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伊豆ヶ岳と子の権現

子の権現の展望地より望む、伊豆ヶ岳と古御岳

子の権現の展望地より望む、伊豆ヶ岳(中央)と古御岳(左)

伊豆ヶ岳は、奥武蔵のほぼ中央部にあり、駅から駅まで歩いて登下山できます。いくつものアップダウンを越えて子の権現に至ると、足腰の強化にご利益がありそうです。

男坂の鎖場は、落石の危険があります。たとえ小粒の岩石でもかなりの高速で落ちてくるので大変に危険です。

地図 地理院地図: 伊豆ヶ岳

天気 伊豆ヶ岳の天気予報: 飯能市 , 子の権現 , 正丸駅


コース & タイム 鉄道駅 正丸駅 7:56 --- 8:27 馬頭尊 8:27 --- 9:25 五輪山 9:30 --- 9:54 伊豆ヶ岳 10:12 --- 10:29 古御岳 10:35 --- 11:02 高畑山 11:11 --- 11:31 中ノ沢ノ頭 11:31 --- 11:52 天目指峠 12:05 --- 12:58 子の権現 13:15 --- 13:42 浅見茶屋 13:42 --- 14:33 吾野駅(登山終了)== 休暇村奥武蔵(入浴)== 吾野駅 鉄道駅
※歩行時間には、道草と撮影時間が含まれています。
伊豆ヶ岳 いずがたけ:標高 851m グループ 2014.9.15 全 6時間37分 満足度:❀❀❀ ホネオレ度:❢❢❢

9月15日、山の友と二人で奥武蔵の伊豆ヶ岳に登りました。終日曇天で、山々の眺望には恵まれませんでしたが、山里に訪れた初秋の空気を楽しんできました。後半はアップダウンも多く、天然クーラーの利いた山で、ほどよい運動になりました。

段落見出し 正丸駅から歩いて出発

正丸駅の石段にはびっくり。足を下ろしたら左側に転落しそうな錯覚に襲われました。実はこの駅は初めてです。かつて19歳のときに伊豆ヶ岳に登ったときは、西武秩父線がまだ開通していなくて、電車はすべて吾野駅まででした。その伊豆ヶ岳山頂から眺めた武甲山の姿に強い誘引力を感じ、予定を変更して武甲山に行き、浦山口駅に下りました。若かったからできたことですが、今の私には無謀そのもの。ただ、当時どこをどう歩いて武甲山に至ったのか、そのルートを伊豆ヶ岳山頂に立って確かめたいと思っていました。

前日と翌日はすばらしい秋晴れの日でしたが、残念、この日は雨こそ降らなかったものの、青空を見ることは終日ありませんでした。それでも登山口に向かう道のわきには、シュウカイドウやシソの花。ガマズミの真っ赤な実も秋の色です。民家の庭にはなつかしいホウセンカ。ふっくらした実を軽くつまむと、種がはじけ飛ぶあのホウセンカ。都市部ではインパチエンスという外来の園芸種に駆逐された感があります。そして道沿いには、目にも耳にも心地よい渓流。でも「土石流危険渓流」と書かれた標識が立っています。

私たちは、体のエンジンが温まるまで、超低速で歩きました。次第に速度を上げてゆく老熟型省エネ登山です。馬頭さまと呼ばれる祠の立つ分岐まで、のんびり30分かけて歩く間に、同じ電車を降りたすべての登山者たちに追い抜かれました。その分岐を左に入ると、山道が始まります。杉や檜の針葉樹林の下、沢に沿ってよく整備された気持ちのよい道。その沢のミニ滝やミクロ滝を見ながら越え方を考えたり、暗がりのヤマホトトギスを無理やり手持ち撮影したり、まだ余裕が十分にありました。

段落見出し 気がつけば汗だく

とある地点から傾斜が増しました。すでにエンジンは定常運転に入っていたので、そのまま快調に登って行きました。湿気と暑さを感じ始めたので、一旦停止して開襟シャツとアンダーシャツを脱ぐと、思いのほか汗をかいていました。無風の上に湿度もかなり高かったのだと思います。タオルで汗ばんだ体を拭き、開襟シャツだけを着ました。ラジエータ効果が高まります。折りしもその場所にあった岩には、「胸突き八丁、休んでいけ岩」と書かれていました。

