山はいいなあ  >  丹沢・道志  >  地蔵平から屏風岩山

地蔵平から屏風岩山

ヒガンバナが咲く地蔵堂

ヒガンバナが咲く地蔵堂

地蔵平は、かつて世附(よづく)森林鉄道大又線の通じる林業集落でした。廃村になった後も、地蔵堂がきれいに守られています。

屏風岩山は、南北に通じる縦走路を経て至るのが一般的です。東西に歩くときは、登山道がないので、しっかり読図してください。

バス停 富士急湘南バス: 新松田駅 → 浅瀬入口 登山口
バス停 富士急湘南バス: 谷峨駅 ← 大滝橋 登山口

地図 地理院地図: 地蔵平 , 屏風岩山

天気 地蔵平の天気: 山北町 , 屏風岩山 , 丹沢湖


コース & タイム 鉄道駅新松田駅 バス停 7:20 == 8:17 浅瀬入口バス停 8:20 --- 9:20 浅瀬橋 9:25 --- 10:33 法行橋 10:36 --- 11:00 千鳥橋 11:15 --- 11:41 地蔵平 12:10 --- (タイムロス7分) --- 12:23 セギノ沢渡渉2回 12:26 --- 12:34 屏風岩山取り付き 12:34 --- 13:28 920m(西尾根出合)13:28 --- 13:54 屏風岩山 14:00 --- 14:20 965m(火気に注意の看板)14:20 --- 14:54 900m(石標)14:55 --- 15:23 水源協定林看板 15:33 --- 15:40 小さな草原 15:43 --- 16:10 尾根終点 16:12 --- 16:15 大滝橋バス停 バス停 16:32 == 17:08 谷峨駅鉄道駅
※歩行時間には道草と写真撮影の時間とバスの時間調整が含まれています。
屏風岩山 びょうぶいわやま:標高 1051.3m 単独 2015.9.19 全 7時間55分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢❢

図書館で「誰も知らない丹沢」(岡澤重男氏著、風人社)という本を手に取ったことがきっかけで、いつか地蔵平に行ってみたいと思うようになりました。いつがいいだろうか? ヒガンバナの咲く季節がいい! と思っているうちに月日が流れ、彼岸直前の9月19日、ついに行って来ました。かつて走っていた森林鉄道を偲びながら、浅瀬橋から大又沢林道を北上し、今は住む人のいない地蔵平に至りました。

段落見出し 谷峨駅から浅瀬入口へ

新松田駅から乗った西丹沢行きバスが市街地を抜けると、車窓からくっきり、きれいな富士山が望めました。まだ雪を冠っていない夏姿です。きょうはどんな日和になるでしょうか。できれば爽やかな秋の風を受けて歩きたいものです。道路わき、ところどころに真っ赤なヒガンバナの小群落が見られました。

道路に渋滞はありませんでしたが、バスが谷峨駅を出るまでに、しっかりと5分遅延しました。バスは左右に2座席ずつあるタイプです。谷峨駅から乗った人々も全員が座席に着くことができました。

浅瀬入口では、私の他にもう一人降りました。「きょうはどちらへ?」と尋ねると、西丹沢から山中湖方面の山々を巡って来るそうで、テントも担いでいるとのこと。この山域を単独でこなすとは、相当に山慣れしている人に違いありません。「私は地蔵平に行きます」と言ったら、「いい所ですよ」と言ってくれました。

段落見出し 浅瀬橋へ

その方が身支度をしているうちに、私は落合トンネルに入りました。私はあまりトンネルを好きではありませんが、中でもこの落合トンネルは苦手です。小型車が1台走るだけで、魔物軍団が襲来して世が尽き果てるかと思うような、凄まじい轟音が鳴り響きます。速足で通り抜け、世附大橋の見える湖岸に出ました。

9月にかなりの降水があったのにしては、丹沢湖の水位が低いように思いました。世附川に堆積した土砂を搬出する作業クレーンやダンプカーが川原に見えましたが、そのためだったのかもしれません。浅瀬に近づくと、バードウォッチャーたちが野鳥を撮影する小型テント(ハイド)を並べ、大口径のレンズを流れに向けて、何かを狙っていました。

浅瀬ゲートを越え、浅瀬橋にやって来ました。大きな石碑の文字の判読に苦しんでいたら、先ほどの方が追いついてきて、一緒に判読を試みてくれましたが、全部は判りませんでした。「地蔵平からはどちらへ?」と尋ねられたので、「屏風岩山へ」と答えたら、「バリエーションですね、道がありませんよね」と、私の事を心配してくれる様子。「ありませんね」と答えたら、少し安心された(多分)ようで、互いに「お気をつけて」と言って別れました。

