南足柄で作出された「春めき桜」は、三月中旬ごろに見頃を迎えます。
高尾山(竹山とも言う)山頂の三角点は、私有地の真っただ中にあります。三角点に至るには、幅1mの決められた通路を歩かねばなりません。
地理院地図: 富士見塚 , 高尾山 , ヤマレコ歩行ルート
富士見塚・高尾山の天気: 大井町 , 秦野市
3月24日(日)、新松田駅から出発し、富士見塚、篠窪山、高尾山、八国見山を順次訪ね、渋沢駅まで歩いてきました。「春めき桜」と菜の花はすでに見頃を過ぎていましたが、素晴らしい快晴に恵まれて、白銀の富士山、名残り雪の丹沢、早春の花や蝶、椎の巨樹群などを見ることができました。この地域に入るのは初めてだったので、地理院地図とヤマレコMAPを片手に、ところどころでウロウロしながらも、ほぼ順調に歩き通すことができました。
山行のため渋沢や新松田に向かうとき、小田急の車窓から見える山々が楽しみです。まずはじめに大山と西山(相州アルプス)、次いで二ノ塔・三ノ塔から鍋割山稜へと連なる丹沢表尾根、そして何と言っても富士山。きれいに見えれば気分が高揚し、雲に隠れていればヤキモキしつつ天候の回復を祈り、雪を冠っていれば心が躍ります。この日はスッキリ快晴、日本晴れ。富士山は真っ白。塔ノ岳や鍋割山にも、わずかですが白い雪が見られました。最高のお出かけ日和です。
新松田駅を出ると、コンビニに立ち寄り、川音川橋へと向かいました。商店街を歩きながら振り返ると、とてつもなく大きな富士山にびっくり。思わずカメラを向けますが、散歩していた地元のご老人から一言、「電線だらけでねえ。」全くその通り!きょうは富士山を撮る適地が多くありそうなので、カメラをしまいます。川音川橋からは、山体の大きな明神ヶ岳とロマンスカーを同時に見れました。その先の踏切を渡り、左折して東名高速道路の高架下を通り抜けます。
神山(こうやま)バス停の先に、少女と鳩の石像がありました。見ると心が優しくなれそうな、すてきな像です。バス道路と別れて右の道へ入り、東名高速道路に寄り添うように坂道を上って行くと、左手に神社があったので、立ち寄りました。このとき、やや狭い道に入るのですが、結果的にこれが富士見塚への近道でした。神社の名は神山神社。その斜め向かいのお堂は、阿弥陀堂。門前にスイセン、バイモユリなど、きれいな花が咲いていたので、道草を食いました。
阿弥陀堂の直ぐ先に「富士見塚・八重桜コース」の案内板がありました。これに従って進んで行くと、のどかなみかん畑の農道になり、富士山が見えるようになりました。空気が澄み、箱根の山々や矢倉岳などの姿が鮮明です。三国山稜には残雪が少しありました。この道端の草花にも昨日降ったのでしょう、小粒の雪が遅霜のように花や葉を白く縁取っています。日の当たる場所ではキラキラ朝露のような水玉になり、日陰では砂糖菓子のように花と葉を白く固めていました。
「古道 矢倉沢往還道跡 富士見塚へ300米」と書かれた標識を見て、農道を離れ、小径に入りました。二人が並んで歩ける幅の、雰囲気の良い道が続きます。すると「子宝榎」と名付けられた8本立ちの榎があり、その木の前から足柄平野と箱根山地のパノラマを望めました。二子山と、駒ヶ岳・神山とは、まるで2組の双子山。力こぶのように盛り上がるのは金時山と矢倉岳。ひと際大きな山体を横たえる明神ヶ岳。いずれも細かい尾根や谷の立体感が、気持ちいいほど鮮明です。
「源頼朝公駒留の地」と「しのくぼ富士見塚」の石碑に到着。惜しいことに、菜の花と「春めき桜」には、来るのがちょっと遅すぎました。でも少し離れて眺めれば、まだまだきれいです。それよりきょうは、スーパー日本晴れと言ってよいような、天地ともの超快晴。山も空も、野も畑も、木も草も、何もかもが美しい日です。まずは、光あふれる東の丘に上ってみましょう。大きなカメラを構えた人々が見えます。皆さん、富士山を狙っているに違いありません。
その「光あふれる丘」に上って行くと、真っ白な富士山、黄色い菜の花畑、春めき桜の並木、緑の草地が、絵のように広がって行きました。しかし劇的に私の目を奪ったのは、大山から表尾根を経て檜岳山稜へと続く、長大な丹沢のパノラマ。冬場に渋沢丘陵を歩くと、キリッとしたその山なみを望めます。けれども、うららかな春の菜の花畑で望む、まだ雪の残る塔ノ岳を盟主とする表尾根の稜線は、どこかアルプス山脈を髣髴させるような、高さと厳かさとを感じました。