この先も急登が続きましたが、その分どんどんと高度が稼げるという快感がありました。でも下を振り返ると、よほどの貴重品を置き忘れたのでなければ下に戻りたくはないと思いました。とはいえ、ここの急登はあまり長くは続きません。上を見上げれば、稜線がすぐそこに見えるでしょう。ちなみにこの道は過負荷で崩壊が進み、下りには少し北回りのルートが使われると聞いています。「泣き坂」というのは、山道が泣いているのかもしれません。

支尾根の稜線上に立つと、そこには腕木を失くした(?)ような、古びた道標が立っていました。誰かが書き込んだ矢印(→)を見て右折し、この尾根を西北西に少し進むと五輪山の東尾根に出ました。北側に展望があります。あいにくの曇天とガスで、丸山が影薄く、遥かかなたにあるように見えました。左手には二子山(雄岳)と無線塔の立つ甲仁田山とが、こちらは近場なのではっきり望めます。空は相変らず鈍い鉛色で、晴れ間はまったく望めそうにありませんでした。

段落見出し「事故あった場合自己責任」

その展望地から5分ほど登ると、五輪山の山頂広場に至りました。ここで正丸峠からの道を合わせます。ベンチがいくつかありますが、眺望はありませんでした。五輪山というのは、五輪塔でもあるのか、あるいはオリンピックと何か関係があるのでしょうか?私たちは、小さく腹ごしらえをしました。伊豆ヶ岳の男坂は目と鼻の先です。

男坂の入口には、「落石危険」と「落石注意」の二つの警告板が立っていました。「事故あった場合自己責任」とは書かれていますが、なぜか「通行禁止」とは書かれていません。ロープを張るなどの「通せんぼ」もしてありません。ここは有名な鎖場なので、私たちも関心があり、近くまで行くだけ行って見ました。そして、鎖場の上部に誰もいなければ、落石の恐れは比較的に小さいだろうと考えました。ちょうどそこに単独男性が来たので、先を譲り、観察することにしました。

男性は鎖を使って、身のこなしも軽やかに登って行きましたが、小粒の岩石がたくさん落ちて来ました。岩の上をカツン、カツンと跳ねながら凄い勢いです。恐怖感を催すには十分でした。落石が収まってから、私たちは二人同時に並行して登ることにしました。途中で何度も下を振り返りながら、すばやく登りました。もし下に人が見えたら、「しばらく待ってください!」と叫ぶつもりでした。

段落見出し がっかり山頂、伊豆ヶ岳?

この鎖場の登りは大して楽しくはありませんでした。ガスで眺望がなかったということもあります。友人は、鎖を使わなくても登れると言いましたが、完全に登りのみの一方通行に規制しなければ、鎖を使って登っても危険は大きいと言えます。私は鎖場の実地検分を終えると、この男坂への関心も薄れ、さっぱりした気分になりました。次回は迂回路を歩くでしょう。

そのあと2回ほど岩場を巻いたり越えたりして、伊豆ヶ岳山頂に到着しました。何人かが食事をしていましたが、休日にしては人が少なく、ガラ空きと言ってもいいほどです。ガスのせいで、回りの山々は全く見えません。ガスがなくても、立ち木に囲まれた山頂は、冬枯れの季節を除き、大した眺望は得られないのではないかと思います。伊豆ヶ岳の頂上では360度の展望があるように書かれたガイド書もまだありますが、これをあてにして来ると、がっかりするかもしれません。

私たちは、南側の赤味を帯びた岩に腰を下ろして昼食にしました。小さな子供を二人連れたお父さんが登ってきましたが、子供たちに大パノラマを見てもらえないことは、私の気持ちとしては残念です。でも三人で楽しそうにお弁当を食べていました。私たちはまだ予定コースの三分の一しか来ていなく、あまりのんびりとはしていられません。腰を上げてリュックを背負い、隣の古御岳(こみたけ)に向かいました。

