市道山と臼杵山は、奥多摩山域の南部に位置し、刈寄山と合わせて戸倉三山と呼ばれます。
戸倉三山を巡るコースを一日で歩き切るには、健脚が必要です。しかし、入下山ルートも多いので、体調に応じてコースの変更ができます。
西東京バス: 高尾駅 → 夕やけ小やけ 西東京バス: 武蔵五日市駅 ← 荷田子
地理院地図: 市道山
戸倉三山の天気: あきる野市 , 檜原村 , 八王子市 , 武蔵五日市駅
レポ: 金剛ノ滝から刈寄山 , 戸倉城山
11月22日、奥多摩の市道山と臼杵山に行ってきました。去る11月1日に刈寄山に登って以後、戸倉三山を早く完登したいという気持ちになっていたからです。もったいないほどひっそりした戸倉三山は、晩秋の控えめな美を装い、心身を十分に癒してくれました。
JR高尾駅北口、午前7時半、陣馬高原下行きのバス乗り場には、すでに登山者の長い行列ができていました。列の後方に並んだ私は乗れるか心配になりましたが、ほどよく満員で発車。大久保で小学生の登校グループが乗り込み、車内は超満員になりました。この日は平日だったのです。
夕焼小焼バス停で降りたのは、私一人でした。小学生たちは関場まで、他の乗客は陣馬高原下まで乗って行ったのでしょう。「夕やけ小やけふれあいの里」に、大きな「おんがた地区案内図」がありました。見ていたら、そこに私が歩こうとしている、醍醐林道から市道山に至る登山路が示されていないのが少し気になりました。
まず、せっかくなので宮尾神社にある「夕焼小焼の歌碑」を見に行きます。神社は小山の上にあり、ほんのわずかな道草です。境内は、普通そうであるように、樹木に囲まれていました。木漏れ日が当たって、歌碑の上に木の葉が影を落としています。赤い夕日の当たる場所だったらもっと良かったのに、と勝手に思いながら、宮尾神社を後にしました。
醍醐川に沿って歩いて行くと、赤くきれいな紅葉が清流にかかり、何だか幸せな予感がして来ました。木造の上恩方郵便局は、うす水色に塗られて、かつて私の故郷にあった郵便局と似ていてうれしくなります。看板は「局便郵方恩上」と右書き。この先、関場のT字路で陣馬高原への道を左に分け、少し狭くなった舗装道路を真っ直ぐに進みます。龍泉禅寺でもちょっとだけ道草を食いました。
この山行を計画したときは、醍醐川に沿って延々と車道を歩くのが思いやられました。でもいざ歩いてみると、懐かしい風情のある山里の道で、飽きることは全くありませんでした。背後から朝日を受けるので、行く手のあらゆるものが輝いて見えます。ただ、道標が全くないのが少し気にはなりました。
やがて人家がなくなり、鎖の張られたゲートを通過します。「林道醍醐線起点」の標識があり、そのわずか先で林道が二手に分かれていました。右に登る林道に、「林道ににく沢線起点」という標識が立っています。ここで小休止して、行動食の豆大福を1個ほおばりました。ポパイのほうれん草のように、即効で力が沸きます。
「林道ににく線」を5分ほど登ると、左手の沢に下りて行く道がありますが、有刺鉄線で閉鎖されていました。「水源地につき立入り禁止、地元町会」「カニほりバーベキュー禁止、地元町会」などと書かれた看板などが立っています。2万5000分の一地図では、このあたりから市道山に向かう登山道があるはずです。「山と高原地図 奥多摩 2011年版」に赤い実線で示されている道です。登山道はもっと先にあるのかな、と思って歩き続けるうち、林道が終わってしまいました。道標がなかったので、どこかでうっかり登山道の入口を見落としたのかもしれません。
林道の終点からは、右奥に続く踏み跡がありました。ほとんど歩かれていないような様子ですが、ここしかないと思って登ってみると、すぐに踏み跡は消えてしまいました。でも谷の斜面を見上げると、ピンクのテープが所どころ、木に巻いてあります。そのピンク色は褪せていました。これを頼りに登るとしたら少々心許ないのですが、とにかく登って行きます。やがてピンクのテープも見失ってしまいました。登山道ではなかったのでしょう。
仕方がないので、枯れ枝や倒木や草に覆われた斜面を、足場を確かめつつ登って行きます。実を言うと、私はこんな登り方が嫌いではありません。でもマムシを踏んだり掴んだりしないようには、気をつけます。沢筋は足が埋もれて歩きにくいので、左手の尾根に移動して行きました。
尾根に立ったら、赤い「境界見出標」がありました。尾根に沿って、踏み跡もあります。ジグザグのない直登なので、多少の骨は折れますが、ずっと歩きやすくなりました。もう進路に悩むこともありません。林道終点から登ること47分、予想外に時間を費やしましたが、吊尾根に飛び出しました。下着がぐっしょり汗で濡れています。
