新松田駅、または山北駅から登れます。いずれも、海の見えるミカン畑を通過し、開放感のある展望を楽しむことができます。空気の澄んだ季節には、富士山が素晴しく見えることでしょう。
運行本数が極めて少ないのですが、新松田駅、および山北駅からレトロ調のバスで高松山入口に行くことができます。
富士急湘南バス: JR山北駅 → 高松山入口
地理院地図: 高松山
高松山の天気: 山北町 , 山北駅
レポ: 高松分校と高松山
10月5日、丹沢山塊の南西部に位置する高松山に行ってきました。まだ真夏の暑さの残る日でしたが、山には秋の花がたくさん咲いていました。藪こぎは全くなく、最初から最後まで軽快に歩けました。帰路、少し足を延ばして、最明寺史跡(さいみょうじしせき)公園に立ち寄って見ました。
御殿場線松田駅ホームに行くと、きれいな富士山が見えました。ちょっと色が薄いので、そのうちに見えなくなってしまうかもしれません。早く高松山に登りたいと、気が急いてきます。8時23分、山北駅に到着。キップの回収箱に切符を入れて、駅舎の外に出ます。
すぐにバスが入って来ました。落ち着いた山吹色と緑に塗られた、レトロ調の小ぶりなバスです。山北町内循環と書かれていますが、平日8時35分発のバスは新松田駅行きです。わずかな客を乗せて、定刻どおりに発車。5分ほどで高松山入口に到着しました。運賃は150円です。(土休日なら、新松田駅7時35分発の山北駅行きが、レトロ調バスです。)
バス停のすぐ近くに、高松山を指し示す大きな道標が立っていました。おかげで道路上を右往左往しなくてすむので、ありがたい道標です。これに従って北に進んで行くと、今が見ごろのヒガンバナが、キウイ棚の下や川の土手などに固まって咲いていました。「上の台橋」の袂に、「ビリ堂コースに危険箇所があります。通行の際は…」と注意書きがありました。川下の丸山を眺めながら、橋を渡ります。本当にまるい山です。
上の台橋を渡ったら右折し、高速道路の下を通り抜けると公衆トイレがあります。その先の赤い小さな鳥居の前に道標があり、直進は第六天、左はビリ堂となっています。ビリ堂に通じる坂道を上って行くと、右側の斜面がミカン畑になっていて、ヒガンバナもたくさん咲いていました。天気も好く、ここは、♪♪♪ みかんの花が、咲いている ♪♪♪ と、リズムよく登って行きます。
コンクリート舗装の農道が右に曲るところに、馬頭観音像がありました。ここで右に曲らずに真っ直ぐ行くと樹木が開けてよい景色が見えそうに思えたので行って見ると、相模湾と小田原市街地が望めました。光る流れは酒匂川の支流、丸い山は丸山、その手前は尺里(ひさり)の集落、赤い花はヒガンバナです。リュックを下ろし、これらをとくと眺めながら、ラジオ体操第一を念入りに行いました。
農道に戻り、さらに登って行くと、またミカン畑が見えてきました。畑の中にモノレールが設置されています。まだミカンは酸っぱそうな緑色ですが、収穫期には黄色いミカンがモノレールで運ぶほどたくさん穫れるのでしょう。ミカン畑は温暖な土地で、海の見える南向き斜面に多く見られます。地図で見ると、果樹は電車の吊り革の取っ手のような記号で示されています。
黄色く塗られた車止めの所で農道が一旦終わり、里山らしい未舗装の道になりました。生い茂った夏草を踏んで歩くところもあります。竹林の横を通り抜けると、再びコンクリート舗装の道に出ました。山北町の名の入った道標があり、ビリ堂1時間10分と書かれています。右手の農道側の空間が開けているので、道草ですが、少し行って見ましょう。果たして、これは大正解。素晴しい展望が待っていました。先ほどラジオ体操をしながら見た風景を、さらに高い位置から広々と眺める事ができます。ここは、扇状地の上端、扇の要の位置です。