段落見出し 子の権現へ、長いアップダウンの道

下り始めてすぐに山伏峠への道を右に分け、急坂を下りきってから少し登り返した先が古御岳(830m)の山頂でした。東屋とベンチがあります。ここも展望が利きませんでした。天候のせいでしょうが、暗く陰気な雰囲気だったので、お茶だけ飲んで、すぐに次の高畑山(たかばたけやま)に向かいました。

高畑山への道は、南西面が人工林で北東面が自然林でしたが、縦走路の一部にアセビの群落もありました。短い区間ですが、春には花のトンネルになりそうです。古御岳から30分ほど、いくつかの小さなアップダウンを経て、高畑山(695m)に到着しました。定番ともいえる吊るし板の山名標とベンチがあります。面白いのは、道標の柱に「ナローノ高畑山」と書かれていること。ナローノとはどんな意味か、帰宅後に調べてみたら、楢生という地名に由来するとの記事がありました。

さらに、中ノ沢ノ頭(622m)、天目指峠(あまめざすとうげ、475m)を経て、変わりばえのしない道を延々と歩くのにも飽き始めた頃、ようやく愛宕山(約660m)に到着しました。赤い屋根の小さな祠があり、子の権現が垣間見えます。ここを下って、竹寺への道を右に分け、鞍部に下りると左右に大きく展望が開けました。特に南面の山並みがすばらしいと思います。反対側には、伊豆ヶ岳と古御岳が、双耳峰のように仲良く立っています。はるばる歩いて来たんだなあと、ちょっとした感慨がわきました。

段落見出し 子の権現から吾野駅へ

子の権現には、裏参道(?)から入ることになります。さっそく鉄のワラジ(草鞋)を拝見に行きました。大きいです。きれいな金色ですが、藁ではなく、メッキか塗装の色でした。ここの子聖大権現(ねのひじりだいごんげん)にお参りすれば、足腰が丈夫になれるそうで、本当ならうれしいことです。それとも、すでに恩恵を受けたのでここまで歩けたということでしょうか。足腰の弱い方は、表参道を車で登ることができます。

一対の大きな「仁王像」と「黒門」の先に「二本杉」があります。被雷による焼損で空洞化していますが、今も壮絶な姿で生きています。傍らの石碑に彫られた説明によると、樹齢約800年、伝説では子の聖が食事に使った箸をさしたものが根付いたとか。それはていねいに削られた現在の箸のようではなく、形成層の着いた箸だったのでしょうか。黒焦げの杉に畏敬の念をもって見上げると、いつまでも枯れずにいてほしいと思いました。

内木村治文学碑の見晴台からは、東方の山並みが望めました。できるだけたくさんの山名を知りたいところです。地図は持っていましたが、時間がなかったので、山座同定はせずに、吾野駅に向かって下りました。古民家利用の浅見茶屋はメニューを見るだけで通過。途中で休暇村奥武蔵の送迎バスと出会ったら、手を上げて乗せてもらおうと思っていましたが、歩道は車道とは別ルートでした。駅まで歩かねばなりませんが、車の往来を気にせずに、安心して歩けます。

段落見出し 休暇村奥武蔵で一風呂

吾野駅に着くと、送迎バスが来ていました。すぐに発車し、休暇村奥武蔵には5分ほどで到着。日帰り入浴だけなら、会員と同行者1名まで大人一名520円と安めの利用料です。お湯は内湯も野天風呂も、ぬるめだったので長時間湯に浸かることができました。可能な限り、下山後は温泉で足腰をしっかり温めて、電車で眠りながら帰るのが、私の疲労回復法です。果たして電車を降りると、ホームの階段で足がすっかり軽くなっていました。

自宅の最寄り駅からスーパーのお惣菜コーナーに立ち寄ると、「わらじメンチカツ」というものがありました。鼻緒をつければ、小学生が履けそうなほどの大きさです。でも、うやうやしく見るだけにしておきました。

木の葉ライン

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