富士見塚では、およそ1時間ほど眺望を楽しみ、次の目的地、篠窪山に向かいました。途中で、三嶋神社と地福寺に立ち寄ります。三嶋神社では、スダジイの老巨木の放つ迫力に魂を打たれました。一般に、鎮守の森に大きなスダジイがご神木として保存されていることは、よくあります。でもこの三嶋神社の森は、一連の番号の付いた巨大スダジイが密生する、一種の聖域のような空間。その見学路を歩いてみると、木霊の声が聞こえそうな気がしました。お奨めスポットです。
篠窪の郷に入ると、コブシ、シダレザクラ、シデコブシなどが美しく咲いていました。地福寺に行ったのは、臨済宗の禅寺で、きれいにできていると思ったからなのですが、名前も気になりました。「地福」とは、あの世に行ってからではなく、この世で生きて知る幸福のことを意味しているのかなと、思ったからです。きょうの富士見塚では至福のひと時を得ましたが、できればそのような特定の時間や場所に限定されることなく、いつでもどこでも幸福に生きたいものです。
地福寺の門前の坂道を上り「二階堂政定屋敷跡」に行って見ました。説明板だけの史跡ですが、見て損はしません。ここから篠窪山を目指し、坂道を上って行きます。去る3月10日に開通したばかりの篠窪バイパスを横断すると、「史跡了全塚入口 絶景」と彫られた石碑が立っていました。「了全」も「絶景」も知らずに来たのですが、興味をそそります。坂道を少し上ると、篠窪の里と表丹沢の美しいパノラマを望めました。ウン、これは「絶景」と言えなくもありません。
篠窪山頂に近づくと「絶景」の意味が分かって来ました。富士山と箱根連山を背景に展開する、緑色の山上農園。梅か桃か桜か、花が咲けば、きっと桃源郷でしょう。家がないので、山上集落ではありませんが、篠窪の里からは簡単に来ることができます。了全という人も、村人たちも、ずっとこの山を宝物のように思って来たのでしょう。了全塚らしい石は山頂の祠にありましたが、三角点は探して探して、山頂の少し西方に、埋もれた四等三角点石を見つけました。
篠窪山頂がとても好ましかったので、腰を下ろしてティータイムにしました。熱いココアと小さなお菓子で、富士山に乾杯します。ここで地理院地図を見ると、まだきょうの路程の半分しか歩いていません。時刻は既に11時。道草を食い過ぎたようです。この先は少し急ぐことにしましょう。篠窪の里に戻ると、小さな橋で中村川を渡り、その左岸沿いの道を柳方面に向かいました。思いのほか歩きやすい道で、しかも延々と何千輪ものヤマルリソウが咲いていました。
「柳休憩所」では、水辺に下りてみました。取り立てて美しい場所ではありませんが、夏には涼を取ったり、足を冷やしたりできそうです。そこから100mほどで、車道に出ました。通行人計数器を、カチッと1回押します。私のすぐ横で、何かガサガサと出て来たので、見ると小さなリスと目が合いました。タイワンリスよりもずっと小柄なニホンリスです。数秒間お見合いをして、リス君は茂みに入って行きました。この車道を少し行った二俣の左側に、トイレがあります。
その二俣で右に進むと、左に分岐する小径がありました。地図を見ると「柳七滝」への山道のようです。ところが行って見ると、50mほど先でヤブに阻まれてしまいました。廃道のようです。車道に戻って道なりに西に進むと、すぐにT字路に突き当たりました。道標は、右も左も「上大井駅 5.3km」となっていますが、高尾方面へは左折です。この道が柳に至る手前、突き当たるT字路の角で、大山と八国見山をよく望めました。大きな電話塔の立っているのが八国見山です。
そのT字路でまた左折し、みかん畑の農道をテクテク東へと歩きます。5月頃来れば「みかんの花咲く丘」となって、「思い出の道」になるかも知れません。もう少し高いところに行けば、青い海に浮かぶ船が見え、汽笛が聞こえそうな気もします。ところで、東京の有名な高尾山は、登山者数では日本一か世界一なのに、その姿を思い描ける人がほとんどいないと言われます。その高尾山の対極にあるようなのが、高尾山(たかおやま)。登る人はどれほどいるのでしょうか?