道標の位置に戻り、さらに農道を登って行くと、ミカン畑の中に茶や桐の木も見られました。道標から7,8分で農道は終わり、山道に入ります。これからは、キノコや山野草が次々と現れる楽しい道でした。ヨウシュヤマゴボウは緑色の実を着け、ヤマゴボウは白い美しい花を着けていました。針葉樹と広葉樹とが混合しています。
送電鉄塔の下を通り、その先で林道を横断します。杉や檜の小枝が敷き詰められた道を歩いて行くと、左に馬頭観音の石仏が二つありました。一つは顔がなくなっていますが、両手を合わせ、今も心の眼で登山者を見守っているように見えます。小鳥の声のほか何も聞こえて来ません。明るい木漏れ日の差す道に、マツカゼソウ、ヤマトリカブト、シダ類などが見られました。
ビリ堂と書かれた道標の立つコーナーに、大小二つの馬頭観音がありました。この地方では、よほど馬を大切にしていたのでしょう。ビリ堂と言いますが、お堂は建っていません。「ビリ堂のいわれ」と「馬頭観音・石碑の水」の説明があります。丁寧なことに「飲料水質検査適合報告書」もあります。蛇口をひねると、透明な水が出て来ました。しばらく使われていなかったのでしょうか、澱んだ水のような臭いがします。蛇口付近に滞っていた水を流し出して、臭いがしなくなったら利用できるかもしれません。
ビリ堂から先は藪こぎになることを覚悟して来ましたが、登山道の藪はきれいに片付けられていました。この30分間は、急傾斜、崩落地、赤い岩の狭いV字溝、黒い砂質土など、いろいろと変化があります。穏かな大野山に登って、もう少しワイルドな味付けを欲しいと思った人には、この高松山がお奨めです。
最後のがんばり所である急坂を上りきり、秦野峠方面に続く縦走路に立ちました。右に進み、潅木がアーケードのように立つ緩やかな道を5分ほど歩くと、山頂に到着。明るく広々として、どこが最高点か、よく分かりません。南側が明るく開け、箱根の山々が望めます。あいにく富士山は雲に隠れてしまって、全く見えません。眼下には東名高速道路、国道246号、酒匂川がほぼ平行に走ります。酒匂川は扇状地とその先の小田原市を潤し、はるか相模湾に流れ込んで行きます。
草原のベンチに腰を下ろし、お昼にしました。開放感のある山頂は、とてもよい気分です。もしこの上、富士山が見えていたら、どんなに素晴しいことか、次回のお楽しみです。空を見上げていたら、アサギマダラ(大型の蝶)が飛んで来ました、と言うより滑空してきました。翅をほとんど動かすことなく、流れる空気に上手に乗っています。右に左にふわりふわりと、翼を広げた鷹のように降りてきて、山頂の林に吸い込まれて行きました。
山頂では40分ほど休み、下山の途に就きました。まず第六天に向かいます。山頂広場の端に、右男坂、左女坂と書かれていたので、女坂を降りました。選べる場合、私は登りでは男坂を、下りでは女坂を歩きます。でもここはわずか3、4分下ったら、二つの坂道が一つになりました。そのすぐ先で、左手(東側)に樹木の切れた箇所があり、三ノ塔・二ノ塔と大山が望めました。大山から南に長く延びる尾根上に、浅間山や高取山を探していたら、正午を告げるメロディーがどこか遠くから鳴り響いてきました。
さて、ビリ堂コースとは対照的に、南東の尾根はなだらかです。重力も利用して、軽快に下って行きます。「虫沢古道を守る会」と書かれた白木の道標が次々と現れるようになりました。誰が名付けたか、「真弓ヶ丘」(マユミの雄木がある)、「桜平」(桜の木がある)、「富士見台」などの地名標も立っています。富士見台から富士山は望めませんでしたが、金時山と足柄山地が眼前に見えました。
行く手にヒガンバナの赤い色が見えて来ました。そこはお堂の跡のようで、基礎だけが残り、その中に馬頭観音が立っていました。右手の小さな階段を通って林道に降りると、尺里峠(第六天)と書かれていました。この林道は舗装されています。松田方面へは、土砂崩れのため車両通行止めになっていました。ところで、第六天とは標高569.5mのピークの名前だと思っていたのですが、元々は第六天魔王を祀る場所を指したはずです。それはどこにあったのでしょうか?
