
そこから10分歩くと、左手に可愛らしい校庭が現れ、その奥の一段高いところに木造の校舎が建っていました。あたりにゴミや雑草はなく、現役の学校が今は春休みで、生徒の戻るのを静かに待っているかのような佇まいです。教室の窓の下では、チューリップが咲いていました。「主なしとて春な忘れそ」庭の花。その手前には、「タイムカプセル」の標識が立っています。校舎の羽目板はさすがに年季ものですが、排煙筒だけはピカピカでした。
校舎の裏手に回ると、便所と廊下と昇降口がありました。「祝高松分校開校50周年」とあり、生徒たちが描いた小鳥の絵がたくさん並べられています。ここに描かれた鳥の数ほどには、生徒数はなかったに違いありません。この絵が色褪せてゆくのが惜しまれます。クリアーラッカーか何か塗ってあげたいと思いました。教室の戸には鍵が掛けられていますが、ほんの少し教室内を覗くことができます。校庭側に戻ると、左手奥に紫の木蓮が咲いていました。
水仙のトイレまで戻り、道標に従って右折し、高松山に向かいます。するとまた道標があり、高松山への道が左に分かれていました。来た道を直進すると、第六天です。左はどうやら山頂への近道のようなので、ここを登ることにしました。なおもコンクリート舗装の道が続きます。道の左右には、黄色い菜の花が咲き、テフテフと舞う白い蝶がいました。
水仙のトイレから15分ほど歩いた頃、右手が開け、第六天とその稜線を望めました。白い桜が濃緑の針葉樹に混じって、山々を飾っています。淡いピンクの、いわゆる桜色をしたヤマザクラは、既に散ってしまったか、元々ないのか、ここでは見られませんでした。ぜいたく禁止令の下で描かれた浮世絵のように、控えめな色使いです。白い花と緑の葉とが混じり合っているのですが、オオシマザクラが多いのでしょうか。
水仙のトイレから30分ほどで、尺里峠からの登山道に飛び出しました。真弓ヶ丘の少し上のあたりです。ここから山頂まで、およそ30分、杉と檜の樹林帯を登ります。山頂の5分ほど手前に来ると、表丹沢の大山から鍋割山までを覗ける、小さなビューポイントがありました。最も高く聳える峰は、われらが塔ノ岳。目を凝らせば、鍋割山荘、尊仏山荘、烏尾山荘なども認められます。最後に男坂の階段を軽快に登って、広々とした高松山の山頂に到着しました。
山頂では、いく分色の薄くなった富士山が見えました。よい具合に桜が咲いています。ウグイス、シジュウカラなど、小鳥たちのさえずりがよく響くのは、婚活か縄張り宣言をしているのでしょう。私はベンチに腰を下ろしてお昼にしました。タンポポが花茎を伸ばさず、地面すれすれに咲いています。きょうは暖かな陽射しと、優しいそよ風に恵まれました。山頂の先客は2人でしたが、その後、3グループが到着して13人に。里のどこからか、正午のメロディーが聞こえてきました。
私は山から海を眺めるのが好きですが、これは叶いませんでした。眼下の酒匂川は、小田原方面へと流れ、海とも空ともつかぬ白い空間に消えてゆくばかり。箱根の山々も輪郭の柔らかなシルエット。うとうと眠くなりそうな風景です。でも、これこそ春。今、秋や冬のように透明な空気は望めません。見るなら桜です。きょうはせっかくの好い日和、桜をもっと見るため、下山ルートは尺里峠経由に決めました。
私は一旦立ち上がってリュックを背負いましたが、もう少し高松山の山頂で開放感と解放感を味わっておきたくなり、また腰を下ろしました。日の長い季節、急ぐ道ではありません。山頂広場に寝そべっている人もいました。何をしても自由な時間。私は紅茶を飲み、目を閉じて頬と鼻で山頂の空気を楽しみました。そして空に青みの残っているうちに桜を見ようと、本気で立ち上がりました。
山頂と尺里峠の間に、「真弓ヶ丘」という場所があります。ここに桜がたくさん咲いていました。白い花と緑の葉が鮮やかなのは、オオシマザクラでしょう。南面に展望があり、同じような桜が山々に散りばめられていました。ところで桜には、遠くに見て美しい桜と、近くに見て美しい桜とがあるように思います。もし私が庭に好きな桜を2本植えるとしたら、一重咲きではオオシマザクラ、八重咲きでは普賢象を植えるでしょう。「素朴過ぎず、華麗過ぎず」というところが好きです。
尺里峠から、最明寺史跡公園を経由して新松田駅に下りようかとも思ったのですが、天気予報どおり空が曇ってきたのと、不覚にもカメラが電池切れになったことで、尺里に戻ることにしました。以後、苦手の舗装道路を駅まで歩くことになります。でも山野草を探しながら歩けば気が紛れるでしょう。同じ道でも、帰り道は、来た時とは異なるものが見えるものです。実際、午後のヤマブキは、朝よりもまぶしく咲いているように見えました。
ところで、「高松山」と言いますが、松の木があったでしょうか? 私は静岡県の「高松小学校」を卒業しましたが、母校の建つ高松山にはたくさんの松がありました。その小学校はとうの昔に廃校になってしまいましたが、松は残っています。神奈川県の高松山も、かつては松の木がたくさんあったのかもしれません。ただ松は、伐採地以外では世代交代が困難で、一代で絶えてしまうことがあります。
国道246号に入ると、ガードレールのついた、幅広の歩道がありました。普通に車の騒音と排気ガスはあるものの、安心して歩けます。ところが、東山北駅のプラットフォーム中央部がすぐ右に見えるところまで来て、ふと気づきました。「あれれ、入口がないぞ!」不思議な駅です。線路の反対側(南側)に回らないと、駅に入れません。しかたなく向山(こうやま)交差点まで戻り、国道246号を渡って、農産物の直売所「とれたて山ちゃん」のすぐ前を通り、246号線と御殿場線をくぐり抜けました。
東山北駅は無人駅でした。プラットフォームに飲み物の自販機はありますが、券売機はありません。独り静かに電車を待っていると、電車到着の直前になって、大勢の山北高生たちがやって来ました。狭いプラットフォームが急に大賑わい。車内でも、切符を買うどころではありませんでしたが、下車した松田駅の出口で、「東山北からです」と言って、140円を支払いました。
この改札出口を、私は「日本正直ゲート」と呼んでいます。この日も、「駿河小山から」(240円)とか、「谷峨から」(200円)などの声がちゃんと聞こえました。信頼は余計な経費を減らします。例えばネット社会のように、セキュリティに多額の出費と不便を甘受しなければならない社会は、住み難い社会です。電車がワンマン運転のときに、乗車口で受け取れるらしい整理券も、乗客への信頼がなければ成り立ちません。御殿場線は「紳士協定」を教えてくれる鉄道と言えるでしょう。
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