県道77号に下り、なおも東に進みます。10分ほど歩くと、高尾バス停から農道が山に向かっていました。でも行き止まりになるといけないので、見送ります。そのすぐ先に、高尾集落へと入る坂道と歩道橋とがありました。ここまでは、迷うところがありません。でも地図を見ると、高尾集落内の道は分かりにくそうです。実は人に道を尋ねようと思っていたのですが、誰も見当たらなかったので「山カン」に頼り、集会所と郵便ポストのある道を、道なりに登って行きました。
登って行くと、分かりました。高尾山の山腹は大部分が農地になっていて、コンクリートの農道が山頂付近まで、あるいはその先まで続いているのです。高く登るほどに展望が好くなり、曽我丘陵の向うに箱根連山と相模湾をよく望めました。相模湾の彼方には、伊豆大島、三浦半島、さらに房総半島も見えます。山の斜面は段々畑になっているのですが、段差が大きいのは、農業機械を使うためでしょう。大根畑には白い花が咲き、道端にはまだツクシが林立していました。
高尾山の山頂は私有地になっていました。三角点はどこでしょうか? 私有地の周囲を廻って行くと、畑仕事をしていた男性から、どこから来たのかと尋ねられました。説明すると、その地主さんが知りたいのは、この私有地にどこを通って入って来たのか、ということでした。三角点の場所は教えていただいたのですが、そこに至るには、幅1mの決められた通路を通らねばならないとのことです。公設の三角点ですが、私有地のどこを歩いてもいいという訳ではないのです。
三角点の横の、ベンチ代わりの木に腰を下ろして休むように勧められました。座って、まだ熱いココアを飲みながら、三角点石をまじまじと見ました。三等三角点で、しっかり垂直に立っています。あの篠窪山の四等三角点は傾いていた上に、ほとんど土に埋もれてしまっていました。その位置も山頂からやや離れていましたが、高尾山の三角点はずばり山頂にあります。地主さんが、富士山の見える方向や、八国見山と峠バス停への行き方などを詳しく教えてくれました。
地主さんにお礼を言って、山頂を辞しました。広い農道まで降り、高尾山の北面に行きます。すると、またまた丹沢の大パノラマが出現! きょう3か所目です。そこから大きな電話塔を目指し、梅林の道を下って行くと、造成されたばかりの霊園に下りる石段がありました。霊園の外周の立派な道路を歩いて、八国見山への石段を上ります。ここで左手に大きな富士山を望めました。この霊園の「売り」でしょう。石段を上りきると、先ほど登った高尾山をよく望めました。
山頂入口の標識に「やくにみやま」とふりがながありました。ユニークなのは、階段の土留に青竹を使っていること。[View Point] の標識からは、小田原市街地、真鶴半島、伊豆半島などを望めました。そしてあっという間に山頂に到着。樹間に富士山の姿がありましたが、それで駿河の国と甲斐の国が見えたことになるのでしょう。高尾山の十三州見晴台、箱根の十国峠、奥武蔵の関八州見晴台、鎌倉の六国見山など、眺望自慢の山は、いずれもそれなりに楽しめそうです。
いよいよ最後の下山です。まず八国見山の右回りルートで下り、渋沢分岐と呼ばれる地点からは、渋沢駅への最短ルートを歩きました。一部、震生湖~頭高山ハイキングコースと重なる区間があります。そこでは可愛らしい幼児から元気な挨拶を受けました。渋沢の街を見下ろす地点では、きょう最後の丹沢パノラマをじっくりと堪能。きれいな青空と白い雲が、山なみに動きを与えています。これより先は車に気を付けながら歩き、渋沢駅南口に無事ゴールインしました。
あとがき:今回は初めて大井町の低山を歩き、その魅力に触れることができました。開放感のある大空、海の見える農道、冬でも緑の野や畑、点在する史跡、ちょっぴり南国ムード、等々。次は、曽我丘陵を歩いてみたいと思います。行くとしたら、やはり梅の花の香る頃でしょうか? 令和2年の春は、梅林がブームになるかも知れません。
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