Wikipediaによると、笹尾根とは、広義では三頭山から高尾山まで、狭義では槇寄山から浅間峠までとなっています。
この記事は、棡原から浅間峠に登り、笹尾根を東に向かって歩き、醍醐峠から和田に下った記録です。この区間は、甲武相国境尾根と呼ばれることもあります。
富士急山梨バス:上野原駅 → 棡原中学校入口 神奈中バス:藤野駅 ← 和田
地理院地図: 生藤山
笹尾根東部の天気: 上野原市 , 上野原市棡原 , 相模原市和田
レポ: 笹尾根西部
10月28日、台風27号の通過した翌々日、笹尾根の浅間峠(せんげんとうげ)から醍醐峠(だいごとうげ)までを歩いてきました。山の木々が、惜しみなく一年の恵みを山に返す季節。木の葉がやがて力を尽くし切って、最後にあでやかな装いをする前に、何を語ってくれるでしょうか。
上野原駅のバス乗り場に行くと、拡声器を持った係員の方が、登山者たちに山案内をしていました。「松姫峠では紅葉の色づき始め」「きょうの富士山は真っ黒な富士山」だとか。一昨日に通過した台風が熱帯の雨を降らせ、富士山の雪が全部溶けてしまったのだそうです。真っ白でも、真っ黒でも、くっきりとした富士山が見えればいいのですが、果たしてどうでしょうか。各方面へのバスは、一斉に8時28分発の予定ですが、8時25分の甲府行き電車で来た客を待って、8時30分に次々と発車して行きました。
私は飯尾(いいお)行きのバスに乗って、棡原(ゆずりはら)中学校入口で下車。あたりに案内板か道標でもないかと見回しましたが、何も見あたりませんでした。とりあえず、地図を見ながら県道33号線を檜原方面に向かって歩きます。ちなみに、棡原中学校は学校の統廃合で、すでに閉校になっています。県道が左に急カーブするところに木看板があり、勘亭流風の文字で、「浅間峠入口」と書かれていました。風雨に晒されて、墨の色も薄くなっています。
この「入口」から、少し狭い道に入ります。三二山川(さにやまがわ)という小川に沿って、北東方向に進んで行くと、堰堤の手前で道がまた左へ折れ曲っていました。ここは勘を働かせて、真っ直ぐ川沿いの暗い道に進みます。次の高い堰堤の手前で直進ができなくなり、左に折れる道をそのまま登って行きました。少し進んで左手に水の澄んだ池を見た直後、変形十字路を直進。この道が最も新しそうなので、迷いはありません。うす暗い杉の林道を進んで行くと、軽四輪が1台駐車してあり、そこから先は道が荒れていて、一般車両では通行が困難な状態でした。
じめじめした林道をどんどん進んで行くと、タイヤの跡とキャタピラの跡が見られました。道端に携帯用の燃料タンクがいくつか置かれていたので、どこか近くで重機を使っているのかもしれません。その5分ほど先に作業員の方が二人いたので、「通れますか?」と尋ねました。すると、道はこの先工事中で、その先にはまだ道がないとのこと。そして燃料タンクの置いてあった場所に浅間峠を指し示す標識があることを教えてくれました。戻ってみると、確かに小さな木製の標識に、「浅間峠 →」と書かれていました(写真)。これを見逃したために、約10分のタイムロスとなりました。
ともかく登山道に取り付くことができたので、一安心。リュックを下ろして準備運動をしました。行動食とお茶を胃に入れ、登山開始です。相変らず杉ばかりの山道をジグザグに登って行きました。暗い道ながら、木漏れ日を拾って、ひっそりと咲くコウヤボウキとヤマニガナ。花期の終わったシモバシラ、紫色の実が風流なコムラサキなど、ここでは地味な役者ばかりです。やがて明るい稜線が見えてくると、ジグザグ道が終わって、峠直近ムードの道が左に伸び、浅間峠に飛び出しました。
浅間峠には、大正年間に立てられた石柱があり、西方を指す矢印に、「→ 山梨縣棡原村三二山ニ至ル」と彫られていました。県名が入っているところに、都県境尾根である笹尾根らしい味わいがあります。また、三二山とは、山の名ではなく、集落の名前かと思います。かつては人や物資の行き交う峠だったのでしょう。今日、ここは「関東ふれあいの道」です。ここから檜原村の上川乗に下ると、上野原市の棡原よりもバスの便がずっと良くなります。ただこの時間、人影も足跡も見られず、あたりはしんとしていました。