段落見出し 法行橋へ

浅瀬橋からは大又沢沿いの林道を北に向かいます。沢の流れが耳と目と肌に心地よいのですが、午前9時を回った頃から暑さが気になるようになりました。爽やかな秋の日和ではなく、汗を誘う夏の陽射しです。やがて下着が心地よさを維持できる限界を越えるほどの汗をかき、体が強く水分を要求し始めました。林道は沢の西岸にあるので、日当たりが良過ぎるのです。何とか涼しい木陰に至ると小休止し、下着を脱いで、汗を拭きました。緑茶を飲んで水分補給をします。

再び歩き始めると、堰堤の上流で白い砂が堆積し、浜辺のようになっていました。ここで休めばよかった!と思いながら砂浜に下りて行くと、ヤマカガシがゆっくりと砂の上を這って行きました。ヘビにとっても居心地のいい場所なのでしょうか?猛禽類がいれば、やすやすと見つかってしまうでしょうが。沢を渡って来る風が心地よく全身を癒してくれる感覚がしました。

浅瀬橋から1時間ほど歩いた頃、法行橋にやって来ました。浅瀬橋と地蔵平とのほぼ中間点です。橋の上から見る法行沢の水は美しい色に光り、上流には緑の茂みを透かして小さな滝が見えました。橋を渡りきると、「世附川流域を保全する治山事業」の看板がありました。「一旦、小規模崩壊が発生すると更に拡大する恐れがあるため、早急に緑化を図るため…」と書かれています。

段落見出し 千鳥橋へ

法行橋から5分ほどで、法行沢林道を左に分けました。更に5分ほどで、東京電力の大又沢ダム。水門から溢れた水は、白いレースのカーテンのように、きれいな波模様を描いて滑り落ちていました。ダム湖の湖水は、見る方向によって、深い緑色から白色味を帯びた青緑色まで、ちょっと神秘の味わい。このダム湖にも白い砂が堆積していました。

ここまで林道沿いに電柱と電線がありましたが、このダムでそれは終っていました。ただ、老朽化したカーブミラーは、引き続き、最後まで務めを果たそうとするかのように立ち続けています。沢が右に大きく曲るところでは、何本かの大杉が川原に倒れていました。でも、根の部分は土に埋まっていて、木は生きているようです。根元の土ごと崩落したのでしょう。ここで登山者風の若い人とすれ違いました。そしてこれ以後、大滝橋まで誰とも出合いませんでした。

午前11時、千鳥橋に至りました。その名前から小さな可愛らしい橋を想像していたのですが、幅広の大又沢に架かるだけあって、それなりの長さもあります。橋を渡れば大又沢の左岸。右に二本杉峠への道を分け、左には小さな庭園風の緑地がありました。そのわきに小さな池もあります。トンボや蝶の舞が、静けさの中に動的な生命感を与えていました。緑地に腰を下ろせる丸木があったので、ここで昼食にしました。

段落見出し ついに地蔵平!

千鳥橋の池端で15分ほどお昼休憩し、地蔵平に向かいました。もう30分とかからないはずです。きれいな緑のトンネルを成す林道、幾段にも流れ落ちる細い滝、大トトロを髣髴させる山… そして11時40分、目指す地蔵平に到着しました。ヒガンバナが咲いています。地蔵堂は掃除がきれいに行き届き、お地蔵様のエプロンも清潔そう。お供えの缶詰とペットボトルの水は、獣や鳥を引き付けないためでしょう。

地蔵堂から小さな沢を渡り、広場に行きました。集落の名残はありません。広場の果て、北の空の下に鎮座するのは大界木山でしょうか。かつての住民たちが毎日眺めたであろう山々を、私も眺め渡しました。森林軌道はどこが終着点だったのでしょうか?分教場や家屋の跡は、わずかでも何か残っていないでしょうか?

広場には、紫色のシソ(紫蘇)が生い茂っていました。最近誰かが腰を下ろしたらしい丸木と、焚き火の跡があります。その近くで茶碗のかけらを見つけましたが、これはいつのものでしょうか? 地蔵平は廃村になって、更地に戻されたのでしょうか? 四季折々には、庭木や宿根草の一輪でも咲いていそうなものを。もしや、土石流に埋まったのでしょうか?しかし、地蔵平から生活の痕跡が消えても、人の心が切れていないことは、お地蔵様が証言しています。