尺里峠からは、林道を歩きました。地図を良く見れば、高松地区に続く山道があり、これの方がずっと近道でした。たとえ林道に出ても、やはり地図は頻繁に見て、進路を確認すべきだったと思います。高松には洋館風の白い建物がありました。何に使われているのか、外から見ただけでは分かりません。ここの十字路から、道標が「最明寺史跡公園・松田山」を指す方向に進みます。約40分間の里山歩きです。
ところで、この里山の道は、道標こそしっかり立っているものの、あまり人に歩かれていないようでした。石仏の立つところで、尺里への山道を右に分けます。その先は草が高く延び、足下が見えませんでした。うっかり毒蛇(ヤマカガシ、マムシ)を踏まないように、気をつけて歩きます。ここで高松山をもう一度振り返り見ることができました。
緊張の草道を抜けると、丸太の土止めのある、やや暗い坂を上ります。上りきって、しばらく進んだ所の道標が「最明寺・松田駅」を指す方向に左折すると、両側からススキの穂が垂れ下がる明るい道になりました。「遠回り」と書いた札がありますが、歩いてみたい雰囲気を持つ道です。嬉しくも、正面に、三ノ塔と二ノ塔が見えてきました。さらに町境を越えたあたりの鞍部を過ぎると、ほぼ平坦な、気持ちよく歩ける道が南東方向に続いています。やがて最明寺史跡公園案内図が立つ場所にやって来ました。下に緑色の池が見えます。
小休止後、きれいに手入れされた公園の遊歩道に入りました。静かです。史跡に向かって、庭園風の小道を下って行くと、キンモクセイの甘い香りが漂ってきました。その木の立つ池の端では、花壇に混植されたコスモスとキバナコスモスが咲いていました。鯉たちがバシャバシャと跳ねます。その音が止むと、あたりは元の静寂に戻りました。人は誰もいないようです。
せっかくですから、ここの役者たちを、もう少し見てやりましょう。池の傍らの短い石段を上ると、そこが最明寺跡で、寺の由来を記した石碑が建っていました。クモの巣を払いながら、ゆっくりと池の縁を一周りしてみます。木陰にはタマアジサイ、日なたにはヒガンバナが咲いていました。
公園の出入口に、木彫りの孔雀と史跡の案内板とがあります。孔雀の止まっている台には、海抜445mと書かれています。史跡の案内図(右の写真)を見ると、公園が孔雀の形をしていました。この出入口の前に、小さいけれどもきれいなトイレがあります。このトイレには心が込められているような気がしたので、ありがたく使わせていただきました。
最明寺史跡公園を出て、新松田駅に向かいます。林道最明寺線に、「自然館」を指す道標が細かく設置されていたので、ずっとこれに従って行きました。この道標には番号が付いていて、自然館に近づくほど番号が若くなって行きます。この道のおかげで、自動車の騒音や排気ガスを避けることができました。途中に野生の獣よけの柵があります。隙間に手を差し込んで、反対側からドアの留め金を開けます。通過したら、またきちんと閉じます。
ミカン農道(?)に出たら、自然館とは逆に、右(海の方向)に下って行きます。この下り坂はなかなか眺望が好く、コスモスの花のそよぐ彼方に、青く美しい空と相模湾とが望めました。これを心ゆくまで眺めてから、東名高速道路の下を抜けて行きます。
住宅地に入ったら、自分が歩きたいと思う道を進んで行きました。どこを通って行っても、じきに御殿場線の線路に突き当たるでしょう。ほどなく架線が見え、大きな踏切がありました。東海道本線時代の名残でしょうか。現在は単線です。この大きな踏み切りを渡ってすぐ先、左斜め前の道の入口に「新松田駅400m」と書かれた案内書きがありました。こうして、知らない街でしたがスムーズに駅にゴールインすることができました。
さて、豊かな山野草に恵まれた高松山ですが、次は桜の咲く頃か、ミカンの色づく頃か、空気の透明な日を選び、友たちを誘って訪れてみたいと思います。
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