吊尾根を北に進むと、「市道山分岐775米 日本山岳耐久レースⅡ」と書かれた杭があり、鳥切場(とっきりば)からの道を合わせました。嬉しいことに、市道山0.1kmとあります。その通り、あっという間に市道山に着きました。
市道山頂は、東面の木々が伐採され、遠く市街地まで見渡すことができます。鳥切場は正確にどこなのか分かりませんが、山並みが鮮やかな紅葉の錦をまとっていました。とても気分の良い山頂です。道標に、[鳥切場3.4km、刈寄山5.1km] とあります。ぐるっと見渡すと、この山頂から刈寄山へは相当な距離がありそうです。やはり日の短い季節に戸倉三山を日帰りで周遊するのは、いささか強行軍かもしれません。南方は、樹木に邪魔されてはいますが、三連のピークが見えました。丹沢三峰ではないかと思います。腰を下ろして、アップルパイの菓子パンを1個、ゆっくりと食べます。
さて、パンも美味しかったので、デジカメのセルフタイマーをセットして、自己撮影しました。名残を惜しみながら、壁紙用に青い空と白い雲を撮影し、臼杵山に向かいます。2〜3分ほど下ったら、笹平への道を左に分けました。その先で、カラン、カランと、熊鈴の音色が聞こえ、中年のご夫婦が登って来られました。
「こんにちは」---「こんにちは。きょうは誰にも出会わないのかと思っていました」と、先に来た奥様が言われました。このご夫婦は元郷から登って、戸倉三山を全部巡って、今熊に下りるとのこと。---「それはとても意欲的ですね」と私が言うと、奥様はご主人の方を見ながら、「そうよね」と、あまり無理したくないご様子。ご主人は「今熊で4時台か5時台のバスに乗るつもりです」とかなり積極的。私は「今熊までは長いコースですが、スタスタ歩けば行けるでしょう」と、微妙な言い方をして別れました。
この後も、そのご夫婦のことが気になりました。もっとおせっかいを焼いてあげればよかったのでは、という思いが消えません。歩きながら、二人の無事を祈りました。
市道山から臼杵山に至る道は、あまり眺望に恵まれていません。それでも1、2箇所、御前山と行く手の臼杵山を見れる所がありました。11月も下旬で、花もほとんど見られません。カメラも暇そうです。そんな中に、ツルリンドウの赤い実と、リンドウの濃紫(こむらさき)の花がわずかに見られました。真っ赤に色づいたモミジの下で休憩を取り、形の良い落ち葉を拾ってお土産にしました。
臼杵山頂(南峰)からは、刈寄山とあきる野市街地をきれいに望めました。大きな採石場も2箇所あるのですね。北峰の臼杵神社まで足を延ばすと、西方の雁ヶ腹摺山や滝子山(と思える)なども見えました。手前に見える奥多摩の山々は、西日を受けて陰影が濃くなっています。逆光の紅葉や黄葉がすばらしく鮮やかです。眼を落とすと、数馬方面に通じる檜原街道が谷間を縫うように三頭山の方に向かっています。またこの道を通って、いくつもの山に登りたいな…と想いながらしばらく眺め続けました。
臼杵神社は小さな祠の左右に、不思議な姿をした動物の石像が控えています。何の動物なのか、どんな謂れがあるのか、帰宅したら、調べてみることにします。神社から少し後戻りして、東に延びるグミ尾根を下りました。下山先の荷田子(にたご)バス停から武蔵五日市駅に行くバスは、午後2時台には1本もないので、時間調整をしながらゆっくりと下って行きます。途中で小ピークを越えたら、採石場の大きな音が響き渡ってきました。
「戸倉山茱莄御前」と彫られた石碑のところで小休止しました。茱莄は、グミと読むのでしょうか?何か、植物の名にでも由来するものでしょうか? これも帰宅してからの宿題です。
荷田子峠からは、北に馬頭刈山(まずかりやま)を大きく望めました。その左手奥には御前山が、先ほど見た時よりも堂々と聳えています。さらに左手遠方には石尾根も見えます。バスの時刻に合わせて、ゆっくりと山々を眺めます。この峠から荷田子バス停までは、15分ほどの下りです。
荷田子の集落に入るところには、電気柵がありました。通行者が感電しないように、ゲートの正しい開閉方法が書かれています。よく読んで通過し、ゲートを閉じると、鳥獣保護区の標識が立っていました。野生動物の増えた里山には、こんな柵が増えてゆくのでしょうか?
武蔵五日市駅方面へのバス停は、新乙津橋を渡った先にありました。さらにその先には、新矢柄橋が白い大きなアーチに吊るされています。この安定感のあるアーチの曲線は、どこかの山をモデルにしたものかもしれません。一番最後の写真をご覧ください。
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