いよいよ、笹尾根を歩いて、醍醐峠に向かいます。基本的な進行方向は南東です。多少のアップダウンはありますが、概してなだらかな稜線漫歩と言えるでしょう。陽射しは明るく、空気は暖か。ほとんど無風で、無駄な汗をかかないためにも、こんな日は薄着で十分。どこで何が見られるかは、行って見てのお楽しみ。「富士見のみち」と名づけられた景勝(?)ルートです。果たして真っ黒な富士山が見えるでしょうか。
尾根道は、広葉樹の自然林だったり、南面だけ檜の人工林だったりします。木々の葉が輝くのは、明るい陽射しの賜物。まだまだ紅葉とは言えないものの、広葉樹の高枝には軽い色づきが見られました。「笹尾根」と言いますが、この日歩いた区間では、特に笹が多いという訳でもありません。動物や花などとの出会いは無きに等しかったのですが、木々の美しさ、地面に落ちたドングリの夥しさ、落葉の香り、空気の爽やかさなど、季節感はたっぷりとありました。
笹尾根を遠くから眺めると、槇寄山、土俵岳、茅丸、連行峰ほか、カッコいい峰がたくさんあります。しかし、ほぼ直線状の笹尾根の上から見えるのは、大体いつも前後のピークくらいなもの。しかも樹木の枝越しにしか見えないので、スッキリと雄姿を眺めることはできません。それでも連行峰と醍醐丸を除き、各ピーク上からは近隣の山々を望むことができました。その初めが熊倉山です。到着時はすでに正午近かったのですが、うす青い富士山の頭が辛うじて見えました。もっと早い時刻だったら、真っ青な富士山を望めたかもしれません。
軍刀利(ぐんだり)神社元社に来たら、ヤマカガシが日向ぼっこをしていました。私がそっと近づこうとしたら、静かに逃げて行きました。これがこの日、山で出遭った、人間以外の最大の動物です。人通りがほとんどなく、静けさそのものと言ってもよいような笹尾根でしたが、野鳥の声が聞こえなかったのは、ちょっと寂しいことでした。メジロやシジュウカラも里に下りてしまったのでしょうか。山野草の花がほとんど終わり、蝶や蜂なども、どこかへ行ってしまったようでした。
次は、三国山に向かいます。軍刀利神社の東の階段道をスタコラ下って、井戸からの道を右から合わせます。その先、三国山への登り道には、桜並木がありました。花の季節にここを通る人々は、どんな思いで桜を見るのでしょうか? そして、甲武相、三国にまたがる三国山からは、この日一番の眺望が得られました。富士山と南アルプスは雲に隠れていましたが、小金沢連嶺から丹沢山塊まで雄大に望めました。特に2週間前に登った権現山と雨降山の、一つの山塊にまとまった姿を、美しく立体的に望めたのは大きな収穫でした。光線の加減の良いときに、もう一度見たいと思います。
さて、生藤山は三国山からわずか0.2kmの距離です。あっと言う間に狭い山頂に着くと、藤野町十五名山の標柱が立っていました。中央に二等三角点があります。ところで、展望では三国山の方が優り、標高は茅丸の方が上です。しかし、知名度では、生藤山が 付近の他の山を圧倒しています。私の単純な思いつきに過ぎませんが、藤野駅の名も、生藤山に由来するのかもしれません。ともかく、主目的地の山頂に立ったので、ミルク紅茶を飲んでしばらく休憩することにします。すぐ目の前に防火用水の錆びたドラム缶が並んでいました。
次は、茅丸を目指します。生藤山から東のコルへの下りは、短いけれども急峻でした。巻き道もありますが、誰が歩くのでしょうか?こで出会った年配のご夫婦も、ゆっくりながら真っ直ぐ急登に向かって行かれました。そのコルに「ウリハダカエデ」と名札の付いた高木があり、見上げると緑の葉と赤い葉とが入り混じって、未熟で優しい美がありました。これからどんどん赤く鮮やかになってゆくのでしょう。その先の小ピークを北面から巻いて行くと、折りよく木々が半身に斜光を浴び、なかなかいい雰囲気の道になっていました。巻き終わってからその小ピークに登り返すと、生藤山を目の前に望めました。