段落見出し 屏風岩山への取りつき

きょうの目的は一応果たしました。私は丸太に腰を下ろし、一口お茶を飲むと、それまで履いていたスニーカーを脱いで、トレッキングシューズに履き替えました。山を越えて帰るためです。まず、広場から立ち上がる尾根(屏風岩山西尾根?)に取りついてみました。しかし、強烈な獣の臭いを感じ、私は本能的に身を引きました。おそらく鹿の臭いだったのでしょうが、断定はできません。

もう1本北の枝尾根を登ってみようと、地蔵沢林道を北に進み、尾根への取りつき口を探しました。地理院地図によれば、林道がセギノ沢の左岸沿いに描かれています。しかし、しばらくその左岸を進むと、靴底のエッジを強く立てなければ歩けない斜面が続くようになりました。沢を見下ろすと、右岸の方が歩き易そうです。「ここは間違いだ」と判断し、来た道を戻って、セギノ沢右岸に渡りました。そしてその3分ほど先で左岸に渡り返すと、林道の跡に立つことができました。

林道跡を進むと、尾根を巻くところに、今は遺物となったカーブミラーが立っていました。そしてさらに3分ほど先に、ガラスが完全に落ちてしまったカーブミラーがあり、その10mほど手前から右の斜面に踏み跡がありました。踏み跡だと思って見れば、かなりまともな踏み跡に見えます。これを辿って登って行くと、2~3分で尾根に楽々乗ることができました。あとは、山頂までひたすら尾根すじを辿るだけです。

段落見出し 屏風岩山へ

さて、地蔵平から屏風岩山への単純標高差は約440mです。高尾山口駅から高尾山頂までのそれと大差ありません。けれども標高900mあたりまで、地図の等高線が込み合っていることからも分かるように、急傾斜が続きます。加えて、この1ヵ月半は山に登っていなかったためか、足がとても重く感じられました。こんなときは、歩幅を小さくして、ゆっくりと登ります。幸い、通行の支障になるような薮、ザレ場、危険な崩落などはなく、ただがんばりさえすれば登れる尾根でした。

尾根の左(北)寄りを歩くと、わずかながら谷風が涼しさを運び上げて来ました。時折雲の切れ目から日が差し、広葉樹の葉をステンドグラスのように輝かせます。尾根上に横たわっていた、通せんぼみたいな倒木に腰を下ろし、糖分と水分を補給しました。真っ赤なタマゴタケが、みずみずしいトマトのように見えたほど、のどが渇いていました。

標高920mあたりで、右から上って来る尾根を合わせました。その尾根には青いPPテープ(紐)があり、出合(下る場合は分岐)には黄色のビニールテープがありました。もう山頂は遠くありません。傾斜も緩やかになりました。すぐ左に崩落地が見えます。感じの良いブナ林を、縦走路に合わさるように歩いて行くと、木漏れ日の美しい山頂が見えてきました。白い私製の山頂標と、頭の赤い三角点が立っています。地蔵平から正味1時間半、屏風岩山の頂に立ちました。

段落見出し 下山

下山は、東に進むことを基本とします。まずは、赤ペンキで大きな×印のある尾根を下り、東峰(約1050m)に登り返します。このあたり、鹿柵、食害から幹を守る網、マツカゼソウの群落など、シカに因むものが見られました。東峰から振り返ると、屏風岩山の頂が見えます。尾根の分岐点である965m地点には、「火気に注意」と書かれた円い標識がありました。大滝橋へは左の尾根を下ります。ヤマレコでは、何故かこの965m地点を東峰としています。

次の悩ましい分岐は900m付近の石標から先です。まず真東に下りましょう。この尾根には道案内用と思われる長いトラロープが設置されています。この尾根をどんどん下って行くと、石棚山稜が競り上がってきました。私は水源協定林の看板のあるところで休憩し、バスの時間調整をしました。ところがその先で生い茂った草が茫々と伸びていて、地面が見えづらくなり時間を費やしました。ヘビを踏まないように注意します。牧草もかなりたくさん見られました。

尾根の末端で、シノダケのトンネルをくぐりました。曲がりくねったトンネルは、小トトロを追いかけるみたいに、冒険好きの男の子に喜ばれそうなアトラクションです。最後にコンクリートの擁壁の上で左折し、舗装されたヘアピンカーブに下り立ちました。新松田駅行きバスが来るまで20分、そこでバスを待ってもよかったのですが、けじめよく大滝橋バス停まで歩きました。

段落見出し あとがき

地蔵平はストーリー性もあって、不思議な魅力のある場所でした。ヒガンバナは、地蔵堂の前にしかありませんでしたが、かつての人里ではあちこちに咲いていたかもしれません。もしそうなら、節度を保ちつつ、ヒガンバナを復元できないものでしょうか。

木の葉ライン

↓ 紙芝居



©2015 Oda Family  All Rights Reserved.