当時、大学四年生だった私は、駒沢(東京都世田谷区)に間借りしていた。地下鉄新玉川線はまだ工事中だった。早朝、玉電代替バスの一番に乗って、渋谷に向かった。渋谷、新宿と経由し、小田急線で渋沢に向かうのだが、この少々遠回りのコースでは、渋沢駅発大倉行きの始発バスに間に合わなかった。このことが丹沢主脈の長いコース歩きにとって、ハンディとなる。
塔ノ岳を過ぎると、人に出会わなくなった。鹿たちも登山道に立っていた。私は規則的に短い休憩を取りつつ、軽快に歩き続けた。
蛭ヶ岳までは,すべて順調に進んだ。その後、姫次から10分ほど歩いたところで左に下る道を分け、さらに焼山方面へ10分歩き、八丁坂ノ頭から東野方面へ下ろうとした。ところが、「八丁坂」と記した道標は確認したものの、いつまで歩いても分岐が現れない。道を間違えたと思い、一つ前の分岐点まで戻って下り道に入る。だがこの道は涸れ沢にぶつかった所で、途切れてしまった。登山道ではなかったらしい。
知らない谷に向かって道なき道を下るのは無謀である。私はこの教訓に反し、下山を続行することにした。まだ空は明るい。地図と方位磁針とを持ってのオリエンテーリングに、いささか過剰な自信を持っていた私は、何もためらわなかった。足元をしっかり見て進む。急斜面のところどころに鹿の糞が見られた。幸い、約1時間の藪こぎの末に、正しい登山道を見つけた。しかし、この藪こぎによるタイムロスで、東野バス停まで走る羽目になった。
当時、東野から藤野駅行きの直通バスがあった。これの最終便に乗るために、残った体力を使い切って、ギリギリセーフとなったのだった。