茅丸にも巻き道がありました。この日の最高峰なので、私は当然登ります。山頂は狭いけれども小ぎれいでした。ベンチがハの字形に二つ置かれていて、家族や小パーティーでこじんまりとお茶や食事をするのに適していそうな、可愛い山頂です。樹木があって、眺望は今ひとつでしたが、葉の落ちる冬場には四方が望めそう。さて、うまい具合に、山頂標が二つあります。南側の標柱の頭にカメラを置き、セルフタイマーをセットしてから、北側の標柱の横に立って記念撮影ができました。
茅丸から行く手の連行峰を望み、土止め階段を下りて行くと、オヤマボクチがいくつも咲いていました。クローズアップで迫ると、南国風のエキゾチックな花です(写真)。階段を下りきった先は、楽しい小笹の道でした。文字通りの笹尾根です。このあたりにもミズナラがたくさんありましたが、ひこばえが大きく育って、八本立ちになったものまでありました。再び土止め階段を昇り、明るく気持ちの良い道を進むと、程なくして連行峰に到着しました。標柱には、連行山と書かれています。樹木に囲まれて展望は利きませんでしたが、ゆっくりと休憩したくなるような、好ましい雰囲気がありました。
連行峰を後にすると、また気持ちのいい「笹の尾根」になっていました。前方右手に、陣馬山を枝越しに望めます。「山の神」と書かれた石のあるコルを通過しながら、和田への道を右に分けました。次は、名前の気になる大草里山(おおぞうりやま:837m)です。これを越えてコルまで降りると、その次のピーク(推定:840m)を南面から巻く道がありました。今まで巻き道をいっさい使わずに来たので、このピークも正直に越えます。さらに次の醍醐丸にも巻き道がありますが、醍醐丸は外せません。午後2時半を回ると、登山道に映る私の影が長くなって来ました。山の夕暮れは早いので、あまりのんびりとしてはいられません。
醍醐丸の山頂には、八王子市と書かれた白い標柱が立っていました。この山は、八王子市と檜原村と相模原市にまたがっています。山頂のベンチに腰を下ろし、この先どうするか考えました。計画では醍醐峠から和田に下りるつもりでしたが、ここに来るまでに道草を食い過ぎたせいで、次に乗れるバスは1時間20分待ちになりました。そのバスに乗るなら、いっそ陣馬山を越えて下山する方が満足感が大きくなるんじゃないか。とはいえ、もうすぐ午後3時。暗い山道を歩くのは避けたいところ。とりあえず醍醐峠まで行ってみることにしました。
醍醐峠で時計を見ると、午後3時3分でした。次のバスまで、あと44分。山と高原地図のコースタイムは、和田バス停まで1時間。スロージョギングで下れば、その60%の時間で行けるので、次のバスに間に合いそうだと判断し、すぐに下山を開始しました。
スロージョギングは、いつでもどこでもできるわけではありません。
道半ばで、思わぬ伏兵が待っていました。沢が増水して、登山道が水路と化していたのです。谷すじの道ですから、雨後の増水はあり得るのですが、来て見るまでは分りませんでした。靴が水に浸かり、靴下まで水が浸み込みました。もうバスどころではなく、安全第一で、慎重に歩いて行きました。
下山路は、案外短いものでした。醍醐峠から25分で、和田浄水場の脇を抜けて、アスファルトの道に下り立ちました。これで余裕綽々となり、気分よく山里を歩いて行くと、のどかそうな山の斜面の茶畑が目に入って来ました。静岡県の川根町や春野町も山奥だったな、と思い出します。相模湾の暖かい風が和田の里まで入り込むのでしょう。
その後も時計を見ながら歩きました。和田バス停には、発車3分前に到着。バスの外にいた運転士さんが、「こんにちは」と声を掛けてくれました。バスの乗客は、藤野北小学校前で7名の小学生たちが乗り込むまで、私一人きりでした。次は槇寄山から浅間峠まで歩こうかな、とか想っているうちに、いつしかウトウト夢見心地になっていました。
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